七十六
手を引いただけでは間に合いそうもなかったので、抱えて走ったリオの体を地面に下ろす。振り返ると先程私たちがいた場所に黒煙が上がっていた。
リランの村で私は実物を見ていないのだが、おそらくあれがアスハイルの言っていた魔力爆弾と見てまず間違いはない。だとすると、さっきの男も例の犯罪集団の構成員か。
「けど、なんで……」
男が一言、見つけた、と呟いたのが聞こえた気がする。けれど私たちは三人ともずっとフードを被ったままでいたので、シャンデンの街に到着してから一度も顔を晒していない筈なのだ。それがなぜ私たちを見つけることができたのか。
可能性があるとすれば、冒険者ギルドの前で兄妹といるところを見て覚えられたか――
「エル!無事ですか!」
「ああ、そっちも無事だな!」
ルトを抱えたシンディが後から追いついてきた。
戸惑いを隠せず声も発せないリオの横に下ろされたルトはどうやら目を回しているらしい。相変わらず術式関連以外は頼りない奴である。
周囲にいた人々が悲鳴をあげて逃げていくのを横目にもう一度そこに目を向ければ、黒煙の向こうから背の高い男がゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見える。
特に特徴のない男だが、血走った目と半開きの口から垂れる涎は明らかに普通ではない事を告げていた。そもそもこんな街中で爆発を起こすこと自体が異常だ。
ミリアの仲間だとすれば狙いは私だとは思うが、こうも白昼堂々と襲撃してくるとなると周りを巻き込む事も厭わない類の奴かもしれない。
しかし、それよりも不可解なのは、辺境伯家の跡継ぎが一緒にいるこの状況での襲撃であったこと。
万が一リオが命を落とすようなことかあるとすれば、他に子供のいない辺境伯家は文字通り存続の危機である。リオを跡継ぎに担ぎ上げる為邪魔な私を狙って来ているとも思っていたが、もしかしてそうではない?
ならば奴らは、辺境伯家がどうなろうが構わないということか……?
「あ、あの……私は、どうしたら……」
震えた手にローブを掴まれた。チラリと視線だけを向ければ、青い顔をして恐怖に震える幼い子供の姿がある。
やっぱりこのくらいの歳の子供はこういう反応をするよな、となんとなく思いながらも気付けばその震える手を掴んでいた。
「私が相手をしてくる。大丈夫だ。すぐ終わるからいい子で待っていろ」
そうしてローブを掴んでいた手を外させて立ち上がる。
あの犯罪集団の構成員は私を不快にする天才なのか。毎度毎度邪魔ばかり。いい加減こちらも我慢の限界である。一度として我慢などできていなかった気もするが。
そうして私が足を強化してダッとその場から走り出すと、ニヤリと笑った男が懐から黒い何かを取り出しているのが見えた。
どうせあれだろう。リランの村で見たあの四角い道具。
「それは私には効かないってミリアは教えてくれなかったのかね!」
大きく飛んで、後は自由落下。見上げた男の顔面に見事に決まった強化済みの踵。そのまま発動はされているのだろう道具諸共、男を地面に叩きつける。
「お前たち、さては下っ端だな?」
教会が手こずるような犯罪集団の人間がこうもあっさりやられるだろうか。完全に意識を失っている男を見下ろしてそう思う。
ミリアに比べたら全くもって手応えがないので、今差し向けられているこいつらは下っ端と考えるのが妥当な気がする。
なんだか馬鹿にされているみたいで腹立つな、と思いながら男は放置して仲間たちの元へ戻った。そのうち騒ぎを聞きつけた街の兵士が来るだろう。
そうして未だに座り込んでいるリオの前に立ち、手を差し伸べる。
「終わったぞ」
しかしその手を取られることは無くて。
青い瞳をいっぱいに見開き、じっとこちらを見上げる子供はしばらくしてからゆっくりと口を開いたのだ。
「ねえ、さま……?」
何を言われたのか、最初は理解できなかった。
けれどそれを理解した途端、自分でも不思議なくらい心臓が跳ねて、思わずその場から飛び退いてしまう。
なぜだ、なんで。
ぐるぐると定まらない思考を巡らせていると、それをピシャリと止めるシロの声が頭に響く。
フードが脱げている。
たったそれだけ。それだけで、リオは気付いてしまったのだ。
晒された桃色の髪。金色の瞳。あの日とは髪の長さはだいぶ違うものの、顔立ちは何一つ変わらない私のことを。
「ねえさま……やっぱり、やっぱり、そうなのですね……!」
私が呆然としている間にも目に涙を浮かべながら駆け寄ってきたリオがそのまま首に腕を回して抱きついてきた。
その温かい体温に、どうしていいのか分からず固まってしまう。
「よかった……生きてた……やっぱり姉様は生きていた……!」
嬉しそうに。本当に嬉しそうに。
あの屋敷では一度だって触れたことのない温かさがじんわりと胸の奥に広がってくる。
一度しか会っていないのに。言葉だって交わしたこともないのに。どうしてこの子供は私を「姉様」だなんて呼んでくれるのだろう。それが私にはわからない。
「私は、姉様と出会ったあの日から、一日だって忘れたことはありませんでした……!とても、とても綺麗なこの桃色を、忘れるなんてできなかった!」
ぎゅう、と更に強く抱き締められる。
その姿が幼い子供のようで、母に縋り付く子供のようで。固まっていた体から自然と力が抜けていく気がした。同時に理解する。
あの屋敷にも私を想ってくれる人はいたのだな、と。
こうして引っ付いてわかるのは、リオはもう私よりも身長が高いということ。十歳にして弟に抜かされるとは。姉の威厳が無いじゃないか。
そんな事を考えながら私はリオの頭に手を乗せた。そのまま慣れない手付きで髪を撫でてやると、ぐすぐすと更に泣き出すから思わず笑ってしまう。
この泣き虫が私の弟なんだな。初めてちゃんとそう思えた気がするよ。
リオの涙は結局街の兵士が来ても止まることを知らず、むしろその姿が同情を誘ったようで、襲撃してきた男も後片付けも全て兵士たちが引き受けてくれることに。
一応男は冒険者ギルドにいる教会の人間に引き渡すようにと目を覚ましたルトに伝えてもらった。あの様子だとあまり情報は持っていない気もするが、念の為。
「……なぁ、そろそろ離れないか?」
「いやです」
騒動が一先ず収まり、けれど周囲の店は休業となってしまった為私たちは先程の店に舞い戻っていた。
リオが店を出てからすぐの爆発に、店の人間が心配して様子を見にきたところに鉢合わせしたせいである。
私に引っ付いて離れないリオの様子に店長は快く店を使わせてくれた。
「リオくんにお姉さんがいたなんて……」
「腹違いの、だがな」
「そうか、嬢ちゃんは前妻の……」
店員の若い女はシュカ。店長の中年男がソルトー。
二十歳のシュカは辺境伯家の夫人が五年前に変わったことすら噂で聞く程度であまり詳しく知らないらしい。
対するソルトーはもう四十年以上もこのシャンデンで暮らしているからか、それなりに辺境伯家の事情も知っているようだった。
「姉様は五年前からずっと行方不明だったんです。屋敷の者たちからは既に亡くなっているから忘れなさいと言われてきました。でも……」
私の腕を抱いたまま口を開いたリオは、あの屋敷での出来事を覚えている範囲で話し始めた。
母に連れられやってきた屋敷で自分と同じ銀色の髪を持つ父に初めて出会ったこと。お前はこの人の跡を継ぐのだと誇らしげに言われたこと。そして、自分とは全く違う空気を纏った凛とした子供に出会ったこと――
「嬉しかったんです。こんなにかっこいい人が私の姉様になるんだって。いっぱい、いっぱい、お話ができると、そう思っていたんです……」
けれど、出会った日の翌日にはその人はいなくなってしまった。
自分の母と出掛けたはずだった。それなのに、帰ってきたのは母一人。理由を聞いてもはぐらかされるばかりでその人の行方が一向にわからない。
こんなにも大変なことが起きているのに母を含めた使用人たちは顔色一つ変えずに平然としているから、余計に訳がわからなくて。
ただ、唯一、父だけは。
「あの人が、取り乱していた……?」
「はい。怖いくらいだったので、よく覚えています」
信じられない。あの父が。
私の話を聞こうともしなかったあの父が。
「……何かの間違い、だろ」
まともな会話だってほとんどしたことがない。食事も共にしたことすらない。いつもいつも忙しそうで、娘の教育は全て母に任せていて、そんな母が死んだ途端今までの全てを否定するようなあの態度。何よりリオの存在自体があの人の不誠実さを物語っているではないか。
どこに行方不明の娘を気にかける要素があるというのだ。
わからない。
私には、わからないよ。




