七十五
「ま、待ってください。弟さんはお幾つなんですか?」
「私の五つ下で、最後に見た時は五歳だったから今は十歳なんじゃないかな」
そんな私の返答に更に混乱していそうなシンディは、そういえば私とルトがダンジョン内で現実世界の五年を過ごしたことを知らなかったなと今更気付いた。
なので要点を掻い摘んで説明すると一応納得はしたらしい。本当にそんなことがあるのかという疑問はまだ残ってはいそうだけれども。
それもこれも姉であるはずの私が、どう見ても十歳にも満たない子供にしか見えないことが原因だろう。
リオも先程私を「その子」と言ったくらいだし、年上だとは微塵も思われていないんじゃなかろうか。仕方がないとはいえ、一応姉としては複雑な気分である。
まあ、それはいいとして。
いい機会なので、ついでに私の体はどうやら成長が止まっているらしいと二人には伝えておくことにした。今後この事で何かあった時に知らないままでは不便なこともあるかもしれないからな。
シロが関係しているので詳しくは言えないがと告げれば、それ以上何かを聞かれることはなかった。
「それにしても、辺境伯家のご子息がこんな所に一人で来ていて良いのかな?」
「良くはないだろう。あの母親に見つかったら大変だと思うぞ」
「でも、親御さんにも言わずに飛び出して来ちゃうなんてお貴族様にしては結構大胆なところがありますよね。エルに似たのでしょうか」
「話したことも無いのに……?」
あんなふわふわした奴だということも今さっき初めて知ったくらいだぞ。
思い返せば五年前は母親の後ろに隠れている子供だった。それが、こうして母親にも告げず一人で街に出て来るようになるだなんて。
五年の月日はこんなにも子供を成長させるものなのか。
「それで、どうする?辺境伯のこと聞いてみる?」
「確かにこれ以上ない情報源ではあるが……」
しかし、聞いた通りであるならばあの子供はお忍びでこの店に来ているらしい。ならばたまたま居合わせただけの客に身分を言い当てられたら警戒されるだけでだろう。……というか、流石にそれくらいの警戒心は持っていると思いたい。
人を追い出してまで跡継ぎの座に据えた子供だ。あの母親がどこまで考えているかは不明だが、それなりの教育を受けさせないと跡継ぎとして成り立たなくなってしまう。
特にシファン辺境伯家は、二つの国を分つ国境近くに屋敷を構えており、その周辺の防衛を国王直々に任されている。
召し抱える兵士の数は北のモンティス伯爵にも引けを取らず、その役割は多岐に渡るが特に重要なのは国境の手前に作られた山と山とを結ぶ砦の管理だった。
あれは南東に広がる地繋ぎの他国からの侵攻を防ぐための要塞で、その一部は兵士たちの居住空間にもなっている。
もちろん全ての兵士たちへの武器や食事の提供、給料の支払いなどの仕事もある。一人一人に家族がいて生活があるのだから当然だ。
さらに領地内には小規模だが多くの街が存在していて、それを全て統括しているのがシファン辺境伯なのである。
もし、あの人が国内の犯罪に関わっていて、その任を下されるとしたら。それはそれで国の一大事と言えなくもない。
そうなれば当然跡を任されるのはあの子供――リオなのだ。
本当に、なんでこんなところにいるんだろうな。
店の中を忙しなく動き回るリオの姿が時たま見えて、その平和ボケしたような柔らかい笑顔にほんの少しだけ腹が立つ。まだあの母親の方が役に立ちそうな気さえする。
しかし、どうしてか、目を惹きつけられてしまうのだ。
私は手元の珈琲をまた一口飲み込んで、はぁ、と大きくため息をついた。
「放っておこう。あれに聞くくらいならミリアを探して捕まえた方がよっぽど価値がありそうだ」
「なんだか素っ気ないですね。弟さん、嫌いなんですか?」
「嫌いというか……」
嫌いと感じるほど私はあの子供のことをよく知らない。ただ、今の様子を見ている限り、私とは正反対の性格や価値観を持っていることは間違いないんじゃないかと思うのだ。
優しく、思いやりがあって、よく笑い、愛想が良い。何より私と違って普通の子供だ。
行動自体にはまだ危なっかしさはあるけれど、きっと困った時はその都度助けてくれる人が現れるような周りを動かす魅力を持った人間なのだろう。
これ以上に跡継ぎとして相応しい者はいない。悔しいがそう思わせる圧倒的な雰囲気がある。
だからこそ。
「私たちはきっと、相容れない存在なんだよ」
極力関わらない方がいい。そう思って、珈琲を飲み終えた私は席を立った。二人も甘味を綺麗に食べ切っていたのでちょうどいい。そろそろ本来の目的を果たすとしよう。
会計をと声をかけると女の店員がやってきたので、私は早速話を切り出した。
「店員さん。少し聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい!なんでしょう?」
芝居がかった私の話し方にルトとシンディは目を瞬かせていた。
店員は私のような子供の話でも聞いてくれる気があるらしい。なので遠慮なく話を進めさせてもらうことにした。
「私たちはこう見えても旅商人なんだ。今は大口の取引先を探しているところで、辺境伯様と商談ができないかと思ったんだけども伝手が無くって。この街にはお屋敷の使用人もよく来ていると聞いたけど、それって本当?」
「使用人ですか?メイドさんで、たまにうちのケーキを買いに来てくださる方は何名かいらっしゃいますよ!」
「へぇ!ぜひ一度話をさせてもらいたいな!ちなみにどのくらいの頻度で来ているのかわかるかな?」
「えーっと、数日に一回くらい、かな?結構よくいらっしゃいますね。あっ、でも最近ミリアは見ないかも……」
ミリア。
聞きたい名前が早速上がったことに安堵する。
あの女がこのシャンデンの街で生まれ育ったことは私でも知っている事実だ。少し探ればその名前が出てくることはわかっていた。
辺境伯家の屋敷に戻っているのか、それともどこかに潜伏しているのか。せめて今の居場所がわかればいいのだが、最近姿を見ていないとなるとこの街にいる可能性は低いのかもしれない。
私はニコリと笑顔を貼り付けフードの下から女を見上げる。首を傾げれば純粋な子供らしく見えるだろうか。
「それは、メイドさん?」
「はい。もともとこの街に住んでいた子なのでこの街では有名人なんですよ。なんと言ってもあの辺境伯様のお屋敷でお仕事をしているんですからね。彼女はこの街の誇りです!」
憧れの的なのだと。そう感じさせる物言いに、私は思わず目を細める。
ミリアは明らかに人を殺し慣れていた。体の使い方も上手く、剣の扱い方も手慣れていた。あれは長年その道を歩んできた証拠。
「すごい。立派な人なんだね」
そんなこと、思ってもいないけれど。
「見かけたら話をしてみるよ。ありがとう」
さて。話も終わればもうここに留まる理由はない。
会計を済ませて店を出ると、疑問も感じていない店員の明るい声に見送られた。
店の正面の道は昼時を過ぎたからか先程よりも出歩いている人間の数は少なく見える。冒険者ギルドに寄っている兄妹と合流するのは夜なので、まだまだ時間はありそうだ。
「次はどうしようか。違うお店に入ってみる?」
「そうだな。私はまだ食べられるし――」
「あの!」
ふと呼びかけられて振り向くと、日の光を浴びた銀髪を輝かせた青目の子供がこちらに走ってくるところだった。
先程の女店員との話を聞かれたのだろうか。ミリアとリオにどれだけ関わりがあるのかは知らないが、見知った人間の話題が上がっていれば気になるのも無理はない。
しかし、だからと言って一人で追いかけてくるのは悪手だぞ。私たちが悪人だったらいったいどうする気だ、と思いながらも待っていると、横に立つ二人には目もくれずリオは真っ直ぐ私の前まで来て立ち止まる。そして。
「どこかで会ったことありませんか!」
大きな青い目を輝かせて、そんなことを言うのだ。
私はその曇りのない眼差しを前に言葉が出ずに黙ってしまう。
もしかして覚えているのだろうか。まだ幼かった彼が、一度しか会ったことのない私を?
戸惑いから尚も押し黙る私に、目の前の子供は自分で言っておきながら自信が無いのか伏し目がちに続ける。
「その……なんだか、君の声に、聞き覚えがある気がしたんです。身に覚えがなかったらごめんなさい」
声。
そうか、声。
私たちが初めて会った日。それは父がリオを跡継ぎにすると宣言した日。衝撃があまりにも大きくてその日は考えが纏まらず、次の日の朝になって私は父の執務室に押しかけた。
そして、こんなにも声を出すのは初めてなんじゃないかと思うくらいの大声で父に抗議した。
それをどこかで聞いていたのだとしたら。私の声が印象に残っていても不思議はないのかもしれない。
「残念だが……」
しかし、私は今更名乗り出るつもりは無いのである。
静かに首を横に振って見せれば、明らかに落胆したように肩を落とす姿は少し気になったものの、私には関係のないことだと見なかったことにしておいた。
そうして私たちの縁は――ここで切れていれば良かったのに、世の中そう上手くはいかないもので、もう少しだけ続くことになる。
「見つけた」
気配も無くリオの背後に立った男がいた。
ハッとして顔を上げると、日の光に重なって男の顔はよく見えない。
けれど明らかに普通ではないとわかるその雰囲気と、ゆっくりと持ち上げられた両手の指の間に黒い塊が見えた気がして、私は迷わずリオの腕をガシリと強く掴んでいた。
「逃げるぞ!」
「――へ?」
その腕を引っ張ってその場から駆け出すのと、男の指の間から黒い塊が地面に落ちていくのはほぼ同時で。
次の瞬間には爆発音が街中に響き渡っていた。




