六十四
サフは姉であるフィアリアが気にかけていたこの街を度々訪れているのだそう。
特にクランデアでの騒動の後から王都の周辺に出没する悪魔の数が急激に減ったおかげで、騎士団の人間にも出歩く余裕が生まれたらしい。だからこうして単独でスイストンの街を訪れることができている。
今回は数日前に到着したみたい、とネルイルが教えてくれた。
「あたしたちもここで会うとは思わなくて驚いたわ」
「お前たちもクランデアの復興に向かったと聞いたぞ。何故こんなところにいる?」
「例の集団絡みでね。手がかりが掴めそうなの」
それを聞いてまた鋭い視線が私に向く。
犯罪集団の存在は騎士団にも伝わっているようだ。今の流れで私が関係していることは概ね察したのだろう。サフの私への疑いはますます酷くなる一方だった。
それにしても、兄妹とサフは随分と仲が良いように見える。私に対しては対応の冷たい騎士様も、ネルイルを見る目はかなり柔らかい。
教会と騎士団がどういう関係性を築いているのかは知らないが、この三人――いや、死んだフィアリアを含めた四人には何か特別な繋がりがありそうだな、と私はなんとなく感じていた。
領主ダクトルの処分はサフを通じて騎士団に一任する事となった。アスハイルとネルイルの兄妹はまだ王都には戻れない事情がある為である。
サフならば安心だと、ついでに領主不在となるこの街のことも頼んだとアスハイルに肩を叩かれていた時の、どこか遠くを見る目は少し見ものだった。
漁師たちの方もなんとかしてやりたいと言う意見は一致したが、やはり手が足りないのですぐには無理だという結論に達したらしい。それならばと手を挙げたのは私である。
「試したいことがある。上手くいけば解決するかもしれない」
「お、お嬢!本当か!」
「うん。でも、高くつくぞ」
ゴートとの最初の取引きは私が金を貰うという事で一先ず決着した。その上でまた手を貸せと言うなら更なる報酬を上乗せさせてもらうがそれでいいのだろうか。そう問えば、言葉を詰まらせたゴートの代わりに口を開いたのはネルイルだ。
「お金なら教会の方からも支援できないか確認してみるわ。元はと言えばフィアさんを呼び戻したこっちの責任でもあるんだもの」
「別に必ず金で払えってわけでもないんだけどな。私にとって価値があるものであればそれで」
「そうなの、ふーん……」
そうして少し考えたネルイルが出した提案は、耳を疑うものだった。
「いっそのこと、エルがスイストンの領主になっちゃえば?」
「そりゃあ良い!」
「いや良くないだろ」
そもそも領主とは、なろうと思ってなれるようなものではない。功績を上げた貴族が王から直々に任命されるものである。
私はこの国の王族とも面識は無く、特に目立った功績を上げたわけでもない。クランデアの件があるにはあるが、あの場で私を認識した人間なんかほんの一握りだった。どちらかと言うとルトの功績として世間では知れ渡っているはずだ。それに。
「私は見ての通りの子供で、女だ。わかるだろ」
領主に何かしらの問題があった時、若い息子が跡を継ぐことはあると聞く。けれど私は既に家を出て名前すら捨てた身だ。シファン家の人間として表に出ることは二度とない。つまり、貴族ですらないのだ。
女というだけでも表舞台には上がれないのに、他の問題が山ほどある。
そんな人間に領主などという大役が務まるわけがない。そうでなくとも、そんな地位、私が必要としていない。
「旅を続けたいなら仕事自体は誰か人を雇って任せちゃえばいいし、名案だと思ったんだけどな」
「名前だけ置いておけって?」
「ええ。この街ごと貴女の庇護下に入るって意味でね。良いと思わない?」
「思わない」
「えー」
そんな無責任なことできるか。
街のことは私抜きで考えてくれ、とそう言って、私は座っていた椅子から降りて話を強制的に終わらせた。報酬は後でまた考えるとしよう。
そうして私たちはその後、街の港へ向かう事となった。
捕らえたダクトルは兵士に任せておいたが、突然のことで大騒ぎになったのは言うまでもない。その辺はあとでサフがなんとかするだろう。
途中、商人ギルドに立ち寄って許可証を受け取ったルトとシンディとも合流し、事情を説明しながら歩いて日が暮れる頃にようやく海に出る。
日の落ちた暗い海は引き摺り込まれそうな恐ろしさがあった。
「僕たちがいない間にそんなことになるなんて……とりあえず無事で良かったって言うべきなのかな」
「領主様のお屋敷に侵入するなんて相変わらずエルはやることが大胆ですね……!何事もなくて良かったです……!」
「あー、うん。心配かけて悪い」
一通り話し終えた後ルトとシンディには酷く心配されてしまった。その様子を見て改めて少し反省した私である。
自分で決めて実行した事ではあるし、その責任は全て私にある事も変わりはないけれど。でも、こうして仲間に心配をかけたいわけではなかったのだ。
今回は全面的に私が悪い。今後は危ない橋を自ら渡りに行くのは控えよう。そう思えるくらいに二人の気持ちは温かいものだった。
これじゃあ保護者と言われても仕方ないな。アスハイルやネルイルにも後でちゃんと謝ろう。
やってきた船着場で集まった漁師たちに事情を話している兄妹とサフの姿に目を向ける。
屋敷からここへ来るまでにアスハイルとは一度も目が合わなかった。怒っているのか、呆れているのか、何を思っているのかはわからない。けれど心配をかけたことに変わりはないと思うから。
だがその前に、私には今やらなければならないことがある。
「ルト、手伝ってほしいんだが」
「わかってる。船に術式を刻むんだね」
相変わらず頼りになる奴だ。早速ペンを取り出したルトが横付けされたそれなりに大きな漁船に駆け寄っていくのを見ながら思う。
ルトの術式を刻んだ道具は、魔力を持たない者でも扱える魔道具になる。ならば船に直接術式を刻み攻撃魔術が撃てるようにしておけば良い。
しかし並の攻撃魔術では大型の海の魔物が対峙できるとは思わない。なので、そこはシロの魔力の出番である。
私は辺り一帯に魔力を薄く広げていった。
いつもみたいに針や壁を生成するのと同じ手順だが、今回は物質ではなく液体を作り出すような、周囲に広がるこの海のようなイメージを作っていく。
するとどうだろう。
ある程度の密度に達した時、広がった魔力は少しずつ可視化され辺りの空間がきらきらと輝きだす。
「綺麗……」
ネルイルが思わず呟いた声が聞こえてくるくらい、いつの間にか辺りは静まり返っていた。
ルトはその輝きの一つ一つを繋ぎ合わせるようにペン先でなぞっていく。空に浮かぶ星を繋いで星座を作るようなその光景は、なんだか神秘的なものを見ている気分にさせられた。
そうして集まった魔力を使ってルトは船に術式を描き始めた。これで描かれた術式には、幻獣の魔力が宿るのだ。どんな魔物が来ようがきっと負ける事はない。
「エル。海が、光っています……」
シンディの言葉に視線を逸らすと、確かに海が薄らと光っていた。シロの魔力がまだたくさん空中に留まっている状態なので、実際には光って見えただけ、なのかもしれないが。
けれど、引き寄せられるように踏み出したシンディが水面に手が届きそうな場所で身を屈ませた時だった。
――海が光った。
青白く、どこか優しい光。シンディの目の前のほんの少しの範囲だけが明るく光っている。
何が起きているのかは私にはわからなかった。だが頭の中に聞こえてくるシロの声が、状況を説明してくれる。
何者かの魔力が、シンディの持つベールに反応したのだ、と。
確かにあの道具にはいろんな術式が織り込まれている。私とルトで作ったものだ。間違いはない。
ベースになっているのは幻影魔術。ならば、その何者かの魔力は独りでに幻影魔術を発動したことになるのか。
まさか、そんなことが。
それではまるで、魔力自体に意志が宿っているかのよう。そんなの、聞いたこともない。
やがてその青白い光は海から静かに浮かび上がり、一つの塊となってゆっくりと何かの形を作り上げていく。
おそらく人だ、と私が気付いた時、今までずっと黙っていたサフの声が夜の海に響いた。
「姉さん……!」
青い長髪の女。氷の魔術師、フィアリア。
海の光は確かに、私たちの前にその人物の姿を浮かび上がらせたのだ。




