五十五
兄妹が借りていたのはなかなか立派な家だった。
闘技場からも近い借家で煉瓦造りの二階建て。一階に調理場と大きなテーブルが置いてあり、最大十人くらいは余裕で座れそうなスペースがある。
二階は個室が三部屋。今はアスハイルとネルイルが一部屋ずつ使っているらしい。
「お前たち、こんな家まで借りていったいいつからこの街にいるんだ……?」
クランデアでは復興の手伝いをしていたんじゃなかったのか。追いかけてきたと言うくらいだし時期的に私たちの方が先の出発したと思うのだが、家の中の物の多さを見ると二人が到着したのは昨日今日の話ではなさそうなのだ。
私の問いにネルイルは椅子に座りテーブルに肘をついた状態でじとっとした目を向けてきた。
「もう一月くらいいるわよ。むしろなんであなたたちこんなに遅いの?」
「お前たちは馬だろう。私たちは徒歩だったし、森の中を通ってきたからな」
「だとしても、距離的には半月も歩けば着くわ。寄り道しすぎなんじゃない?」
「それはある」
ほとんど私のせいだろうな。
野草を調べて自力でポーションを作ってみたり、ルトに術式を教わったり、シンディと曲の相談をしたり。
特に急ぐことも無くゆっくりと進む私たちの旅はとにかく無駄が多いのだろう。けれど、それでいいとも思っているので今更変えるつもりはない。
私はネルイルの正面の椅子に腰掛けた。その横に少し重い空気を背負ったルトが座り、アスハイルとシンディは調理場の方で作業を始めている。
シンディも貴族の屋敷に勤めていただけあって、茶を淹れるのは得意なのだそう。だが料理となると知っての通りだ。
「それより貴女はなんなの?魔術師ってわけでもなさそうなのに、あの術は何?どこの種族?」
「一応人間なんだが」
「嘘ね。人間にあんな芸当できないわ。あたしたちだって杖を持ってようやく大きな魔術が使えるんだもの。それに比べて貴女は何も持っていないじゃない」
ネルイルはよく喋る女だった。
魔術師なだけあって保有する知識量もかなり多い。次から次へと寄越される情報は私も知らない事ばかりで、聞いているだけでもそれなりに面白かった。
現代の魔術師の在り方。魔術師と魔物の使う術の違い。慈善活動について。教会の方針について。
シンディが人数分用意してくれた紅茶を飲みながら、私はしばらくネルイルの話に相槌を打ちながら聞き入っていた。
私に魔術を教えてくれた人は古い時代の人間だったので、どちらかと言うと私もそっち寄りということになる。
大きな魔術を使うのに杖がいるだなんてことは初めて聞いた気がする。杖というかそこに付けられた魔石が関係しているのだと思うが、そういえば私も魔石から作った鍋を振り回していた時はそれなりに大きな魔術を使っていた。あれは鍋が杖の魔石と同じ役割を果たしていたということなのだろう。
「だから魔物と言われた方がしっくりくる。ねぇ貴女――エルって言ったかしら。本当に何者なの?」
「人間なんだけどな……」
「まあ、エルの戦いを見たら疑問に思うのはよくわかるよ。それだけ凄いことをやってるってそろそろ自覚してもいいんじゃない?」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
とんでも魔道具を幾つも生み出しているところとか、あらゆる魔法や魔術を模倣できてしまうところとか。教会の魔術師にここまで熱心に勧誘を受けるくらいなのだから、ルトもそろそろ自分の能力の高さを自覚するべきである。
ルトが会話に入ってきたことでネルイルも少し考えを改めたらしい。まだ半信半疑といった様子ではあるが、一先ずこれ以上魔物扱いをされることは無さそうだ。危険だから討伐するとか言い出されたらどうしようかと思っていたのでそうはならなくて良かったと思う。
「本当に人間でその力を持っているって言うなら、悔しいけど確かに逸材よ。それなら貴女も教会に――」
「できたぞ!」
真剣な話の途中であったが、ネルイルの言葉を遮ったのはそんなアスハイルの大声だった。こいつ、毎回タイミングが良いのか悪いのかわからん奴だな。
しかし、先程から室内に漂う香りは食欲を誘う物だったので、私の感心もあっという間にそちらに奪われてしまう。悪いなネルイル。
「今朝仕入れた魚のムニエルだ。それからありもののサラダと、スープは昨日の残りで悪いな。代わりにパンと素揚げは食べ放題にしてやるから好きなだけ食え!」
片手にお玉を握ってそんなことを言っているアスハイルの横で、素揚げの魚を摘み食いしていたシンディの瞳が輝いている。
「エル、ルト!アスハイルの腕は本物ですよ!お屋敷の料理人にも引けを取りません!」
「あっ、ずるい!僕もひとつ!」
「私にももらえるか」
「ちょっとあなたたち!勝負ってこと忘れてない!?」
そんな物は二の次だ。調理場の方へ行くと身長が足りずに台の上が見えない私に、アスハイルは小皿に取り分けた素揚げの小魚を差し出してくれる。行儀が良くないことを理解しつつも尻尾を指で摘んで口に放り込むと、サクッと小気味良い音がした。
「う、美味い……!!」
絶妙な揚げ加減。振りかけられた塩の味も濃すぎず薄すぎずちょうど良い。一口サイズなので子供の私でも食べやすく、つい止まらなくなってしまう。
「おいお前ら、椅子に座って食え。今大皿持っていってやるから」
そんなお叱りに私たちはそそくさと席に着いた。
小魚だけでなく野菜の素揚げも乗せた大皿をテーブルの中央に、拳サイズの丸パンが幾つも乗った皿もその隣に並べられる。それからメインのムニエルは一つ一つ綺麗に盛り付けられたものがそれぞれの前に置かれ、サラダもスープも同じように。
ここは飯屋かと思うくらい豪華な食事がそこには並んでいた。
そうして始まった食事は私たちにとっては久しぶりのまともなもので、思わず感動して食べ過ぎてしまったのはやっぱり一月以上も続いた焼肉生活のせいだった。
「美味かった……」
「一番のガキが一番食ったな。そのちっこい体のどこに入ったんだ?」
「私の胃袋は底がなくてね……」
「いや、流石にあり得ないでしょ!一週間分の食料食べられちゃったんだけど!?」
「まあ食材はまた買えばいいけどよ」
性質上、満腹感は無いものの大いに満足できたと思う。その感覚のままテーブルに突っ伏した私の横に紅茶のお代わりをシンディが置いてくれた。
「ありがとう」
「ふふ、美味しいものが食べられて良かったですね」
「うん……」
体を起こして紅茶を口に含むと、ほっと落ち着く感じがした。
「こうしているとただのガキなのにな」
「こうしていなくてもただの子供だよ」
最早勝負という雰囲気ではなく、片付けの済んだテーブルを囲んだ私たちはそのまま穏やかな話し合いを開始した。
まずルトのことであるが、やっぱりそれは本人の意思を尊重して欲しいこと。私からはそれ以外に言うことはない。教会に入って慈善活動家になっても良し。私に着いてきて旅をしながら絵を描くも良し。個人的な意見を言うならこれからも共に旅ができたら嬉しいと思うが、これを押し付けるつもりはない。
ルトは変わらず私と共に旅を続けることを選んだ。改めて断りを入れた彼に、流石のネルイルももう何も言わなかった。
「俺とガキの決闘はどうなる」
「まだ言うか。戦う理由は無くなっただろうが」
「別のものを賭ければいい。なんなら何も賭けなくてもいいから決闘しろ」
「意味がわからん」
どうやらアスハイルは相当な戦闘狂であるらしい。
せっかく料理の腕前も料理人並みで、魔術師としても優秀なのだからもっと世の為人の為になる事をすれば良いのに。
ネルイルは慈善活動家と言われてしっくりくるのに対し、アスハイルは闘技場で剣闘士でもしていそうな男である。
「うちのお兄ちゃん、強い人と戦って自分を鍛えたいって考えなの。いつも言葉が足りないんだよね」
「足りないどころの話じゃないな」
鍛えたいならそう言えばいいのに。要は見聞を深める為に手合わせしたいって事だろう。それなら別に闘技場を借りなくてもできるはずだ。
「わかった。飯も食わせてもらったし、街の外で良かったら相手をするよ」
もちろん賭けは無しだ、と言えばアスハイルが大袈裟なくらいの勢いで拳を握りしめたので私たちは思わず笑ってしまった。
そうして早くも翌日には手合わせをすることになり、今日のところは彼らの借家に泊めてもらうことになったのだ。




