四十三
正直、少し怒っている。
もちろん、私自身も楽しみにしていた品評会を中断させてしまったことについてである。
この子供を見張っておいてくれという依頼も、こうなってしまっては報酬も期待できないだろう。せめて怪我人が出ないように事を収めたいところだが、これだけの悪魔を放たれてはそれも難しい。
初めて見る悪魔もあれだけいると感動も何もあったものじゃない。
いったいどうしてくれるんだ。
いや、油断していた私が悪いのだけれども。
街全体に魔力感知を発動させると蠢く黒い魔力が大量に見えた。いっそのこと、ここから針でそっちを攻撃しようかと思っていると、ゼグの方から魔力の塊が飛ばされてくる。
「ダメだぜ。エルはオイラと遊んでるんだから」
「……そうだったな」
仕方ない。やはり街の方はルトやシンディたちに任せるしかないようだ。
改めて作った結界の壁に立ち私は正面からゼグを見据える。足止めと言わず、本気で倒すつもりで行こう。そう決めて、手に持った鍋に魔力を集中させていく。
剣ではなく、ハンマーのようなイメージで。鍋に纏わせた魔力を広げていく。
これは元々魔石から作っている道具であり、更にルトの術式も刻まれているので出来ることは剣よりも多い。
そうして重さは変わらずに私の体と同じくらいの大きさで光のハンマーが出来上がった。
「へぇ、面白いものを持ってるね」
「面白がっていられるのも今のうちかもしれないぞ」
私はハンマーの頭を下げて構えると、髪に潜っていたシロにルトの方へ行ってもらうよう静かに頼んだ。ダンジョンの時と同様、戦闘中に無防備になりがちな彼を護ってもらう為である。
この状況下では接近戦が得意な私やシンディよりも、協力な大技を持つルトの方が役に立つだろうから。
(いいのか。あれは強いぞ)
(うん。死なない程度に頑張るよ)
(……わかった)
シロも私が何を思っているかくらいわかっているはずだ。ルトのことも心配ではあるが、それよりもゼグとの戦闘にシロをこれ以上近付けたくないのである。
死にかけの鳥、の意味すら私はまだ知らされていないのだから。
足を強化して立っていた壁から飛び上がる。それと同時に飛び立ったシロのことは見ずに、ゼグだけを視界に捉え私はハンマーを思いっきり振り下ろした。
風で加速し、炎を纏い、重力に従って叩きつけたハンマーをゼグは難なく受け止めてみせる。
「そうだよなッ!」
受け止められたこと自体は不思議じゃない。相手は魔王だ。並の攻撃じゃ通用しないことくらいわかっている。
だから私はその攻防の中で更に強化の術式を展開させた。
纏った炎が勢いを増し、重さは変わらずに押す力だけが一時的に急上昇。最早ゼグの姿すら見えない炎の中で私はそれを力任せに振り抜いた。
ドゴォォオン!!!
炎が燃え移った塊が派手な音を立てて下の民家へ突っ込んでいったのを見届けて、思わずハッとする。
「人、いなかったかな……」
避難は進んだだろうか。私たちの戦闘に巻き込んだとあっては流石に命の保証はできそうにない。
こういう時に魔力感知に人間が引っかからないのは不便である。
また魔力の壁に足を付くと、ゴゴゴゴゴ……と地響きが聞こえてきて私は恐る恐る上空から下を覗き込んだ。
地面が揺れている。地震じゃない。ゼグが落ちた場所を中心に地面が揺れ、崩れていく。倒壊していく建物の間から黒い魔力がブワッと溢れ出してきて、私はぞわりと一瞬体が震える感覚を覚える。
「お前これ……私の魔力なんかもう必要ないだろ……」
つい苦笑してしまう。
この光景を魔力感知で見れば一目瞭然だ。そこに広がるどす黒い魔力の海。一個体が持っていていい量じゃないとすら思えてくる。
生まれたばかりでこれなのか?
だとすると昔の魔王はどれだけヤバいやつだったのやら。お伽話でしか知らない勇者を尊敬してしまいそうになる。
やがてそこにあった建物や地面が全て粉々に砕かれると、中央に立つゼグの姿が見えてきた。
「無傷、ね」
あの程度では傷一つ付かない。それがわかっただけでも価値があったと思うことにしよう。
ふと顔を上げたゼグが楽しそうに目を輝かせているように見えて、私は嫌な予感がした。
静かに。物音すら立てずにどす黒い魔力の海が動き出す。
一瞬で針山のように突き出した魔力に、思わず鍋の強化を解いて翼を作って空を飛んだ。
次から次へと生成されるそれに避けるのがやっとといった状態で、避けきれずに何度か掠っては擦り傷が幾つかできてしまう。けれど止まってはダメだと自分に言い聞かせながら、やっとの思いで魔力の範囲外へ逃れることに成功した。と、一安心したのも束の間。
今まで真っ直ぐにしか伸びなかった尖った魔力がグニャと曲がってこちらへ向かってくるではないか。
「そんなのも有りってか……!」
くそ、こんなこと言いたくはないが力の差がありすぎる。これじゃあ本当にただの遊び相手にしかなっていないじゃないか。
私は両手を前に突き出し強化の術式を可能な限り並べて展開していった。そこに魔力を流し込むと強化された結界の壁が百層ほど一気に出来上がる。
それでも迫ってくるゼグの魔力を完全に止めるには至らず、若干勢いが収まったうちになんとかその場を離脱した。
ついさっきまで居た場所が串刺しになっている様子を遠くから眺めながら私は必死にこの状況を打開する方法を考えていた。
ゼグの魔力が膨大すぎるのが一番の問題だ。一部だけが海のようになった場所の中央に立っているせいで近付くことすら出来そうにない。
魔力の針を打ち出せば相殺される。壁はあっという間に破壊される。動きを止めても近付いても串刺しだ。どうしよう。
「せめて私も同じことができれば……」
そう考えて、ふと思い至った。
出来るんじゃないか?
そうだ。シロに教わった針を生成する魔法や魔力を自在に変形させる技術だって。そのまま使い続けてきたが、よく考えればもっと違う使い道もあるはずだ。
とにかくやってみよう。幸い今は何をしても大丈夫そうな奴がそこにいるのだし。
そうして私はまた宙に壁を作って降り立った。すぐさま黒い海から突き出されたゼグの魔力が何本も襲いかかってくる。
周囲に張り巡らせた魔力を一箇所に集中。握りしめるようなイメージでギュウッと一塊に。更に強化の術式を展開し、光の球体にそれを組み込む。これで圧縮された協力な魔力の塊が出来上がった。
あとは向かってくる魔力と同じような状態をイメージしながら方向を決め、解き放つ!
ドオォォオン!!!
音も無く白い光の中から飛び出した線状の魔力が、黒いそれとぶつかってまた派手な爆発が起きた。
上がった土埃の中魔力感知で見てみると、確かに相殺された事を知る。
「よし、これなら……」
戦える。
私はすぐさま移動を開始した。
新しく伸びてきた黒い魔力をくるくると回避しながら上空へ。時折止まっては先程と同じように相殺しながらとにかく上へ。
そうしてゼグの魔力の真上、はるか上空へとやって来た私は地に頭を向けて停止した。
翼を消す。ふわりと体をその場に留める為の風が吹く。これはルトの術式から出ている風である。
重力と風の合間で揺れる髪を視界の隅で捉えながら、私は足元に魔力を集中させていった。
イメージは空。ゼグの魔力みたいなどす黒い海じゃない。私のこれは――シロの魔力は、どこまでも続く空のようであってほしいと願うから。
空が光る。白い魔力で埋め尽くされる。
今、私の足元に広がるそれは契約からもたらされる幻獣の持つ無限の魔力。
私が意識を地上に向けると同時に足元から伸びた無数の白い魔力が、地上から伸びてきた黒い魔力とぶつかってあちこちで爆発を起こし始めた。
体を強化しその中を落下していくと、同じくこちらへ向かって来たゼグと再び交わる。
「やっぱりエルは面白いなぁ!」
「そうか、よッ!」
もう一度鍋に纏わせた魔力をハンマー状に形成し炎を纏わせた。風と強化を使い分けながら何度も打ち込み、受け止められる。
たまに繰り出される長く黒い爪はこれも魔力で作り出したものだろうか。掠った頬がスッパリと切れたので、下手なナイフよりもよっぽど切れる。
私たちは白と黒の魔力が入り混じる空間で、そんな攻防をしばらく続けていた。