四十一
シンディが脱ぎ去った灰色のローブは瞬時にその形を変え、美しいベールとなって彼女の周囲に留まった。
あれにはルトの術式の数々が編み込まれているので、彼のペンと同様とんでも魔道具と言っても差し支えないと私は思っている。
ベースになっているのは幻影魔術。そこに風や強化やあれやこれの術式を追加していった結果、使い手の思うがままに変形するという不思議な布が出来上がってしまった。
素材は鉱山で取れた魔物の魔石を糸状にしたものとタランキュラスの糸を使っているから外からの魔力の供給も必要がない。
あの時は気分的に疲れていて悪ノリしてしまった私も悪いとは思うのだけど……止めてくれる奴がいなかったんだから仕方がないと思うのだ。
それにしても、鉱物を布の素材にするというのはこの街で立ち寄った布を扱う店で知った技術だが、まさか自分が作ることなるとは。
そんな魔道具と化したベールもシンディが持つとただ美しいものに見えるのだから不思議である。
彼女の持つ藍色の髪。毛先に行くにつれ明るくなるそれは、今朝見た時よりもだいぶ短い。おそらく着付けの際にクラリスが整えたのだろう。隠れていた赤紫の力強い瞳も今はしっかり見えている。
褐色の肌に合うようにと、衣装に使われているベースの色はクラリスが悩み抜いた末に選んだという白。髪と同じ藍色を織り交ぜながら、縁に少しだけ黒や金を使うことで引き締まった印象を与えている。
そんな衣装の表面には細かい装飾品が散りばめられていて、かなり豪華な出来栄えだった。
金の腕輪とそこから続く柔らかい腕貫。魔石の埋め込まれた首輪にシンプルだけれど美しい胸当て。細かい細工の入った腰回りの飾り。動くたびにひらひらと揺れるスカート。足首には金色のシンプルな足輪。他にも細かな装飾の付いた揺れものがいくつか。
髪は動きを見せる為にあえて結ばず下ろしている。その代わり頭には揺れる金のアクセサリー。
うん、よく似合っている。
クラリスとルトは実に良い仕事をしてくれた。二人がいなければあれほどの物を用意することはできなかったかもしれない。
突然現れた華やかな踊り子の姿に会場は一瞬ざわついた。
ここまで露出の多い衣装は普段街中でも滅多に見かける事はなく、特に貴族からは少し嫌厭されがちだ。
けれど、それがどうした。華やかな衣装で自分を飾ることの何が悪い。
シンディは武闘家であるが故に程よく筋肉の付いた体つきをしている。スラリとした手足に引き締まった腰回り。こんなにも見応えのある人間が他にいるだろうか。
それでも鼻の下を伸ばす輩や、破廉恥と嫌厭する貴族がいるなら、それ以上のものを見せてやれ。
と、そこで現れたのは先に出番を終わらせた二人。訓練場の端にそれぞれ控えているということは、手を貸してもらうことになったのだろうか。
二人は共に音楽系の芸を持つ。確かにシンディにとっては相性の良い組み合わせだろう。
そんな三人が同時に舞台に上がったことで、少しざわついた会場の雰囲気が徐々に落ち着きやがてシンと静まり返っていく。
動きを止めたシンディが目を閉じて顔を伏せた後。
ついにそれは始まった。
――息を吸い込む、音
ゆったりと、伸びやかで柔らかい声が響く。
先程聞いたものとは少し違う。この舞台ではあくまで脇役なのだと、それがわかる歌い方。
それに続くは温かい風のような笛の音。
主旋律をいく歌を支えるようにそっと添えられたその音色は、けれど埋もれる事はなく。
そうして静かに始まったのは、この国に暮らす者なら一度は耳にしたことのある勇者伝説の物語を音に乗せたものだった。
昔の話。
一人の勇者が仲間たちと共に魔王を討ち滅ぼしたお伽話。
子供にもわかるように歌に乗せて語り継ぐ文化があるとは聞いたことがあったが、実際に聞くには初めてだった。
これは勇者を側で見守った仲間の視点で描かれた物語だ。たくさんの仲間はいたけれど、勇者は常に孤独だったことを伝えている。戦いの激しさも、仲間を失う苦しみも、風化させることの無いようにと、願いの込められた物語。
シンディは、そんな歌と物語の世界を大切に昇華しながら踊り上げた。
その光景は、伯爵邸の裏の林で初めて見た時よりも更に――いや、比べようもないくらい綺麗で、息も忘れるくらい洗練されていて、目が離せない。
軽やかな足の運び。指先まで意識された柔らかい動き。何よりくるくる変わるその表情が、目線が、見ている者の胸を熱くする。
揺れる髪。シャンと鳴るアクセサリーの擦れる音。ふわふわと漂うベールも今日初めて手にしたとは思えないくらい自由に使いこなしている。
(……綺麗だ)
会場にいる人間はもちろん、私もこの時ばかりは時間を忘れて見入っていた。
夢を追う人間は、本当に美しい。そう思う。
次第に物語は佳境に入っていく。
歌も徐々に早くなっていくと見ている側も期待感が増す。シンディも見事だが、それを支える二人も本当に凄い。
そうして気持ちが昂って来たところにパン、と布を叩くような音がした。シンディがベールの端を掴み勢いよく前へ突き出したのだ。
それによって何が起きたかというと、ベールが二つに分かれ更に扇のように形を変えていた。これには私も驚いた。使い手の思うままに形を変えるよう術式を仕込んだので不可能なことでは無いのだが、まさか分裂するとは。
(何でもありか……?)
どうやら一応ベールとしてのひらひらした質感は残したまま、持ち手部分だけが扇の形になっているようである。
よく見ればシンディは歌に合わせて風を起こしたり、氷の結晶を作ったりもしているので、術式も使いこなしているらしい。
いよいよとんでもない物を生み出してしまった実感が湧いて来た。
あんなもの貴族の前に晒して大丈夫か?
私は途中からそんな不安を感じながらも、今だけはシンディの晴れ姿を目に焼き付けることにした。
歌が終わり、シンディの動きが止まったところで、この素晴らしい時間が終わりを迎えたことを理解した。
見惚れていた者が多かったせいで拍手はまばらに始まったが、すぐにワッと歓声が上がる。
割れんばかりの拍手の嵐に耐えきれず笑顔を爆発させたシンディは、多分何人か落としているに違いない。
ぴょんぴょん飛び跳ねて周囲に手を振る笑顔の彼女を、私は笑いながら満月の下から見守った。雰囲気に酔っていたのかもしれない。
だから、少し、油断していた。
「気に入らないなぁ」
すぐ隣から聞こえてきた氷のような冷たい声。
私がハッと我に返ってそいつを見ると、同時にバチリと電気が走ったかのように強制的に魔力感知が発動する。
「エル。なんで人間は勇者を褒め称えるんだろう」
冷たく刺さるような魔力だった。
刃のような瞳だった。
「何があったかなんて、誰も覚えてないくせに」
「待て。落ち着け、ゼグ」
こいつは魔王なのだと、この時私は本当の意味で理解した。
「――やめろ!!!」
そんな静止も無意味に終わり、突然放たれた黒い魔力の塊は、訓練場の――シンディ目掛けて一直線に飛んでいったのだ。