三十九
辺りが暗くなってきた頃、遊び倒して満足したのかゼグは大人しくなった。
今は祭りの喧騒から少し離れた場所の、ここらで一番高い建物の屋根に登ってアイスキャンディを並んで食べている。すり潰した果物を氷で固めたものだ。それだけなのになかなかに美味い。
今頃シンディは着付けが終わって会場に向かっている頃だろうか。少し距離はあるがこの場所からも訓練場は見えるので、本番は見られるかもしれないな。
こいつがこのままじっとしていてくれたらの話だが。
「あの場所、なんか人が集まってるな」
思った矢先、ゼグの興味が訓練場へ向いてしまったことに私は少なからず焦りを感じていた。
「……女たちが芸を披露するらしいよ」
「へぇ、行ってみようぜ!」
こうなったゼグは止められない。今日一日でそれを実感したからこそ私は黙って後を着いて行った。
石造りの訓練場と、その周りを囲むテーブルが置かれた芝の庭。そこに集まった人々の数はかなり多い。
ぱっと見た限り、庭にいるのは街の住人や外から来た冒険者といった一般人だろう。ならば貴族は訓練場の二階に集められているのかもしれない。外からは見えない方が余計な争いも起きずに済む。
ゼグはそれらが一望できる家の上まで来て再び腰を下ろした。あの人混みの中に混ざる気が無さそうなのは一安心だ。
会場は朝来た時とは雰囲気がまるで違う。灯りが灯った訓練場と、庭のテーブルに置かれたランプのおかげで辺りは結構明るかった。
目立つのはずらりと並べられた作品の数々。
絵画や生花、織物に陶芸品。他にも色々。私から見てもどれも素晴らしい出来栄えのものばかりで正直驚いていたところである。この技術は確かに欲しがる貴族もいるだろう。
思えば、芸術家の大半が平民の出だった。
彼らは貴族のように芸術を当たり前に学べるわけじゃない。魔術師が増え豊かになったとはいえまだまだ不便も多い世界だ。金も時間もかかる芸術を極めるのがどれだけ難しい事かくらい子供でも知っている。
それでも平民から芸術家が生まれてくるのはきっと、夢を見れるからだと私は思うのだ。
「皆様。今宵はお集まりいただき誠に感謝致します」
訓練場の中央に立った女は、赤い髪に派手なドレスを着た美しい女だった。しかしその派手さも不快にならないような、どこか凛とした佇まいについ目が離せなくなる。
「わたくしはリリシア。リリシア・モンティス。この品評会の主催者でございます」
その名前には聞き覚えがあった。街の人間にギルバーの話を聞くと必ずと言っていいほど着いてくる名前だったから。
リリシア・モンティス。ギルバーの妻である。
元は平民の生まれらしいが、ギルバーが彼女に惚れ込み彼女もそれに応えたことで周囲の反対を押し切って結婚。その後身分のことで多くの嫌がらせを受けてきたが、持ち前の気の強さと絶え間ぬ努力で周囲を実力で黙らせた女。
彼女は、女の強さを体現したような存在だった。
なるほど。このイベントは、何かと男が取り上げられるこの世界で、芸術界でも埋もれがちな女の為の品評会だったわけだ。
ただ女を見せ物にしようというものじゃない。その証拠こそがリリシアの存在というわけである。
「これより披露されますのは、女たちが努力の末に身につけた技。決して罵倒されませんようよろしくお願い申し上げます」
これは脅しだ。そう思ったら思わず笑ってしまった。
これだけの人数を相手に牽制できるだけの地位と名声を自力で勝ち取った女だ。見ていてこんなに清しいものはない。
「今のそんなに面白かったか?」
「ああ。面白いよ」
ゼグにはわからないか。そうだよな。全く別の価値観で生きている魔王に人間の事情がわかるわけがない。
つまらなそうに会場を眺めているゼグはこの調子なら大丈夫だろうと思い、私は始まった品評会に意識を向けることにした。
まず出てきたのは会場に飾ってある作品の制作者たちだ。彼女らには見覚えがあった。今日も朝からこの場所で作品の展示作業を行っていた者たちである。
この日のために用意したのか、全員が上品なドレスを身に纏っている。おそらく仕立て屋の仕事だろう。
クラリスが今日は店が忙しいと言っていたのはこれかと私は納得した。
彼女らは作品一つ一つを丁寧に解説し、これを作成したのは自分であると胸を張って語り始める。それに対して寄せられる感心の声と温かい拍手は会場を和やかな雰囲気に包んでくれていた。見ているこちらとしても気分がいい。
時間をかけてじっくりと作品の解説をし、それが終わると並んでいた女たちは深々と一礼して満足そうに舞台を降りていく。
きっと後から声のかかる者もいるだろう。そう思えるくらい本当に良いものが揃っていた。
それから一度リリシアの案内が挟まり、次の部が始まる。
たった一人訓練場の中央に立ったのは、土笛のようなものを手にした女だった。どうやらここからは作品ではなく己の技そのものを披露する者たちが出てくるらしい。
よく見れば彼女が持っているものはオカリナと呼ばれる楽器である。
貴族なら音楽は聞く機会の多いものだ。社交界に出れば男女共に音楽に合わせたダンスは必須の能力であるし、趣味として何かしらの楽器を嗜む者もいると聞く。
そんな耳の肥えた奴らを前に貴族ではまず手に取らないオカリナを持ち出してくるとは。私自身はその音色を聞いたことがないが、果たして受け入れられるものなのか。
そんな疑問はすぐに消えた。
ぽーっと柔らかい音が一つ会場に響いたと同時に、ざわざわとした雰囲気が一変した。会話がピタリと止まり、音の出どころへと皆が目を向けたのだ。
そうして始まった演奏はそれはそれは素晴らしいものだった。
同じ笛でも社交界でよく知られる木管楽器とは違う素朴な音。それでいて温かく、どこか懐かしい。つい聞き入ってしまいたくなるのは、吹き手の技術が高いからなのか。
聞こえてくるのは聞いたこともない曲なのに、終わってしまうのが勿体無いとすら思う。
やがて曲が終わりを迎えると、思い出したように一斉に温かい拍手が湧き上がった。
吹き手の女は深々と頭を下げ何食わぬ顔で舞台を降りていく。肝の据わった女である。そこがまた面白い。
良いものを聞くと自然と体は動いてしまうもので、私も手を叩いて精一杯の賞賛を送っていた。
この次に出てくるのは流石に厳しいのではないかと思われたが、現れた女は自信に満ち溢れた顔でそこに立ったのだ。
楽器を持っている訳ではない。動きにくそうな派手なドレスを着ているから、シンディの踊りとも違う。
何が始まるのだろうかと少しわくわくしながら待っていると、目を閉じた女は息を大きく吸い込んだ。
歌だ。
派手な見た目の印象からは想像もできないほど穏やかで、それでいて優しい声をしている。曲は劇場で歌われるようなものでも、ダンスの後ろで流れるものでもない。こちらも聞いたことがないので自作だろうか。だとすると素人とは思えない完成度である。
いや、それよりも。
主役は歌詞だとでも言うように言葉の一つ一つを聞き手に届けるような歌い方。それこそが彼女の歌の魅力である。
歌に合わせて手を体の前でゆっくりと動かしながら、まるで宝物のように言葉を声に乗せるのだ。
だからこそ響いてくるものがある。じんわりと染み入るような感覚に、これを感動というのかと私は思わず胸に手を当てていた。
大きな拍手に包まれて、女は慣れた様子でカーテシーを披露した。
どうやら貴族ではないまでも、こういった舞台は何度も経験してきているようだ。
そういう参加者もいるのだなと私も拍手を送りながら、なんとなく不安に駆られる自分に気付き始めていた。
シンディは大丈夫だろうか。
能力的には先の二人にも引けを取らないものを持っていると確信はしているが、言うまでもなく今夜が彼女にとっての初のステージだ。こんな大勢に囲まれて踊ったことなど一度も無いだろう。
そんな私の考えを遮るように、次の参加者が舞台に上がった。
素足に灰色のローブを纏っていて姿が見えない。けれどその足首に見覚えのある金色の飾りを見つけて私は確信した。
――シンディだ。