三
カラカラカラ……カラカラカラ……
(馬車の音……)
ザーザー ヒュゥゥ ゴロゴロ……
(随分と荒れている……)
ぐすっ…… ぐすっ……ずずっ……
(誰かが……泣いて……?)
ふと目を開ける。
何度か瞬きしてようやく意識がはっきりすると、目の前の光景が否応なく視界に入ってきた。
子供がいる。それも一人や二人じゃない。私と同じくらいの子供が十数人。
全員手足を鎖に繋がれ檻のような空間に押し込められているようだ。泣いている子もいれば何もかも諦めたように遠くを見つめているだけの子もいる。
ああ、そうか、ここは奴隷を運ぶ馬車の中なのか。
資料でこういう存在もあると知ってはいたが、実際自分が放り込まれることになるとは夢にも思わなかったな。
理解してようやく気付く。
あの男たちは奴隷商人かあるいは人攫いのどちらかだったのだ。
依頼をしたのは当然レイランだろう。御者も買収されていたかもしれない。子供一人を街中に放置しておくなんてまともな大人ならまずやらない。怪しいとは思っていたがまさかこんなことをしでかす女だったとは。
私はあの女の思惑通りまんまと売られてしまったわけだ。レイランの迷惑な行動力と自分の浅はかさにはほとほと呆れるばかりである。
思わず溜め息を吐くと体に激痛が走った。
そういえばかなり強い蹴りが入っていたなと思いだす。子供の体は脆い。骨の数本折れているかもしれない。
襟首の焼けるような痛みは火傷だろう。こっちは自分で負った傷だが治療も何もされていないとなると感染症の危険がある。
せめて魔術で回復を……と頭の中で術式を組み立てるが何故か一向に発動しない。不思議に思ってなんとか体を起こそうとしてみると不意に両の手首にかけられた拘束具が目に入った。
(魔術封じの枷……)
これも資料で見たことがある。魔力を吸収する鉱物を嵌め込まれた対魔術師用の枷である。
作りが雑なところを見ると正規のものではなさそうだが、実際今の私は魔術が使えないので一定の効果はあるのだろう。
なんてこった。これじゃあ本当になす術がない。確かにあの男たちに対して魔術で応戦したわけだが、そのせいでこんなものを使われてしまうなんて。
あの時抵抗しないで連れ攫われた方がまだやりようがあったんじゃないか?……いや、レイランから情報が漏れていないとも限らない。男が目印がどうとか言っていたしこちらの手の内は知られていたとしても不思議はない、か。
楽な体勢で横になり、もう一度目を閉じて考える。
攫われてからどれだけの時間が経ったのかわからない。けれど辺りの暗さを考えると今が夜であることはわかる。外は雨風が強く、時折響く雷が荷台の中を一瞬照らす程度の光しかない。
(それから、やけに揺れる……)
こんな馬車が平然と街道を通っているとも思えない。ならば山道か?
確かシャンデンの街から北は深い森になっていたはずだ。整備されていない道も多く存在している。そこから東は地図にも載っていないような未開の地。いかにも悪人が使いそうな経路だろう。
だがもしそんなところを通っているなら行き先はおそらく更に北。国境である山を超えた先にある大国だ。連れて行かれたら最後。自力では戻れない。
(逃げなきゃ……)
相変わらず体を動かすと激痛が走る。けれどそんなことを気にしている余裕はない。
体を引きずりながら荷台の端まで寄り、四方を囲む鉄製の格子を両手で掴む。
よく見れば外から布がかけられているだけの粗末なものだ。これをどうにかできればいい。それだけで外に出られる。
(魔術封じの枷で封じられる魔術には上限があったはず。私がそれを越えればいいだけ……)
この世界の魔術の強さは理解と知識量に比例する。
そもそも魔術を使うには魔力が必要不可欠である。それは貴族であれば生まれつき持っている才能で、当然私にも備わっていた。
加えて辺境伯家という恵まれた環境で何年も書庫の本に囲まれ時期当主にと焚き付けられて育ったのが私なんだ。
「こんな粗悪品に負けてたまるか……!」
正直、この時の私は頭のネジが全て抜け落ちた状態だったのだと思う。
弟を跡継ぎにすると父から告げられた時から今この時までの短い間に起きた出来事は、どれも腹立たしいものばかりだったから。
考えたくもないのにやたら脳裏にチラつく金髪とか。
汚れてしまったけれど今着ている動きにくいお下がりのワンピースとか。
力に屈するしかない情けない自分とか。
体中に走る生まれて初めての激痛とか。
溜まりに溜まったフラストレーションは少女の類稀なる才能と莫大な知識量に更に上乗せされ、結果、大爆発を引き起こすことになったのだ。
(…………あれ……?)
再び意識が戻った時、自分の状況がわからなかった。
薄らと開けた目の視界に映るのは切り立った崖と降りしきる雨。それから無数に伸びる枝、だろうか。暗くてはっきりとはわからないが、私は木か何かに引っかかっているらしい。
(なにがあったんだっけ……)
街に行って、攫われて、起きたら魔術を封じられていて。それから……体中が痛くて、でも逃げなきゃって……そうしたら……
(ばくはつ、した……)
街で使ったものとは比べ用もないほどの威力だった。鉄格子は当然のように吹っ飛んだし、なんなら馬車ごと粉々になったんだと思う。
よく生きていたなと思うのと同時に、一緒に捕まっていた子供たちがどうなったかを考えると複雑な気分だった。
(体の感覚がない……魔術は……ダメだ魔力がもう残ってない……けど爆発したってことは発動はしたんだ……枷は外れたのか……?)
自分の体がどうなっているのか確認したいのに腕どころか指一本動かせない。視界もまた掠れてくる。意識がもう保てない。
(あ……これ……しぬ、か……も…………)
そんな薄れゆく意識の中で幻覚を見た気がした。
(父親にあれだけ大見得を切っておいて最期は自爆か。情けない)
光だ。
視界を覆い尽くすような白い光。その中に浮かぶ綺麗な赤が二つこちらを見下ろしているように見える。
(……うるさい。これでも精一杯やったんだよ)
(それで死んでいては意味がないな。結果的にあの女の良いように事が運んだだけだろう)
好き勝手言いやがる。
でもその通りなので返す言葉もない。
自分の能力に自信があったのは確かだ。けれど女だからというだけで父には話すら聞いてもらえなかった。
レイランはそんな私を嘲笑うように何もかもを奪っていってしまった。
何もできない子供である事。世間では圧倒的に弱い立場の女である事。それが悔しい。
でも何より悔しいのは、自信のあった魔術があんなチンピラにすら通用しなかったこと。
私は外の世界を知らなすぎた。
(……死にたくない)
(ほう)
ふと目の前でソレが笑ったような気がした。
(なあ、誰だか知らないが嫌がらせでわざわざ話しかけてきたわけじゃないんだろ?)
幻覚かと思ったがよく見れば実態がある。
こいつと話し始めてから沈みかけていた意識が戻ってきているのも気のせいではないはずだ。
私は今この謎の光に生かされている。
それならば。
(取引がしたい)
(ふむ。死にかけている時にその余裕。すごいな)
(寧ろこんなこと冷静にならずに言えるか)
私は善意というものを信用していないのだ。一方的な思いやり精神などなんの得にもならない事がほとんどだと思うからだ。
そんな曖昧なものに縋るくらいなら取引をして利益でお互いを縛る方が信用も安心もできるというもの。
現にこいつがこうして私を生かしているのも何か企みがあってのことだろう。安易に生かしてほしいと頼み込んで後からとんでもない要求をされたどうする。ここで死んでいた方がマシだったと思うかもしれない。そんなのはごめんだ。
(私の望みはさっきの通りだが、お前の目的と要求も先に聞かせてくれないか)
明らかに人ではない。ならば魔獣の類いだろうか。どっちにしろ信用はできないが、私の望みを叶えられるのは現状こいつだけであることに違いはない。
答えは返ってこないかもしれない。そう思っていたけれど、案外すぐに返答は寄越された。
(俺はお前の魔力が欲しい)
(魔力……?)
意味がわからない。
目の前の光は明らかに魔力を帯びた存在だ。しかも私なんかとは比べようもないくらい莫大な。
既に持っているものを何故欲しがる?
(意味がわからないと言いたげだな。それもそうか)
よく聞け、と。ソレは律儀に説明を始めた。
要は人間と魔獣の魔力は全くの別物なのだそう。
人間にとってその違いは意味のないものだが魔獣にとっては違う。
(美味いのだ。人間は)
(えっ……)
ジュルリと音が聞こえて感覚の無いはずの体が本能的に硬直した気がした。
(魔獣は人間をそのまま食う奴が大半だ。けれど俺は気付いたのだ)
(な、何を……?)
(美味いのは魔力であって人間ではないとな)
(あ……そう……)
人間の味とか知らんのだが。
(そこで更に気付いたのだ)
(……何に?)
(魔力の高い人間を飼えばいいのではないかとな)
その発想から来る「お前の魔力が欲しい」だったのか。今度は感覚の無いはずの頭が痛くなってきたような気がする。
つまりこいつは食料として、魔力のある人間である私を生かしたまま側に置きたいと言っているのだ。
やはり取引きを持ちかけて正解だった。
(……いつくか聞いていいだろうか)
(ああ。言っておくが俺は自分のものを愛でるタイプだぞ)
(そう。それで、例えば私がそれを受け入れたとして、あんたは具体的に何をしてくれるって言うんだ?魔力を取って放置は困る)
その問いに光は考えるような動作をした。どうやら生き物としての形はあるらしい。というか今考えているってことは何も考えていなかったのか?
(ならば、俺の魔力を自由に使って良いというのはどうだ。遊ぶものが無いのは暇だろう)
(えっ……それって、私の魔術の威力が上がったりするのか?)
(さぁ。人間の魔術はよく知らん)
ん?ということは、人間の使う魔術と魔獣のそれは違うものだと?そんなこと今まで読んだ本のどこにも……って、今はそれを追求する時では無い。
(次。魔力の受け渡しはどうやって?)
(首輪に紐を結ぶ感じだな)
(急に家畜っぽくなったな)
(感覚の話だ。要は契約を結ぶのだ。お前の内側に印を刻む。確か人間にはテイマーというのがいるだろう。あれに似ているんじゃないか?)
(ああ、なるほど。私がテイムされる側ということか)
それなら理解できなくもない。
人間を食う魔物が大半だと言うから血肉を差し出さなければいけないのかと思ったがどうやらそうではないらしい。
(まあ、こんなことは前例がないからな。やってみなければどうなるかは全くわからん)
(無責任な……だが、少なくとも今ここで死ぬよりはマシ、か……)
(おお、それでは、)
(最後に!)
疑問は尽きない。が、細かい事は後でいい。こちらにも理のある話なら魔獣に飼われるくらい安いものと思えてくる。
幸いにもこいつの目当ては魔力と言うし。それを信じるならばこれ以上状況が悪くなることもなさそうだ。
まぁ、どうなるかわからないというところに多少不安はあるけれど、未知の解明を己の身をもって行えるというのもなかなかに魅了的なのは確かである。
そう、あと聞いておきたい事は一つ。
(どうして私なんだ)
死にかけた魔力の高い人間をたまたま見かけたからか?
人間でも魔力があるのはほとんどが貴族の生まれである。そんな人間がそこらに転がっていることの方がおかしいのだ。今だってこいつからしたら良い拾い物くらいの感覚なのかもしれない。
今にも死にそうってところに生きられる選択をチラつかせれば大抵の人間は飛び付く。それを見越して声をかけたんじゃないだろうか?
そうだとしてもこちらがどうこう言える立場ではないのだが。
(自覚が無いのか?)
(うわ、)
ずい、と突然光が目前まで迫ってその明るさで目が眩んだ。
(さっきの爆発、あれはなかなか良かったぞ)
(……は?)
(術自体はまだまだ未熟なのだろうがな。だが、質がいい)
(質……?)
(ああ。これは魔物特有の感覚かもしれないが、魔力にもランクみたいなのがある。俺の体感だと人間は頭の良い奴ほど高いといった感じか)
なんだそれ?頭が良いと魔力の質がよくなる?それって…
(……魔術の強さは理解と知識量だ。これには魔力の質が関係していた……?)
(その辺は知らん。難しいことは後にしてくれ)
(いや、世界の常識を変えそうなくらいの大事だぞこれ……)
(俺には関係ないな。とにかく、お前の魔力は一級品だ。俺はそれが欲しい)
(っ……)
なんだろう。胸の奥が熱い。体温が上がった気さえする。今までこんな気持ちになったことなんてなかったのに。
(お前は見たところまだ幼体だろう。ならばこれから更に美味くなるかもしれない。このまま死なせるには惜しい)
言ってることは最低だ。
けど、何故だろうな。
誰よりも信用できる。
(……わかった)
私はこれから先何があっても、今この時にこいつに出会えたことを一番の幸運だったと思うだろう。
根拠はないがそんな予感がした。
(私の命、あんたにやるよ)
だから、私が死んだ時は、どうか。
骨の髄まで食い尽くしてくれ。




