二十八
「いっ、っ……」
「お前が俺に逆らうからいけないんだぞ。シンディ、さっさとそのエルフを連れてこい」
「はい、アレク様」
蹴られて吹っ飛んだのか腹を抱えて転がるルトの前に人が二人。
一人は例の領主の息子アレクだろう。ギルバーが王都に行っている今、街に降りてくる可能性があることは知っていたが初っ端から絡まれるとはルトも運の悪い男である。
そしてもう一人は褐色肌に毛先にいくにつれ明るくなる藍色の髪を持つ女だ。着ている服は薄くぼろぼろで、髪は跳ねたり絡まったりとあまり手入れがされていない。
術式を使わない戦闘は滅法弱いルトだが、それでも大人の男である。そんな奴を蹴り飛ばしたとは思えない手足の細い可憐な女だ。
だが、顔を隠すような長い前髪の奥に赤紫色の瞳が見えた瞬間、その特徴的な容姿に思わず驚く。
(青藍の民か……!)
それは、この国からずっと西の方にある別の大陸から来た移民の名だ。今はこの大陸の西の端に小さな村作って暮らしていると聞いたことがある。
その民は皆褐色の肌に藍色の髪、そして透き通った赤紫色の瞳を持っているんだとか。更には戦闘能力が高く、特に格闘技に関しては大陸一との呼び声が高い。
確かにそんな相手ならルトが蹴り飛ばされるのも頷ける。
だが、そんな青藍の民がなぜアレクのような奴の言いなりになっているんだろうか。それが不思議でならなかった。
ともあれ、今はルトが優先である。
駆け寄って様子を確認すると、かなり痛がっているようだが意識ははっきりしているので一先ず安心した。
「ルト、大丈夫か?何があった?」
「うぅ……それが……あの子が、突然あのエルフが欲しいって言い出して……」
「なるほど、エルフをコレクションしたがる馬鹿だったわけだ」
珍しい種族をコレクションとして側に置きたがる貴族が一定数いるのは知っていた。しかしここまで一方的に手を出してくるなんて馬鹿としか言いようがない。
ルトは強引なアレクのやり方に反発したんだろう。それが癇に障って力でねじ伏せにきたと見て間違いはなさそうだ。
いくら相手は子供とはいえ、これを許せる筈がない。
「私の仲間によく手を出してくれたな?」
ゆらり。立ち上がると、アレクが目の前に立って顔を覗き込んでくる。
「なんだこいつ。汚いガキだな」
そうして品定めするように上から下まで眺められて、ハッと馬鹿にするような笑いが飛んできた。
「お前みたいな貧相なガキを相手にしてやるほど暇じゃないんだよ。俺の側に置いてほしいならもっと着飾ってかわいーくおねだりしてみるんだな。ほら、泣いてみてもいいんだぞ。そうしたらお前みたいなガキでも少しは――」
「殺す」
貴族絡みの面倒事は避けたいって?知るかそんなもん。売られた喧嘩は買うのみである。
私は剣を手に取り容赦なくそれを振り上げた。
それが目の前の男に届くかと思われたその瞬間、側にいた女によってアレクの体が後ろに投げ飛ばされてしまう。
「……邪魔するなよ」
「ディが相手します。ご容赦を」
戦闘体勢に入った女の構えは美しかった。さすがは青藍の民。一つ一つの動作が洗礼されていて無駄がない。手の指先から足の爪先まで、そして呼吸の一つを取っても見入ってしまうほど綺麗である。
だが、アレクを庇うなら容赦はしない。
私は持っていた手拭いをルトに投げて渡すと改めて剣を構え直した。
実のところ、人間相手の真剣勝負はこれが初めてだ。屋敷にいた頃は先生を招いていたが、それもただの訓練でそこに命のやり取りは存在しない。
魔物を相手にするのとは訳が違う。私が爆破した馬車とも違う。今度は自らの意思で、この手で人を害そうとしている自分がいる。
「いってぇ!おいシンディ!主人を投げ飛ばすとは何事だ!」
「ご、ごめんなさい。でも危なかったから……」
「言い訳はいい!そんなガキ早く片付けろ!」
まったく。どうしようもない馬鹿だなこいつ。助けられたのがわかっていないのか?
このシンディという女が投げ飛ばさなければ今頃この世にいなかったかもしれないのに。礼を言うどころか怒鳴り散らす姿に、周囲の市民はもちろん見物している冒険者たちも呆れ返っているようだ。
「そんな馬鹿に従う義理があるのか」
「……恩人なんです」
「そう。じゃあ遠慮はいらないね」
魔力感知で見たところ女は魔力を持っていない。魔術を使ってくることはないが、彼女らの本分は格闘技である。それもどれだけの実力かはわからない。
だが少なくとも男を蹴り飛ばしたり人一人を放り投げられるくらいの力はあるのだ。油断できる相手ではない。
力では敵わないとわかっている。だからこちらは最初から魔法を使わせてもらおう。と、私は全身に強化を施した。周りには冒険者も沢山いる。あまり大きな魔法は使えない。だから今回はこれだけに集中することにする。
「いきます」
最初に動いたのはシンディだった。
一瞬で間合いを詰めてきたので、咄嗟にその場から飛び退くと叩きつけられた拳で地面が抉れて小さなクレーターできる。あの細腕でこれとは。とんでもない威力である。
砕けた地面の破片が宙を舞い、そんな中で真っ直ぐこちらを見る赤紫の光。私は無意識に口角が上がるのを感じていた。
ドゴォオン!と、派手な音を立てて私の体は吹っ飛んだ。
近場の店を枠組みから破壊してしまったらしい。立ち上る土煙の中で割れた木材が散乱しているのがわかる。
なんだ今の。ただ体当たりされただけなのにびっくりするほど吹っ飛んだ。
体中を強化しているので怪我も痛みも無いが、これがなかったら危なかったかもしれない。
「って、あれ……?」
パキリと音がして手元を見ると、持っていた剣が割れて剣先が無くなっている。
嘘だろ、ドラゴンとだって戦えた剣だぞ。
どこから持ってきたのかは謎だがシロが手に入れてきた物だ。使い勝手も良く個人的にも良い剣だと思っていたのに……素手で破壊されただと?
これが、青藍の民の実力!
「エル!」
ルトの声がした。ハッとして顔を上げれば、すぐ目の前に拳を構えた女がいる。その圧力たるや。
こんなのがあの馬鹿に仕えているなんて何かの間違いだろう。
「見られるのは困るとか言っている場合じゃない、か!」
私は手元に術式を展開させた。魔力で結界を作るのと同じ要領で、思い浮かべた形を空中に再現したのである。
この技術はここへ来るまでの旅の最中にルトから習ったものだ。まだ数える程しか術式は暗記していないが、この場で使えるものは幾つかある。
突然のことに驚いた様子の女が咄嗟に飛び退くがもう遅い。
外から魔力を取り込む術式と、強化と、それから。
「吹っ飛べ!!」
私は壊れた剣の代わりに背負っていた片手鍋を持って、それで思い切り術式を叩いた。途端に巻き起こる風。魔石で作った鍋だ。送り込まれる魔力は魔石の持ち主であったワイバーンのそれである。
そうして言葉通り吹っ飛んだ女が地面に叩きつけられたその後。強化された魔力の針が降り注ぎ、そして手足を貫いて地面に縫い付けた。
これでしばらくは動けまい。
「う、うぅ、っ!」
「動かない方がいいよ。手足が裂ける」
横で見下ろす私に敗北を悟って女は大人しくなった。こっちはこれ以上抵抗するほど馬鹿じゃない。問題は……
「は?あのシンディがあっさり負けた?最強の戦士だぞ!何かの間違いだろっ!!」
アレク・モンティス。こいつはダメだ。
投げ飛ばされた体勢のまま地面に尻をついた状態のアレクの前に立つ。
「ひぃっ!ば、化け物……!」
青ざめて震える男を相手に酷く冷たい目をしている自覚はあるが今更止める気はない。
正直なところ本当に殺してしまいたいが、そうすると後が面倒だ。仮にも領主の息子だと言うし。ギルバーと敵対するのはごめんである。まぁ、もう手遅れな気もするが。
ああ、本当にどうしてくれよう。
「――そこまで!」
と、そこへ割って入って来たのは腰に剣を携えた中年の男である。
グリズリーのような大柄の男で鍛えられた体に良い生地を使った服を着ている。モンティス家に雇われている兵士の一人といったところか。背中にアレクを庇いながらも背の低い私に合わせて膝を付く辺りは好感が持てる。
「申し訳ない。アレク様を止められなかった私共の落ち度だ。どうか私に免じて矛を収めてはくれないか」
「こっちにも怪我人が出ているんだが」
「すぐにポーションを用意する」
「……はぁ、わかった。次は無い」
「感謝する」
こうして大通りの騒ぎは収まった。
とはいえ派手に魔法を撃った私に向けられる好奇の目は多い。
まだ買い物も終わっていないのに面倒なことになってしまったなと思いながら私は未だに蹲るルトの側に座った。
「ポーションくれるって。これだけ人多いと魔法で治せないからもう少し我慢して」
「うん……はは、やっぱりエルは強いなぁ。まさか青藍の民に勝っちゃうなんて……いてて……」
「笑える元気があるなら大丈夫だな」
そうしているうちにさっきの男が戻って来た。その手にはポーションと見られる液体が入ったガラス瓶が一つ。
これだけ早く用意できたということは、近場で調達したものだろう。
「これを。上級ポーションだ」
「本物だろうな?毒でも渡そうものなら今度こそあいつを叩きのめすけど」
言いながら差し出されたものを受け取ってみる。青みがかったガラス瓶の中に少し発光する綺麗な水色の液体が入っていた。
それを開けて軽く揺すりながら肩で大人しくしていたシロに確認すると、毒の気配は無いとのこと。
「冒険者ギルドで取り扱う正規品だ」
ああ、なるほど。この近くにあったのか。確かにそこでなら上級ポーションもすぐに手に入るかもしれないな。
毒も無さそうだし使ってみても大丈夫だろう。
「ルト、飲めそう?」
「大丈夫……」
私の手から今度はルトへとガラス瓶が渡り、彼はそれを一気に飲み干した。
するとどうだろう。ルトの周りに水色の小さな光がパァッと一瞬舞うのが見えた。シロの再生の魔法によく似たその現象に私は思わず目を見張る。
ポーションとは、この世界では傷や体力の回復薬のことを指す。キロットという比較的どこにでも生えている野草から作れる薬品で、飲んでもかけても効果は変わらなかったはずだ。
シロの魔法と同じような現象が起こるのは、回復と再生が似ているからなのだろうか?それとも原材料である草自体にシロと同じ性質があるからなのか?
草を手に入れてみないことには始まらないが、これは調べてみる価値はありそうだ。
「よし、買い物が終わったら薬草採取だな」
「わぁ、もう次のこと考えてる」
どうやら腹の痛みは収まったらしい。何事もなく起き上がったルトが服についた土を払うのを見て私も立ち上がる。
アレクとシンディは駆けつけた他の兵士により強制的に屋敷に戻されたようだし、これで落ち着いて買い物ができるというものだ。
落ちた荷物も拾ってさあ行こうと歩き出した時、どういうわけかまたもや待ったをかける男がいた。
「待ってくれ!」
「……まだ何か用か?」
正直早くこの街を出たいのだが。あんな男がいつまた降りてくるかもわからない場所に長居したいとは思わない。
だが、その真剣な眼差しと、こんな小娘に謙る様子に私は足を止めて男を見上げていた。
「要件は?」
「君の強さを見込んで頼みがある。どうか私の話を聞いてくれないか」
「ここではできない話?」
「ああ。できれば場所を変えたい」
確かに、周囲を見渡せば先程の戦いを見ていた冒険者たちがじっと私たちの様子を伺っている。話の内容がどんなものかはわからないが、聞かれたくないものなら場所を移すべきだろう。
「わかった。生憎この街には詳しくはないからあんたが案内してくれる?」
「ありがとう。ならば私の家に来ないか。夕飯は食べていくといい」
「……それってあんたが作るの?」
「いや、妻だが……」
「なら勝手に決めるな。外で待っててやるから確認とって来い」
「う、うむ。わかった……」
こうして私たちは男の家に向かうことになった。




