二十三
海面を埋め尽くす術式の羅列である。
ドラゴンの魔法陣と同じ青い光を放つそれは、明らかにルトが描いたものだ。
あいつが魔力で描く術式はすぐに消えてしまうと言っていたが、これには消える様子がない。
ペンを使っているのかもしれない。だとしたた本当に恐ろしい道具だ。
「っよし、」
私は気合を入れ直してドラゴンに向けてもう一度飛んだ。
ブレスには警戒しつつ、魔法を避けてなんとか背後に回り込む。
強化。強化。強化……
持っていた術式を全て使って剣に強化を施した。
一番最初にこの力を使った時よりも更に大きく光を纏わせて、今出せる力の全てでその剣をドラゴンの背に突き立てる。
深くまで刺さる手応えがあった。そのまま海面に叩きつけ、剣を引き抜いて離脱する。
そうしてすぐさまルトの元へ。
「すごいな……!」
そこは一面の術式の海。
何が描いてあるのかは全くわからないが、とりあえず踏んでも大丈夫そうだったので私は上を走ってシロたちの側までやってきた。傷は魔法で完治済だ。
術式の中央に座っていたルトは酷く疲弊していた。その手元には例のペンと思われるものが握られている。
これだけの術式だ。消耗が激しくて当然である。
「ルト!大丈夫か!」
「あ……エル……時間かかっちゃってごめんよ……」
「こっちこそあまり足止めできなくて悪いな……」
でも、私が呼び戻されたということは完成したようだ。
にへらと力なく笑ったルトは一度深呼吸をするとゆっくり立ち上がった。
「時間がないから簡潔に説明するよ。これは性質付与の魔法……といえばいいのかな」
「性質付与?」
「対象に別の性質を付与する。僕のは一時的だけどね」
付与ということは……例えば、シロの再生の性質を別のものが持てるようにする、ということか。と考えて気付く。
それは、私が三ヶ月かけて自分にかけたシロの魔法によく似ている。
驚く私にルトは少し困ったように笑った。それが答えだった。
こいつ、シロの魔法を術式化したんだ……!
「ごめん。キミたちが怒るのは当然だよ。でもそれは後で聞く。説明を続けるね。……付与する性質は昔僕が出会った魔物のそれ。今、キミが戦ったドラゴンだよ」
「そ、れは……」
本当だとしたら、確かにあのドラゴンと対等に戦えるかもそれない。
だが、そんなこと可能なのだろうか。ドラゴンそのものを術式化したようなものだぞ。
「僕はあのドラゴンと少しの間だけど一緒に過ごしたからね。あれがどんな性質を持っているのかは知っているんだ。いろんな魔法の使い方を教えてもらって、このペンを作るのも……本当は、手伝ってもらったから……っで、できたこと、で……あ、れ…………」
言いながら流れ出した涙に、ルト自身も驚いているようだった。
私はルトがドラゴンと出会って何を話し、何を思ったのかを知らない。
けれど、今流しているその涙が、恐怖からくるものではないことくらいはわかる。
「…………ごめん、こんな時に」
「……いや、」
私は、こんな時になんて声をかければいいんだろう。
過去を詮索するつもりはないが、知らないまま何かを言って更に傷をエグってしまわないだろうか。
ああ、自分が他人に対してこんな感情を持つとは思ってもいなかったな。
「ルト」
名前を呼んだ。ただ、何を言ったらいいかわからなかっただけだ。それでも何も言わないよりはマシかと思って口にした。
それだけなのにルトはとても驚いたような顔をして私をじっと見つめている。涙までピタリと止めて。
「ルト。あれを倒そう」
あれはルトが昔出会ったドラゴンと姿形は同じなのかもしれない。けれどダンジョンが生み出したこの場だけの魔物である。
そんなものにお前が心を傾ける必要はないだろう。
「……うん。僕も援護する。この術式は僕には使えないし前にも出られないけど、ここから頑張るよ」
「ああ。前衛は任せてくれ。援護は頼んだ」
コツンと拳同士を合わせてから、私たちはそれぞれの位置についた。
「使い方はわかるね!」
「もちろん」
背中にかかった声に頷く。
シロの魔法だと言うのなら私にわからないわけがない。
魔力感知で見えるドラゴンは、海の中を進んで真っ直ぐこちらへ向かってきている。あと数秒でここに来る。
先程の攻撃も効いていないわけじゃないだろうがそのスピードは変わっていない。
ルトは自分の性質付与が一時的だと言った。それがどれだけの時間なのかはわからないが、なるべく早く決着をつけるべきだろう。
私は目を閉じて足元に魔力を流し込んだ。すると全く別の魔力となって跳ね返ってくる感覚がある。
それが全て自分の中に取り込まれるように。契約の印と結び付けるイメージで。
(これは……)
ふと胸の奥に自分のものではない感情が流れ込んでくるのがわかった。
温かくて、少しむず痒くて、なにかをすごく楽しみにしている。瞼の裏に一瞬過った光景は、おそらく――
(優しい奴、だったんだな……)
近くで激しい水の音がした。目を開けるとすぐ目の前にドラゴンの顔が迫っている。
やっぱり違う。お前は、ルトの知っているドラゴンじゃないよ。
「エル!」
ドラゴンが魔法を発動しようとしたのか魔法陣が視界いっぱいに現れたのを、別の魔法陣が片っ端から消し去っていく。それがルトの仕業とはわかるけれど、ドラゴンの魔法をかき消してしまうなんてやっぱりあいつは天才だ。
その一瞬のおかげで理解できた。
魔力と水を掛け合わせたブルードラゴンのブレス。そのやり方。
足元の術式から魔力を吸い上げ体内に巡らせて簡易的な回路を作る。そうして突き出した手のひらにそれを集中させていく。
これでもかと言うほど詰め込んで、私は水ではなくシロの魔力を練り込んで、纏めて圧縮していくとパッとそこに魔法陣が現れた。
シロのものとドラゴンのもの。全く別の魔法陣が合わさったような見た目をしている。ビリビリとした雷のような青白い光が辺りに散った。
どうやらドラゴンの方もブレスの準備に入ったようだが完成はこちらの方が早かった。
圧縮した魔力が爆発するその瞬間、そのエネルギーを前方に向け一気に、放つ!
もの凄い爆発音と共に、青と白の光が交差したブレス――もとい魔力砲がドラゴンの開いた口から背を貫いた。
そうして術式の魔力が尽きたとき、魔力砲は消えドラゴンは海へと沈んだのである。
気が付くと、私たちはダンジョンの入り口があった小さな遺跡に立っていた。
見下ろしてみてもそこに階段はなく、ルトの手の中には青く美しいペンがしっかりと握られている。
終わったのだと理解した瞬間、一気に全身の力が抜けた。
ドサリと倒れ込んだ私の横で同じようにルトも倒れている。
「……僕ね、気が付かなかったんだ」
本物の青空を見上げながら静かにルトが語り出した。
「ドラゴンが死んだ時。側にいたのに。手の届くところにいたのに。その瞬間に気付けなかった――」
ペンが完成した時だったんだ。
ドラゴンが魔法の発動を手伝ってくれて、やっとの思いで形にできたものだった。
少し強引にやらされたことだったけど、完成したらしたで凄く嬉しくて。
できたよって声をあげたんだ。
それで、こんな凄いもので初めに何を描こうかなって思って。
そうしたら、キミを描きたくなって。
描かせてほしかった、から。
でもキミは。
気付いたら、もう……
それからしばらくはなんとなく何もやる気が起きなくて、日に日に崩れていくキミの亡骸を見にあの場所に通った。
肉体も、骨も、魔石も、全て海が持っていってしまったよ。
いや、帰ったと言うべきなのかな。
それを見届けてから僕はまた旅に出た。
「ずっと心残りだったんだ……ありがとうって、言えなかったこと……だから、これを無くしたのも……仕方がないのかもって、諦めていたところはあるんだ……でも…………」
ルトはそれを両手でしっかりと握り込んでいた。額に寄せて、流れる涙もそのままに。瞼が震えているのがわかる。
「エル、ありがとう……っ!」
「……もう無くすなよ」
「うんっ、大事にする……!」
「あと、ちゃんと絵、描いてやりなよ」
「うんっ、て、え……?」
「楽しみにしていたみたいだから」
ルトが描いた術式から魔力を吸い上げた時に伝わってきた感情は、ドラゴンのものだったのだと思う。
ルトの描く絵を凄く気に入っていて、楽しみにしていた。
多分、素材として魔石を譲ったのも、死期を悟ったからせめて道具として連れて行ってほしかったからなんじゃないかな。近くにいれば見放題だし。
「ファンは大事にした方がいいぞ」
「ふぁん……???」
訳がわかっていなさそうなルトに、私は思わず笑ってしまった。
なんだか凄く気分がいい。
「でも……ちょっと、ねむい……」
そうして私はそこから二日間そのまま爆睡したのである。




