十四
「そういえば、リーニアさんの首を切ったって聞いたんだけど」
狩ってきたホーンラビットをまだ青い顔をしているアルバンに指導されながら解体していたらそんな事を言われた。干し肉作りを手伝うと言ってやってきたティナンである。今まさに肉を切っている奴に言うことかそれ。
「事情も聞いたわ。確かにあの人の考えが甘かったのは事実だと思う。でもやりすぎよ」
「ホーンラビットは骨が脆いんだな。あの速さは筋肉か。すごいな」
「それより速い奴が言うか」
「私のはほら、作りものだから」
「ねぇ聞いてる?」
ムスッとしたティナンはそれでも手際良く調理台に必要なものを並べていく。
大きな皿に入った大量の塩。森で取れる幾つかの野草。石臼と竹串。そしてなぜか鍋。確か初日に見たスープの入っていた鍋だ。そんなものが干し肉作りに必要なのだろうか。
「それにしても、よくこんなに塩を用意できたな」
塩は少し前まで高級品だった為一般市場に出回る事はなかったという。
だが魔術の進歩により比較的簡単に大量に製造することが可能になった。その為今では庶民でも手の届く一般的な調味料のひとつだ。
それでもこんな人里離れた集落のいち住人がこれだけの量を用意できるものなのか。
「それは……ちょっと秘密があってね。ここで作ってるのよ」
「は?塩を作ってるのか??」
「ええ。実は集落の中心に海水が湧く井戸があって、」
「待て。海水が湧く?どういう理屈だ」
ここは周囲を森に囲まれた場所だ。峡谷の川沿いに下ればいずれは海に出るだろうが、海水が湧くなどあり得ない。
「そういう魔術?なんだって。詳しくはわからないわ」
そんな意味のわからないものに頼って生きているのかこいつらは。
いや、これは純粋に驚いただけだ。使えるものがあってそれを上手く活用するのは生きていく上での重要なスキルである。
だが私の中ではますます謎が増えていく。
集落の周辺に張られた消えない幻影魔術に海水の湧く井戸。
魔術師が関わっている事は確かだが肝心の術者がこの集落にはいないのだ。
確かに魔力を持っている獣人なんかもここにはいる。だがそれもあんな魔術を維持できるほどではないはずだ。……情報が足りない。
「なにか他に……魔術が関わっていそうなものは……」
この集落にあって明らかにおかしな性能を持つもの。そう考えてふと調理台に置かれた鍋が目に入った。そういえば、火にかけたわけでもないのに入っていたスープは温かかった。
「その鍋、魔術がかかっていないか?」
「よくわかったわね。これすごいの!」
そうして語られた鍋の性能はとんでもないものだった。
まず、火を使わずに調理ができることから意味がわからない。水を入れると沸騰する?なんだそれは。火力の調節は鍋に触れて念じる事で可能という点も謎だ。同じく触れて念じる事で風を起こせるので干し肉作りにも最適なのだとか。
だからティナンはこの場に持ってきたのだ。
というかこれひとつで調理のほとんどの工程が可能とは驚きである。こんなものが世に出回ったら便利すぎて市場は大混乱だ。
大きいがなんの変哲もない鍋に見えてとんだ魔の道具である。少なくともすごいの一言で片付けていい代物ではない。
塩を作っているという話もこの鍋の性能が本当であれば簡単だろう。なにせ海水は沸いてくるというのだから。
この集落はいったいなんなんだ。
不可思議なことには全て魔術が関わっているはずなのに、魔術師である私にも仕組みが理解できないなんて。
いや、理屈はわかるのだ。
魔術で鍋を温めることも風を起こすことも可能だ。井戸の方も海水が湧いているというより転送していると考えればまあ不可能ではないだろう。幻影魔術はそもそも小規模だが私にだって使えたものだ。
わからないのは、近くに術者がいないことと術が維持され続けていること。それから鍋に関しては魔力を持たないティナンですら扱えていること。
まさか、道具の方か?
魔術ではなく道具自体にそういった性質を付与している、とか。それなら鍛治に特化したドワーフ辺りの仕事と考えれば納得はできる気がする。
だが魔術を使うドワーフというのは聞いたことがない。術に対して高い耐性を持っている種族だというが、そんな彼らが魔術的要素を道具に付与する事ははたして可能なのだろうか?
そもそもこんなとんでも魔道具(仮)が街ではなく森の中のいち集落に存在しているというのがわからない。
街で売り出せば話題になるだろうし、王族や貴族なんかがその職人を召し抱えていたっておかしくはない。それが、なぜ?
「塩にすり潰したこの野草を混ぜると風味が良くなるのよね。あとはこれをお肉にしっかり塗して乾燥させれば完成。本当は数日干さないといけないんだけど、この鍋の中に吊るしておくとあら不思議!数時間でできちゃう!」
石臼ですり潰した野草からはやたらとクセの強い香りがしたが、ティナンは慣れているからか気にせず手際良く肉の端に竹串を刺していく。それを鍋の淵に引っかかるように置けば準備は完了であるらしい。
ティナンが迷いなく触れた鍋からふわりと風が吹き出したので思わず見入ってしまう。
(本当に魔術が発動してる……でもいったいどうして……)
(俺にもよくわからんがこの鉄の器からは魔法と似た気配を感じるぞ)
(魔法?魔術じゃなくて?)
それってつまり人工物ではなく魔物ということにならないか?
え、まさかこの鍋自体が魔物なのか?そんなバカな。
(魔力を外から取り込んでいるようだな。だから魔力を持たない人間でもコツさえ掴めば扱える)
(外から取り込んでる……?ということは……)
私は鍋の周りを回ってじっくりと観察してみた。少なくとも外側には何もない。ならば中か。と、ティナンとアルバンからの静止の声を無視して調理台に上がって風が噴き出す中を覗き込んでみる。
(これか……!)
鍋の底には赤く光る術式のようなものが薄く浮かび上がっていた。
見た目は簡素で分かりやすい。しかしその異常性に気付けたのは私が魔術と魔法の違いを多少なりとも理解していたからかもしれない。
(これは魔法を組み込んだ魔術だ)
ベースとして使われているのは火と風の術式。これはどちらも一般的なもので、魔術師なら最初に習得するような初歩的なものである。
だがこの術式は見たこともない形状をしているのだ。
魔術の術式とは、昔の魔術師が詠唱を省略する為に体に文字を刻んだことから生まれたとされている。
その為ほとんどが文字で表されているのだが、人間は当たり前のように縦か横の直線上に書く。文字なのだから当然だ。
だがこの鍋の底に書かれた術式は一見シロの魔法陣を思い起こさせるような形状をしているのだ。
だからこそ私はこれを見た瞬間に衝撃を受けた。
確かに術式の形状は固定する必要がない。現代の魔術師はわざわざ術式を書かずとも頭の中で思い浮かべることで発動が可能なのだから考えてみれば当然である。
なんてことだ。私は今までこんな単純なことにも気付かなかったなんて。これだから固定観念は恐ろしい。
まあ自分の愚かさを嘆くのはここまでにしておいて、問題はこの術式には魔法も組み込まれているという点だ。
おそらく周囲から魔力を集めるという魔物の特性を術式化しているのだろう。それがこの形状によるものなのか、何か別の言語が隠れているのかは見ただけではわかりそうもないのが残念だ。
ともあれ、こんな技術を持つ何者かが存在しているという事実に驚きしかない。
最初は魔術師かドワーフの仕事かと思っていたが、この術式を見ると研究者というのが一番しっくりくる人物像である。
どうにか今も生きていて居場所がわかればいいのだが……
「塗したお塩は食べる時に洗い流すのよ。そのまましばらく水につけておくと塩抜きできるし柔らかくもなって食べやすいと思うわ」
調理台に上がっていた私を幼い子供のように抱えて地面に降ろしたティナンの干し肉作りの説明は続いていた。どうやら鍋の中を覗き込んだのは肉の様子を見たかったからなのだと思われたらしい。
「うちではこの鍋があるから問題ないんだけどさ、その辺に干して乾燥させたやつは気をつけろよ。そのまま食って腹壊した奴を俺はたくさん見てる」
「その辺は心配ないんじゃない?エルは毒だって消せるんだし」
「あ、確かに。でもこれ食っちゃうと他のは味気なくて食えないよなぁ」
それってこの鍋を使わないとあれだけ美味くはならないと言っているようなものじゃないか?
私はこの集落にいつまでもいるわけじゃないんだが…ということは、なんとしてもこの術式を解読しないといけないわけだ。もしくは作成者を見つける。
さてどちらが早いかな。
「それじゃあ一旦これで解散でいいか?」
「ええ。夜にはできると思うからまたその時に」
「わかった」
「エル、どこか行くのか?」
「少し調べたいことがあるんだ」
私は用意していた桶の水で手を洗い、肉の方は二人に任せてその場を後にした。
とりあえず海水が湧くという井戸が見たい。次に集落を囲む塀だ。あの鍋と同じ仕組みだとしたら、どこかに術式が刻まれているはず。まずはそれを見つけたい。
(それにしても……早かったな)
集落の中を歩いているとまたあちこちから視線を感じる。考えるまでもなくあの女とのことが広まってしまったのだろう。ティナンも聞いたと言っていたし、住人同士の繋がりが深いというのはよそ者からすれば居心地最悪だな。
まあ、いちいち気にしていても仕方がない。
私は誰に後ろ指を刺されようとも自分で決めた道を迷わず進むだけである。
そして集落を調査すること数時間。
空が暗くなってからティナンとアルバンのところに戻った。
確かに海水が湧く井戸はあったが術式を見つけ出すことはできず、塀の方も同様に成果無しときた。
これは時間がかかりそうな予感に頭を悩ませていたのだが、戻ると二人と一緒にあの女がいて軽く驚いた。
「エル様」
「……様?」
なんだその呼び方は。というか思ったより元気だな。発する言葉もかなり力強くてまるで別人のようである。
昼間から今に至るまでに何があったというんだ。女の代わりようにちょっとした恐怖のようなものを感じたのは黙っておこう。
「お探しの魔術師のことで集落に長く住んでいる者から話を聞いてまいりました」
「!早いな。ありがたい」
あんなに怯えていたのが嘘のようだ。
正直こちらもかなり時間がかかるのではと思っていたので嬉しい誤算である。
なにより力のこもった彼女の目は好ましいと思う。
「ある旅人が現れたのは今から三十年ほど前になるそうです。当時は運良く人攫いから逃れた貧民が身を隠す為に森の一角に身を寄せ合って暮らしていたのだとか。そこにやってきた旅人は不思議な術で集落を形成し今のような形になったのだそうです」
「まさかの創設者か。しかし三十年前となると……」
「現在の生死については残念ながら。顔を覚えている者もいませんでした。ですが、これを」
そうして差し出されたのは子供の手のひら大の平たい石だった。表面には薄らと術式のようなものが書かれている。
「これは?」
「詳しくはわかりませんが、この集落には旅人が残した道具が今でも幾つか残っているんです。もしそれらに不具合が生じた際は自分の元に来れるように、と渡されたものだそうで」
「まさか、転移の魔術!?そんなものが三十年も前に開発されていたのか!」
今でもそんなものが出回っているという話は聞かない。存在すれば冒険者辺りがこぞって欲しがるだろう。
世界に数いる魔術師が昔から研究を続けているものだぞ。
自分の元に来れるように、とはつまりこいつを使えば術者がいる場所まで飛べるということか。探す手間が省けるどころじゃない。今の私からしたら喉から手が出るくらい欲しい代物だ。だが……
「これ、私が使っていいのか?一度しか使えないものかもしれないぞ」
あの鍋や井戸や幻影魔術が旅人の道具とやらなのだとしたら。この石が無ければあれらがもし壊れた時に修繕が不可能になるかもしれない。どれもこの集落には必要不可欠なものだろうに。
言うなればこの石は集落に住まう者たちにとってひとつの生命線のようなものである。それが今私の手の中にある。
「旅人が残した道具は驚くほど保ちが良いので使う機会が無かったそうです。まだしばらくは大丈夫だろうとも言っていました。それに……」
女――リーニアは私の目線に合わせるようにしゃがんだ。
そうして石を乗せている手の指を折りたたまれて上からぎゅっと握られる。その手は少し震えていた。
「あの人を助けてくれてありがとう。これが、私に……いえ、私たちにできる精一杯だから。もらってください」
何か言おうとして、できなかった。
リーニアの頬を流れる涙もこの時ばかりは酷く美しい物にすら思えるから不思議だった。
思えばこの集落に来てたった数日のうちに人の涙を何度も見た気がする。そして人が変わる瞬間にも何度も立ち会った。
良くも悪くもその中心には自分がいて、なんだか重い荷物を背負わされたような気分になる。
重くて、重くて、捨ててしまいたいのに、できない。
これを責任と言うのだとしたら、私は――
「……ありがとう。使わせてもらうよ」
こうして、一人の男の命を救った奇跡は、確かに相当のもので返されたのだ。




