十三
思った以上に体が疲弊していた私は、集落に戻ってから小さい一軒家を借りて丸一日閉じこもった。
少しでも中を覗いたら殺すと脅し文句を使ったところ誰も近寄らなかったので、シロに大きくなってもらって最高のふかふかに包まれて泥にように眠ったのである。
そうしてやっと出てきた私にティナンが食事を用意してくれた。
避けるような態度をとったことを謝られ、更にクイーンビーを討伐したことの礼を言われてしまった。
アルバンとの取引きなので礼は不要と伝えたがどうやら納得がいかないらしい。自分も巻き込めと詰め寄られ、干し肉作りはティナンも参加することに。
まあ私は作り方さえ知れるならどっちでも構わない。
そして二日経った今日、借りた家の中で私の目の前には最初に取引きをした獣人の女が座っている。
名をリーニヤというらしい。
「私からの要求は二つ。情報と金だ」
同席させてほしいと言うからアルバンも私の後ろに座っているが、口を挟むことは許していない。
「一つ目。この集落の周りに幻影魔術をかけた魔術師のことが知りたい。いつ来たのか、どんなやつだったのか、生きているのか、生きているなら今どこにいるのか。集落に残ってる情報をかき集めて持ってきてほしい」
集落を囲む程広範囲の幻影魔術。そんなことができる魔術師がいるのならぜひ話を聞いてみたい。
集落のことは集落の奴に。情報収集は任せてしまおうと私はこれを真っ先に提示した。
「二つ目。魔物を討伐した時に魔石が出てきたらしい。私は子供だから売りにいけないが、金は必要なんだ。だから代わりに売って金にしてきてほしい。途中で何かあって戻ってこないのは私も困るからちゃんと誰かに護衛してもらって」
私が寝ている間にアルバンは数人を連れてもう一度あの場所に行ったらしい。残っていた巣の撤去をするためでもある。その作業中に見つけたのが魔石だ。
高ランクの魔物になればなるほど持っている確率の高いというその石は、売ればそれなりの金になると聞いたことがある。
今回クイーンビーは私が討伐したのだからとアルバンが譲ってくれたのだ。
やはりこれからどこへ向かうとしても金は必ず必要になる。
まず街に入るには税金がかかるし、装備や服だって買わなければ手に入らない。食べ物だってやっぱり美味いものを食いたいと思う。その為にまず軍資金が欲しい。
……のだが、二つ目を提示してからリーニヤが明らかに怯えているのが気になる。何か問題でもあるのだろうか。
「あー、その、さ。エルはこの集落がどういう集まりか知ってたっけ?」
不意にアルバンから投げかけられた問いにティナンの話を思い出す。この集落は元奴隷やなりかけの集まりだと。
ならばこの女が怯えるのはその経験故というわけか。納得はするが同情はできそうにない。
私が一歩前に出れば分かりやすく肩を跳ねさせて震える女。その顔は今にも泣き出しそうだった。
これじゃあ男を助けてくれと泣き叫んでいた時と同じじゃないか。
あの時みたいにまた泣いてすがって、誰かが助けてくれるのを待つつもりか。そう思うと無性に腹が立つ。
「お前、一生そうやって生きるつもりか」
「ひっ……」
「泣いても助けてくれる奴なんかここにはいないぞ」
こちらを見上げてきた目と視線がぶつかる。今の私は相当冷たい目をしている自覚があるので当然のように女は泣き始めた。
「い、いやよっ……街に行くのだけはいやっ!お願い!な、なんでもするから……!」
「それをやめろ」
「ちょ、エル……!」
思わず女の胸ぐらを掴み上げた私に焦ったアルバンが駆け寄ってきた。
腕を掴まれたので容赦なく払い落とす。
いい加減頭にきているんだよ。
すぐ泣く。すぐ助けを求める。震えて縮こまっていれば誰かが助けてくれると思ってる。
嫌な事があるのは仕方がないと思う。トラウマに向き合えと言っているも同然なんだ。怯えるのも当然だ。それはいい。でもな。
「この世界はお前が思っている程甘くはないんだよ」
この集落にいるものは元奴隷やそのなりそこないだって?
それでも誰かに助けられたからここにいるんだろう。お前たちはただ運が良かっただけだ。
剣を手に取る。それを女の首筋に当てる。
これで少し力を込めれば簡単に首を切り落とせる状況になった。
「なんでもすると言ったな。じゃあ選べ。私の提示した二つをやり遂げるか、ここで死ぬかだ」
「い、いやっ……!」
「いいのか?今誰かが入ってきたら私はそいつを殺すぞ」
「いや……いやぁ……」
あれもいや、これもいや。泣きながら首を横に振り続ける女を見ていたらすっと感情の波が引いていく気がした。
ああ、こんな奴の頼みなんて聞いてやるんじゃなかった。これからは気を付けよう。
そうして私は剣を持っている手を動かした。ほんの少しではあったがその刃物は女の首筋に赤い線を作る。
「あ……い、た……っ」
本当にやるとは思っていなかった顔だ。だから感じた痛みに声すら出なくなって震えることしかできなくなる。
「それで、どうするの。決めないなら面倒だから殺すよ」
「っや、やり、ます……」
「そう。じゃあよろしく」
剣を引いて手を離すと女はその場に崩れ落ちた。
「っエル、いくらなんでもやりすぎだろ……」
「命の対価は命ってことにしてあげようとしただけだ。お前が言い出したんだろ」
「そ、そうなんだけどさ……でも、これは……」
切れて血が流れる首筋に手を当て倒れたまま蹲る女は酷く震えていた。それを見下ろしていても今更私の心が痛む事はない。
「力が無ければ何を奪われても文句は言えない。ここはそういう世界なんだ。それでも生き抜きたいのならしっかり学ぶことだな」
今日のところはもうこの女に用はない。私はさっさと踵を返して家の外に出た。
「よく入って来なかったね」
「いや、あんなの入れるかよ……」
外には青ざめた顔のコルクがいた。
化け物っていうより鬼だろお前とかなんとかボソボソと言っているようだが聞こえなかったことにしておく。こいつにあれこれ言われるのはもう慣れた。
さて、この後はアルバンと森に行って魔物の解体を教わることになっているのだが。
家から出てこないところを見ると女が落ち着くまでは無理そうだ。相変わらずのお人よしぶりだが、流石に私との取引きを忘れるほどバカな奴じゃない。
少し待っていれば来るだろう。とりあえず門のところにいようかな。
「なあ」
歩き出すとコルクが横に並んで着いてきた。
呼びかけられたのでそちらを見れば、観察するような目が向けられている。
「エルも何かを奪われたことがあるのか?」
ああ、さっき女に言ったことか。
「あるよ」
脳裏に金髪の美しい女の姿が過ぎる。今思えば、ああいう奴ほどこの世界では生き残っていくのかもしれない。私はまんまとしてやられただけ。
まあ、今はあの家にも家督にも全く興味がないので怒りもないのだが。
「へぇ、エルみたいな強い奴でもそんなことあるんだな」
「強さと賢さは全くの別物だよ。それで言うと私は賢くないんだ」
どちらかと言うと体を動かす方が得意だし。
本を読むのも勉強をするのも好きだが、だから賢いとはならないのが現実だ。だからすぐ騙される。
「大事なのは、何が起きても対処できる力を身につけておくこと。困った時に頼れるのはやっぱり自分しかいないんだ」
「それって……ちょっと寂しいな」
「……そうかもね」
赤の他人を信用するというのはどういう感覚なんだろう。
私はシロを頼りにしているけれど、これは契約もあるし何より互いの利害が一致したからこその関係だ。
私なんかよりよっぽど強いしわざわざ私を貶める必要もない。だからこそ信じられる。
だが他はどうだ。特に人間は何をしでかすかわからない。流されやすく簡単に嘘をつく。
そんな人間を自分はいつか信用できるようになるだろうか。今はまだ考えてみても全くイメージがわかなかった。
門の前でしばらくコルクと話していると、ようやくアルバンがやってきた。
「悪い、待たせたな……つっても原因作ったのお前なんだから大目に見てくれよ……」
どうやらアルバンはあの後憔悴しきった女を介抱し、恋人に事情を話して引き渡すまで律儀に側にいたらしい。
事情、話しちゃったのか。
いやまあ知られて困るわけでもないのだが…変な騒ぎが起きなきゃいいが。
この集落での用が済んだら早めに出て行った方が良さそうだな。
とりあえずは魔術師の情報が手に入るまで滞在することにしておこう。そう決めて私はアルバンを連れてさっさと狩りに出かけるのだった。
もちろんコルクは留守番だ。着いてくるなよと念を押せば、もうしないと頷いた少年はたった数日で成長したように思えたから不思議である。
さて、狩りはまだ魔物の少ない集落の周辺ではなく手っ取り早く峡谷の向こう側で行うことにした。
行き方は来た時と同様。当然私が人一人を掴んで谷を飛び越えることになったのだが、まさかそのせいでアルバンが目を回して使い物にならなくなるとは思わなかった。魔物の解体を教わるつもりで来たのに指導役が早々にリタイアしてどうする。
なんとか意識は保っていたので近場にいたホーンラビット数体を私が狩り、血抜きだけ口頭で教わって済ませることに。
そうして私たちは早々に引き返すことになったのである。




