十一
翌日。日が昇る頃に私は集落を出た。
夜通し火が焚かれていたので外で一夜を明かす者もちらほらいたが、誰にも言わずに出てきていた。
それなのに幻影魔術の外に出ると家に帰っていたはずのアルバンはいるし、隠れているつもりなのか後をついてくる存在もいるしで思わずため息をつく。
「別に一緒に来なくていいんだよ」
「いや、行くよ。行かせてくれ」
これは元々俺たちの問題だから、なんて律儀なことを言う。
後を付けてくる存在にはアルバンは気付いていないようだが、私の邪魔をしないでくれるなら放っておいていいだろうと判断した。
アルバンの案内で森を進んでしばらく経っても魔物は一体も現れなかった。数が減っているというのは本当らしい。峡谷の向こう側はそこら中にいたのに。なんらかの影響で生息域がそっちに移ってしまったのだろうか。
「峡谷に橋でも作ったら?向こうなら狩れる魔物もいるでしょ」
「作っても魔物に落とされるのがオチだ。何より人の入ったことがない場所ってのは危険だしな。何があっても対応できるほどの戦力はうちには無いよ」
「そんな危険な魔物はいなかったけどな」
「…………は?」
おっと思わず口が滑った。
口を閉じてももう遅い。何やら悟ったらしいアルバンが怖いものでも見たような顔で覗き込んでくる。
「コルクが向こう側でお前を見たってのは本当だったか……」
嘘か見間違いだと本気で思ってたのかこいつ。生憎私はあの崖を飛び越えられるほどの脚力がある。見せたら腰抜かすんじゃないのか?
そうして歩いていると開けたところにやってきた。大きな池だ。こんな森の中に突然池が現れるのは少し奇妙な光景だが、よく見ると周囲の木々が灰になっている。
(これって、もしかして……)
(エルがあの日起こした爆発の名残りだな)
(やっぱり……)
どうやら私の魔術は森の一部を吹き飛ばし、見事なクレーターを作り出していたようだ。そこに雨水でも溜まったのだろう。今ではそこそこ大きな池になっている。
(あのさ、この辺りに魔物の気配がないのって……)
嫌な予感がして池の前で立ち止まった。
(あの爆発でエルの魔力が一気にこの辺りを埋め尽くしたんだ。多分その影響だろう)
(逃げたってこと?)
(弱い魔物にあれはキツい)
(そっかぁ)
うん。ごめんよアルバン。諸々私のせいっぽい。
口に出しては言わないけれどその代わり心の中で誠心誠意謝っておこう。
池を越えて更に進むと、周辺の景色が明らかに変わってきた。
今まではかなりの密度で生えていた木が、この辺りは一本一本が大きくまばらだ。見上げれば綺麗な空が見える。
そしてここまで来てようやく魔物の魔力がパラパラと見えるようになった。色も形も見たことが無いものなので、私はまだ出会っていない魔物だろう。見渡せる場所でありがたい。
「あれは……キラーアントか!あっちはポイズンスパイダー!」
「お、おい!木の影から出るな!本命に当たるまではやり過ごすって決めただろ!」
「すごい!ロックバードがいるぞ!」
「なんでそんな初めて見たみたいな反応するかなー!?」
いいから隠れろと引っ張られながらもワクワクする気持ちはどうしようもない。みたい、ではなく本当に初めて見たんだ。仕方ないだろう。
「あ!いたぞあれだろう!」
「ちょっ……!」
素早く動く魔力があるなと思って顔を出せば探していたキラービーである。
私はさっさと木の影から飛び出して剣を抜いた。
群れと当たる前に単体で相手できるのはありがたい。とりあえず、まずは単純な力で勝負だ。
向こうも私を認識したのかスピードを上げて向かってくる。
(――今!)
タイミングを合わせ避けた勢いで剣を振る。ワイルドボアのような硬さも無い。一撃ですんなりと倒せたので、やはり問題は量だなと再確認する。
「す、すごいなエル……!」
「あっちにもいるな!」
「えっ!?ちょっと待って……!」
待ってられるかと駆けてくるアルバンは放っておいて、また見つけたキラービーに迫る。
次は少し試したいことがあるんだ。
魔力を巡らせ剣だけを強化。更に流す魔力の量を上げ、今度は切るのではなく叩きつけるように。
「うわっ」
思わず声が出た。
剣に纏わせた魔力がキラービーに触れた瞬間パンッと弾け飛んだのだ。勢いよく剣を振ったせいで私の体は勢いを殺せずに転ける。
「……やっぱりそうだ。人間は魔力過多の状態になると体が耐えきれずに異常が現れる。そして放置すると死ぬこともある。魔物も同じなんだ」
魔物にも魔力を保有できる上限が存在する。そうでなければこんな現象は起こり得ない。
つまり、剣一本でどうにもならない相手なら、体が耐えきれない量の魔力を流し込んでやればいい。
ただし、魔力に耐性のある相手には使えないかもしれないから気を付けよう。
「エル!大丈夫か!?」
「よし!これならいける!」
勝ち筋が見えたところでようやくアルバンが追いついてきた。
あとの問題はクイーンビーだけである。果たして私にどうにかできる相手なのかどうか。こればかりは対峙してみないとわからない。
シロが側にいてくれるとはいえ、自分で解決できることなら自分でなんとかしたいというのが本音である。
それから私たちは遭遇するキラービーを倒しながら先に進んでいった。
アルバンも弓矢の扱いは上手く、道中何度か倒して見せてくれた。足手纏いにはならないというアピールだろう。
あれ、そういえば。
「コルクがいなくなってる」
「えっ?……は!?コルク!?」
「さっきまで付いてきてたよ。こっちに夢中になって忘れてた」
気付けば着いてきていたわかりやすい気配が無くなっている。私が走り回ったせいで逸れたか?
「待てよ……こんなところに……あいつが……!?」
「探しに行く?いいよ。いってらっしゃい」
私は先に進むけど。
元々この討伐も一人で来る予定だったし、こちらには何の問題も無いのである。
「お前、知ってたんだろ?どうして止めてくれなかった……!」
「言って聞くような奴じゃないでしょ」
「じゃあせめて俺に言ってくれたら!……っ、悪い……気付かなかった俺が言うべきじゃないな……」
そうしてアルバンは片手で顔を覆った後、大きく深呼吸をしてから意を決したように顔を上げた。
「先へ進もう」
「いいんだ?」
「あいつ、運だけは良いんだ。だからこっちを終わらせてから探しに行くよ」
確かに私ですら死にかけたあの爆発を五体満足で生き残ったような奴である。姉に護られたのだとしてもその幸運は本物だ。
「案外私たちより先に目的地に辿り着いていたりしてな」
「流石にそれはないだろ……」
まさかそんな予想が当たるなんて正直思ってもいなかった。
木の影から見たその場所はキラービーの群れで埋め尽くされていた。
正直想像していた数倍の量である。アルバンも圧倒されたのか顔を青くして、前見た時はこんなんじゃなかったと震えた声で言っていた。
クイーンの姿は見当たらない。埋もれていて視認できないだけだろうかと魔力感知を試してみたら数が多すぎて酔いそうだったのですぐやめた。
「あんなのどうにかできるのか……!?」
「するしかないでしょ。なんならここで縮こまっていてもいいんだよ」
「馬鹿野郎置いてくな!ぶっちゃけお前の側が一番安全だよ!」
「確かに。じゃあ、行くよ」
私は剣を、アルバンは弓矢を構えながら木の影から飛び出した。
辺り一体を埋め尽くすような敵の数に改めて悲鳴が聞こえたが今は構っていられる余裕はない。
バッサバッサと近付く敵を切り捨てて進み、最早形さえわからないような大木の前までやってくる。おそらくあの木に巣が作られていると思うのだが、なにぶん数が多くてそれすら見えない。
まずはキラービーの数を減らす。そしてクイーンの討伐。巣はその後どうにかしよう。
魔力で剣を強化。更に膜を肥大化させる。イメージは取り込んだ魔力をそのまま放出する感じで。
気付けば手に持つ剣が光を帯びて長く巨大化しているように見える。大半が魔力だからか重さはいっさい変わっていない。
「な、なんだそれー!?」
「いっけぇ!」
そのまま群れを切るように剣を振れば、爆発でも起きたのかと思うほどの破裂音が同時に大量に鳴り響いた。
「あっ無理だこれ。維持できない」
一振りで光が消えてしまった。
減った敵の数は全体の二割程だろうか?まだあまり変わっていないようにも見えるがこの方法はどうやら連発は出来なさそうだ。
(回路の魔力がごっそり減った気がする……気を付けて使わないと動けなくなるな……!)
開始早々に考えていた攻撃手段が使えなくなって少し焦る。これがダメなら他の方法を考えなければ。そんな悠長に考えていられる暇があるかどうかは怪しいところだ。
現に攻撃されていることを理解したのか、急に凶暴化したキラービーが一斉に襲いかかってくる。
(うわやば……なにか防御できるもの……防御……幻影……結界……!)
反射的に片手を前に突き出し、手のひらに魔力を集中させて押し広げた。
薄く伸ばして壁のように。そして硬く。これなら放出し続けるわけではないからすぐ消えることはない。
思った通りキラービーの大群は半透明の壁にぶつかって跳ね返る。
だが防御特化だから攻撃力がない。さてどうする。
(エル、俺の魔法を少し教えてやろう)
(えっいいの?)
(ああ。今のお前なら使えるはずだ)
シロの魔法。ここで使えるものなら再生の魔法ではなく魔物としての魔法だろうか。
実のところ、これだけ一緒にいてもシロの実力を実際に見たことがない。強いと自分で言っているからそうなんだろうなくらいの感覚である。
(自分から離れた場所で魔力の針を生成する。わかるか?)
その言葉と同時に突然私の目の前に光の輪が描かれた。その中心に鋭い針状の光が出現する。それはシロの意思のもと敵の方へ飛ばされ刺さり一体のキラービーを撃ち落として見せた。
(……ちなみにこれ、シロは同時にいくつ出せる?)
(正確には知らんが数万といったところか)
(そっかぁ)
次元が違うことはわかった。
強いというのも嘘じゃなさそうだ。いつか本気で戦っているシロを見てみたいものである。
その前にこの討伐を乗り切らないと。
(感覚は掴めた、と思う。やってみる)
今見た感じ、針の性質については私が剣を強化した時の膜と同じようなものだった。
問題は自分から離れたところにそれを生成する方法。シロは魔物故に感覚でやっている部分を私は手順を明確化しないといけないから。
(魔力を外に放出……見えないくらい少しでいい……今使ってる結界よりも薄く……なるべく広く……)
広げた魔力に敵が触れるのがわかる。微小な感覚だが魔力感知にも近い。おかげで群れの奥に一層大きな個体がいるのを見つけられた。あれがクイーン。
(広げた魔力を圧縮……イメージは……さっき見た針……!)
パリンッと音を立てて割れた結界の破片が光に戻って消える。その瞬間、私を中心に風が吹き抜けたような感覚があった。
空に現れる無数の輪。その中心には針。
なんとなく私の中にはいつもあの夜の雨のイメージが焼き付いているからなのか、それは雨のように降り注いだ。
「す、すご……これがエルの魔術……」
(私のでも魔術でもないんだけどな)
数は同時に百といったところか。だが同時には無理でも連続で生成することができるようなので、魔力がある限り無限である。
これだけでも立派に王国の軍隊並みの戦力だ。流石の私も少し引いている。なんてものを教えてくれたんだ。
そんな光の雨の中、私はもう一度剣を構えた。キラービーの数がどんどん減っていったおかげでクイーンの姿が目視できるようになったからである。その大きな胴体には針がいくつか刺さっていた。
けれど私の力がまだ足りないのかクイーンにはそこまでのダメージになっていないらしい。ならば直接切るだけだ。
魔力を剣に集中させ、先程と同じように大きく長く巨大化させる。脚力も欲しいと脚にも強化。
そうして走り出そうとした、まさにその時であった。
「コルク!ダメだ戻れ!」
アルバンの声が響き渡った。




