十
門の前はまたもや騒がしくなっていた。
さっきと違うのは緊迫度だろうか。倒れている者が数人。動けてはいるものの怪我をしている者が数人。慌しく駆け回る者や怪我人の手当をしている者もいる。その中にティナンやアルバンの姿もあった。
倒れている者の中には明らかに顔色の悪い男がいて、その周りは特に人が多い。
(あれは毒だね)
(ああ。キラービーの毒にやられたな)
確かキラービーの毒はニニクという草から作れる薬で中和が可能なはずである。ニニクは駆け出し冒険者でも受注できる低難易度のクエストによく見られるらしい。
薬自体は冒険者ギルドが物を下ろしている雑貨屋でも売っている。庶民はそこから買うのが一般的な入手方法だ。
しかし閉ざされたこの集落にそんな薬があるだろうか。
「薬は!?早く薬を持ってきて!」
毒で倒れた男の側で一人の女が叫んでいる。頭に獣の耳がある。何かの亜人だ。
家族なのか恋人なのか。今日ここへ来たばかりの私にはわからない。けれどその必死さを見れば倒れている男が女にとって大切な存在なのだとわかる。
そんな女の横に膝をついたのは服を怪我人の血で汚したティナンである。
「ごめんなさい、薬は無いの。街に買いにも行けなくて……っ」
「嘘よ!それじゃあこの人にこのまま死ねっていうの!?」
女は泣き叫びながらティナンを突き飛ばした。倒れ込むように転がるもそれを気遣える者はいない。それくらい誰もが混乱していた。
なんともまあ、酷い光景である。
(ねぇ、あの毒はシロの魔力でどうにかできる?)
(できる……が、助ける気か?)
(いや、取引をするんだよ)
シロの魔力でどうにかできるなら、今の私にはあれを救える力が備わっているということだ。
だが私は善意で人助けをするほど優しい人間ではないと自負している。
己で考え、ようやく使えるようになった魔物の魔法なんだ。これが無いと今の私は自由に動き回ることすらできない。そんな貴重な力をほいほいと他人に渡してなるものか。
私は女の目の前に立った。いくら背が低いとは言っても蹲るような体勢だった女よりは目線が上になる。だから遠慮なく見下ろした。
「私なら助けられるけど」
「えっ……?」
その瞬間、水を打ったように辺りが静まり返った。
なにを馬鹿なことを言っているんだと言いたげな視線があちこちから刺さる。
「ほ、本当に……?本当に助けられるの……?それなら早く助けて……!」
「できるよ。でも助ける代わりにあんたは何を私にくれる?」
「えっ、な、何をって、どういう……」
「簡単な話だ。私と取引をしよう」
生き物はいずれ皆死ぬ。この男だってこのまま放置すれば間違いなく死ぬだろう。
そんな状態の生き物が息を吹き返すとしたら?それをいったいなんと言うのかこの女にだってわかるはずだ。
そう、あの雨の夜、私が命を拾われたように。
「この奇跡、いくらで買う?」
騒ぎ立てるだけで運命が捻じ曲がるなら私だってそうしたさ。
だが、現実は甘くはない。惨めに這いつくばって踠いて足掻いても叶わないことはいくらでもある。
それでもどうしてもと願うのなら。
ならば手を伸ばし続けるべきだと私は思うのだ。気まぐれにその手を取ってくれる誰かが現れるかもしれないだろう?
その代償は安くはないかもしれないけれど。
「な、なんでも!私が渡せるものならなんでもあげるから!だから助けて!」
「なんでもってのはオススメしないけど……まあ、あんたがそれでいいなら私は構わないよ。じゃあ、忘れないでね」
倒れている男の側に座り軽く腕に触れる。自分や剣を強化したのと同じように、けれどなるべく少しの量が巡るように魔力を流していく。
温かい感覚に閉じていた目を薄らと開けると、私の足元に光り輝く魔法陣が浮かび上がっていた。
男の体の中にある毒が消えていくのがわかる。どういう原理かはわからないがシロの魔力は私が思っていた以上に万能で、そして強力だ。
やがて負っていた傷も、体内の毒も全て消え完全に回復した男が目を開けた。
女は泣いて喜んで男に抱きつく。それを受け止めて男もキツく抱きしめ返す。それはごく自然な光景であり、ありふれた感動の光景でもあり、そして酷く残酷に私には思えてならなかった。
しかしこれを見ていた誰かは言うのだ。
まごう事なき「奇跡だ」と。
その日の夜。
集落の中心ではゴウゴウと炎が焚かれていた。
あの後、魔物に襲われ倒れていた中の数人が命を落としたのだ。今は棺も用意されず布を巻かれただけの遺体が燃やされている。
私はその炎が見えるところに座ってぼんやりとその光景を眺めていた。
住人の意識の先は間違いなく私である。
一番重症だった男は回復した。けれどなぜ他の者も救ってくれなかったのかと責め立てるような鋭い視線だ。それから奇怪な物を見るような視線。どうやら化け物扱いが浸透してしまったらしい。あのティナンですら近寄ってこなくなったのだから相当だ。
だが、代わりにやたらと絡んでくる者がいる。
「エル、大丈夫か?」
狩人の少年、アルバンだ。
私が一度見上げて何も言わずに視線を戻すと、何故か隣に座って同じように炎を見つめている。
「悪いな。お前はあいつを助けてくれただけだってのに」
「別に助けたとは思ってない」
「ちなみに何を要求するつもりなんだ?」
「考え中」
さっきはまだ怪我人もいたし、あの女が報酬はなんでもいいなんて丸投げするから一旦考える時間を作ることにしていた。
本当は欲しいもの……というか情報はあるにはあるが、どうにも釣り合いそうにない。それをこちらが言い出すのもなんだか負けた気がするので嫌だ。
「命の対価は命だーって言い出すかと思った」
「悪魔かよ」
この男は私をいったいなんだと思っているんだろう。化け物か?人殺しか?まぁどちらも間違いではない気はしているが。
せっかく命拾いした奴の代わりに他の命を貰えって?そんなのは勿体なさすぎる。しかも私にはなんの理もないじゃないか。
どうせなら……そう、なにか価値のあるものが欲しい。一番わかりやすいのは金だろう。
この先どうするかはまだわからないが、金はあって困るものじゃない。むしろ無いと困ることの方が多いはずだ。
どうしたものかと考えていると、ふと場の空気が変わった気がした。少しトーンを落とした声で名を呼ばれたのでそちらを見る。
「……なぁ、剣を持っているってことは、エルは戦えるのか?」
決意と不安を入り交ぜたような目だ。
アルバンが何を言いたいのかはその目を見れば自ずとわかる。
「私は子供だよ?それに女だ」
「見ればわかる。俺も子供だ」
そう言う割には大人びている。体付きもそうだが、頭もよく回る。少なくとも私にとってはこの集落にいるどの大人たちより厄介な相手だ。話しやすさも感じてしまうから余計に。
「俺はコルクやお前と同じくらいの時にここに来た。人攫いに遭ったんだ。この先自分がどうなるんだろうって考えると怖かったよ。だけどこの集落の連中に助けられたんだ。本当に感謝してる。だから今度は俺が、みんなが安心して暮らせるようにしてやりたい」
「そんなことで他人の為に命もかけられるって?お人よしだな」
「そうだな。コルクやお前に比べたら俺は運が良かったんだと思うよ。身内が死んだわけでもないしな。エルはここに来るまでどうしていたんだ?」
コルクが集落に来てからそれなりの時間が経っている。同じ馬車に乗っていたのだから、そこから今日までの間私がどうやって生き延びたのかには当然興味があるんだろう。
だけど私はその問いに答えなかった。
「……そういえば、欲しいものがあるんだ。それをくれるなら手伝ってもいいよ」
「欲しいもの?考え中じゃなかったのか?」
「それはそれ。これはこれ」
「とりあえず聞こうか」
すんなり受け入れてくれないところがとてもやり難い。あの女みたいになんでもいいからなんて言ってくれたら楽なのに。
「魔物の解体の仕方を教えてほしい。大きいのはどっちにしろ無理だから、ホーンラビットとか。あと干し肉の作り方」
「えっ、そんなのでいいの?」
そんなのって。確かに高価なものでもなんでもない。だが私にとってこれは価値がある情報だ。
私はもちろんシロも魔物の解体なんかできない。金も持っていないのでどこかで買うことも難しい。
ならば自力で作れるようになるしかないじゃないか。
「それなら俺でも教えられるけど……」
「交渉成立だな」
よし、一気にやる気が湧いてきたぞ。
このままシロと二人でいたら果物だけの生活になってしまうかもしれない。先程食べた干し肉は衝撃的な美味さだったし、これからもそれが食べられるかと思うとすごく……いや、かなり嬉しい。
横から「そんなに美味いかあれ……」とかなんとか聞こえたが無視だ。
「それじゃあ聞かせてもらえるか。そもそもどうしてあんなに被害が出たんだ?集落の近くに魔物はいなかったはずだ」
「ああ、えっと……ん?近くにいないってなんでわかるんだ?」
「進まないから質問は無しだ。聞いたことに答えて」
「お、おう」
アルバンの話によると、最近森の魔物の数が減ってきているんだとか。
仕方なく集落から離れたところに狩りに行くようになり、その先でキラービーが巣を作っているのを見つけてしまった。しかも女王がいて日に日に数が増えていく。
それでもなんとかやり過ごしてきたのだが、少し前から狩りに出ていた者たちが襲われるようになった。命を落とす者も少なくない。
このままではいずれ食料がなくなってしまう。それどころかこの集落も安全とは言えなくなる。その前に討伐したいのだが、もう既に自分たちの手には負えなくなっている。
住人の特性を考えると容易に街のギルドへも頼めない。そんな金もない。
「それでどうして私に?」
「いや、なんかすごい力持ってるみたいだからさ。魔術?とか。俺にはわからないけど、なんとかできるんじゃないかと思って」
「魔術といえば、この集落は強力な幻影魔術で囲まれているだろう。あれはなんだ?ここに術者がいるんじゃないのか?」
「あれは前に通りかかった旅人が作ってくれたって聞いてる。そいつはここにはいないよ」
通りかかった旅人?術者がいないのに発動し続ける幻影魔術?なんだそれ?聞いたこともない。
「それ間違いなく上位の魔術師だぞ」
「えっ、そんなすごいの?偉い人?」
「いや、名の知れた奴なら私が知らない筈はない。旅人というのが気になるな……」
生きているなら会ってみたい。会って話を聞いてみたい。集落の大人たちなら何か情報を知っているだろうか?
「それより魔物をどうにかするって話だろ」
「……ああ、そうだったな」
魔物。そう、とりあえず魔物だ。今やらねばならないのは討伐だった。
キラービーは毒があることから危険度がそこそこ高いのだが個々が強いわけではない。
問題は数だ。クイーンを攻撃すれば間違いなく相当な数のキラービーを相手にすることになる。剣一本で立ち向かうのはあまりに分が悪すぎる。
(飛び道具……弓矢……それでも足りない……例えばあの炎のように広範囲を一気に攻撃できる方法があれば……)
「……あ、そうか。わかった」
「わかったって、何が?」
不思議そうにこちらを見るアルバンに私はほんの少しだけ笑って見せた。
報酬忘れるなよの意味だったのだが、後に「きみに笑顔を向けられると何か良くないことが起こる気がする」と言われる笑みである。
一瞬震えたように見えたアルバンの心境をこの時の私は知る由もない。




