百二
その部屋の壁に飾られているのは額縁に入った大きな絵。上からはカーテンがかけられるようになっていて、部屋の主が不在の際はそれで隠されるらしい。
この絵はどうやらガレオラスに頼まれてルトが描いたもののようだが正直初めて目にした時は苦笑せざるおえなかった。
ガレオラスとリオ、それから私。三人が並んだ肖像画なんて残しておいて何の得があると言うのだろう。
ついでに今の私とよく似たクラヴィアの再現絵も何枚か頼んでいたらしく、それはベッド横のテーブルに綺麗に整えられて置かれていた。その中に私の絵も混ざっているのだろうなと確信してしまえるからなんだか変な気分である。
私は視界に入ったそれらを意識の外に追い出して、本来の目的に集中した。
「制御は問題なくできているようだな」
ベッドではなく椅子に座ったガレオラスの前でその魔力の流れを確認すると、どうやら制御は上手くできているようで安定しているのが伝わってきた。
ここ十日ほどで教えた制御を自分のものとしたガレオラスは、屋敷に残されたクラヴィアの術式から自力で魔力を得ることが出来るようになっていた。これならばもう私の手は必要ない。
「魔術も使えないわけじゃないだろうが、出来るだけ使わない方がいい」
「ああ、わかっている」
恐らくクラヴィアが残した魔力の量は、ガレオラスの一生分だと予想される。普通に生きる分には問題無くとも魔術を使う度に減っていくはずなので長生きしたいなら極力使うべきではないのは明白だった。
この男には魔力の制御方法と引き換えに大きな仕事を頼んであるので、さっさと死なれては私も困るのだ。
「お前もちゃんと見張っておけよ」
「はい、承知しております」
側にいた執事にも釘を刺して、そうして私は寝室の扉の前に立った。
今日は旅立ちの日。
ガレオラスの体力も体調もかなり戻ってきたところだが見送りには出てこなくていいと言ってある。父と娘と言うならいざ知らず、私と辺境伯は無理を押してまで見送られるような関係では無いのだから。
だからこれが最後だと振り返って私はもう慣れたその名を呼んだ。
「ガレオラス」
――父上。
髪を短く切り揃えて、男らしく振る舞い、良き跡継ぎとしてあろうとしていたあの頃とは違う。
私はこれから自分で選び抜いた道を自分の足で歩いていく。必要がない限りはここへは戻らないし、もう二度と会うこともないかもしれない。だから。
いろいろ思うところはまだあるけれど、今回はちゃんと言うべき言葉が決まっている。
「今までありがとう。行ってきます」
もう心配する必要はない。そんな私の意図は正しく伝わったのだろう。眩しいものでも見るように目を細めたガレオラスは、一瞬口を引き結んでからゆっくりと口を開いたのだ。
「気をつけて、エル」
「……うん」
なんでだろうな、胸が熱い。
私の選択を知り認めた上で送り出してくれることが嬉しかったのかもしれない。
なんだか口元が緩みそうになるのを感じながら、私はその熱が消えないうちに部屋を出た。
屋敷から外へと出るとそれぞれ準備を終えたルトとシンディ、それから見送りに出てきてくれたリオとレイドとソロがいる。
リオとは三日前のあの日からあまり話せていなかったが、どうやら気持ちの整理はできているようで、もうその目に迷いや寂しさは浮かんでいなかった。
良かったとは思うのだが、それはそれで少し寂しい気持ちにもなるのはなんなのだろう。出ていくのは私の方なのに、今まで側にあったものが急に離れていってしまったような妙な気分になってくる。
「エル。少しだけ、こっちに」
「ん……?」
手を引かれて他のみんなからは離れると、リオは手のひらを壁にして口元を隠しながら私の耳元でひそひそと話し始めた。
「私は才能が無いので魔術はあまり使えず、転移もまだ遠くへは飛べません。だからこれからたくさん訓練をして、いつかエルがいるところに行けるくらいになってみせますから」
その声は少しだけ震えていたけれど。でも、伝わってくるリオの感情が悲しみだけではないこともわかる。
未来への希望。そうか。理由が私というところはあれだけど、リオはちゃんとこの別れを次の目標に変えることができたのだな。そう思うとこちらまで嬉しくなってしまうから不思議だった。
「今度は私が会いに行きます。絶対驚かせてみせますので待っていてくださいね、姉様!」
「っ、うん、待ってる。でも仕事はちゃんとしてくれよ」
「えっ、あ、はい!もちろんです!」
私たちには転送の術式もある。しかし何か問題が起きても駆けつけることはできないので、使われるのはきっと互いの近況報告くらいになるのだろうなと思っている。
ルトの道具を残していけば一度だけこちらから転移を使うことは可能なのだけれど、これ以上私が介入して良いことなど一つもない。これから起こることは彼らが自力で何とかしていくべきなのだ。
大丈夫。レイドはまだ若いが十分にリオを支えてくれる。辺境伯家の跡継ぎとしても、きっと菓子職人としても。だから心配はしていないよ。
「ちょっとそこー、いちゃいちゃしてないで戻ってきなよー」
「いちゃ……!」
ソロの呼びかけに一瞬にして顔を赤くしたリオがバッと私から離れたので少し笑ってしまった。
私たちは公にはできないが一応血の繋がった姉弟だぞ。何か起きるはずもない。
「エルが私たちとは無関係な人だって言うのなら、将来そういうのもありなのかな……」
そんな呟きが聞こえてきたことには驚きすぎて反応もできなかったが。
また手を引かれてみんなの元へ戻る間、今の言葉がどういう意味だったのかと悶々と考えることになった。流石に聞き返すことはこの時の私にはできそうになかったのだけれども。
「エルちゃん、変な顔してどうかした?」
「い、いや。なんでもない……」
聞かなかったことにしよう。そう決めて、気を取り直して見送りに出てきてくれた三人を見る。
「リオたちのことは頼んだぞ」
「ああ。仕事は手を抜かないから安心してくれ。短い間だったがお前と話せる時間は有意義だった」
「そう言ってもらえると有り難い」
レイドは優秀な魔術師で、領主としての仕事についても実に頼りになる少年だった。まだ出会って数日だというのに彼の能力の高さには何度助けられたかはわからない。領地の運営については私も完璧とはいかず行き詰まることばかりだったから。任せておけば大丈夫。そんな安心感がある。
侯爵家の四男にしておくのは勿体無い気もするが、これから教会の魔術師として功績を挙げていけばいつかは個人で爵位を得ることも可能なんじゃないだろうかと思っている。ここへ来たのも功績作りの一環かもしれないしな。
「王都に向かう途中で神殿の奴らに捕まっちゃったりしないでね」
「不吉なこと言うな」
ソロは相変わらず嫌味な言い方をする奴である。結局最初から最後までこんな調子だったので、こういうものだと思えばいちいち腹を立てることもなくなっていた。
きっとこいつと関わる奴らはみんなそうやって対処しているんだろう。今ならばネルイルからの手紙の雑な文面にも頷けるというものだ。
「でも本当に気をつけてよね。エルちゃんが思っている以上にキミの力を求めている奴は多いから」
「わかってる。お前も雇い主に伝えておくと良い。諦めた方が身のためだって」
「そんなこと言えるわけがない……」
こいつはこいつで難しい立ち位置にいることはわかっている。けれど私たちに突っかかってくるなら誰だろうと容赦はしないのだ。
まあ頑張れと笑って告げた私に、ソロは引き攣った笑みを浮かべて見せるのだった。
「それじゃあ、行こうか」
そうして私たちはまた旅に出る。
次の目的は、王都周辺で活躍しているという冒険者パーティに会うこと。そのメンバーであるテイマーの能力を持った魔術師に話を聞くこと。つまりは人探しの旅である。一先ず王都を目指して行くことにはなるが、辿り着くかはまだわからない。
けれどまあ、急ぐ旅でもないので、気ままに進めばいいさ。
「エル!ルトさん、シンディさんも!お気をつけてー!」
手を振るリオを振り返って、私は子供っぽいかと思いながらも大きな声を張り上げた。
「行ってきます!」
屋敷の上空にあるクラヴィアの術式――そしてその人にも届けばいいと、そう思って。




