百
シンディとソロの模擬戦が行われた次の日。
朝食後に執務室に集まった私たちは、リオの書類仕事を手伝いながら諸々の引き継ぎ作業をしているところだった。
ルトは別に頼まれた仕事の為ガレオラスの寝室へ、シンディは使用人の手伝いで清掃へ行っているので執務室に残っているのは私とリオ、それからレイドと昨日から部屋の隅っこで膝を抱えて蹲っているソロである。
ソロはあれだけ大見得を切っておいて盛大に負けたのが相当悔しかったらしい。最初に会った時の腹立たしい笑顔を引っ込めて、どんよりとした空気を纏ったその男は部屋にいられると逆に鬱陶しいくらいだった。
「おいそこ。そうやっていじけてるくらいなら兵士たちの訓練に混ざってきたらどうだ。負けたんだからあいつら鍛え直すのに手を貸すくらいしてくれ」
「た、確かに負けたけど、あれは反則だって。最強の戦士に最強の武器持たせちゃダメだって。あんな兵器が存在しているのがもうおかしいからね。なにあれ?」
「その気持ちはわからなくもないが喧嘩売ったのも挑発に乗ったのもお前だから。自業自得だろうが」
正直言うと私もシンディの成長ぶりには驚いたところはあるのだけども。今の彼女と戦ったら私も勝てるのかどうかわからない。
機会があれば試しに戦ってみるのも有りだとは思うが、必要もないのに中身の分からない箱を開けるほど私も馬鹿ではないのである。
「でも本当に昨日のシンディさんは凄かったですよね。私は魔術の才能があまり無いので、あんなに魔術が自由自在に使えるの憧れちゃいます」
「いや、普通はあんな威力出せないからな。教会の魔術師なら専門分野であれくらいの魔術を使う人も中にはいるけど全てなんてのは規格外すぎる。本当になんなんだあれは」
レイドから何やら視線を感じるが、気が付かないふりをして私はまた蹲っているソロの背中に目を向けた。
部屋の隅から動く気配は無くても話をする気はあるらしい。ならば何か情報を落としてくれやしないかと私は気になっていたことを投げかけてみることにした。返ってくれば儲け物くらいの感覚で。
「そういえば、お前の雇い主って結局誰なんだ?」
王族の人間ということだけはわかっている。恐らくクランデアの祭りに招待されていた者だとは思うが、しかし顔を見たわけでもそいつの名前を聞いたわけでもないので、それがいったい誰を指しているのか私は知らないままだった。
私のそんな質問に、呆れた、とため息混じりに返ってきた言葉には流石に少し腹が立ったが。
「エルちゃん、誰に目をつけられているか知らないで今まで過ごしてたんだね。逆に凄いや」
背を向けて蹲っていたソロがその大勢のままくるりと向きを変えてこちらを見た。その顔はどこか真剣で、特に馬鹿にする意図がないこと知る。
どうやらこれも隠す気はないようで、ソロは呆気なくその答えを寄越したのだ。しかも余計な情報付きで。
「僕の雇い主は第二王子のペールバルク様だよ。ちなみにクランデアの祭りでキミたちを見ていたのは第三王子のシエット様だね。なんとびっくり。お二人は共謀して次の王座を狙っているとか――」
「おい。そんなこと言っていると首が飛ぶぞ」
咄嗟に声を被せたレイドだったがもう遅い。ニンマリと楽しげに笑うソロの言葉はしっかり私たちの耳に入ってしまった。
「その時はここにいるみんな道連れだよ」
「聞かなきゃよかった……」
本当にただでは起きない男だなこいつは。
ため息を吐きつつ、聞いてしまったものは仕方ないと私は話を続ける事にした。
正直王子たちのいざこざには興味がない。今知りたいのはペンダントによる行動の監視から一段階上がり、ソロという騎士を直接私の前に送り込んできたその目的である。
スイストンで出会ったサフから私が国外へ出ることも視野に入れていると伝わったからか?
それとも単純に私やシロの力を知るために?
それを尋ねるとソロは両手を打ち鳴らして、さも今思い出したかのように話し出した。
「伝言、というより注告かな。聖女に気をつけろって」
カタン。
ソロの言葉の後に軽い音がして、見ればリオが持っていた羽ペンをテーブルに落としたところだった。その際にインクが書類に広がったのか、横で見ていたレイドが慌て始めるのを横目に私は今聞いたそれを復唱する。
「――聖女」
その呼称はもちろん知っている。百年以上前の事実を元に語られている勇者伝説の登場人物の一人である。
魔王や悪魔が存在するのだから、天使もいるだろうなとは思っていたが。そうか、今度は聖女と来たか。
確か王都の北東にあるらしい神殿の最高権力者で長年その姿は隠されていたと思ったが、この五年で状況が変わっているのかもしれない。
「神殿の神官たちがエルちゃんを探しているって噂だよ。人気者は大変だねぇ」
「それで注告か。もし仮に私が神殿に入れば王族は手が出せなくなるからな」
「そういうこと」
先にこうして人を使って知らせてきたのは、私が神殿に逃げ込むことがないように釘を刺したかったのだと思う。
けれどその役目を託されたソロは監視対象ですら無かったシンディに敗れ、シロの力を知ることもできず私の行く先を制限するのも失敗したというわけだ。
完全にこちらの力量を見誤った結果である。正直、私たちの歩みを騎士団の人間一人で止められると思われている方が腹立たしい。
「そもそも神官は何故私を探しているんだ?今まで神殿に関わったことなんて無いぞ」
「目的はエルちゃんというより、その力の方かな。ぶっちゃけ今王族と神殿はどっちが先にそれを手に入れるかって水面下で競い合っているんだよ」
「いつに間に……」
たった一度だぞ。クランデアの街で一度だけ姿を見せたシロを巡ってもう二つの勢力が争っているだなんて。しかも王族と神殿。もっと言えば王子と聖女。普通に貴族として暮らしていてもそうそう会えるものではない二大勢力だ。
「今回僕は任務失敗しちゃったけど、居場所がわかっているだけ王族が優勢かなぁ」
「いや、考えたくはないがあの事件……」
万が一リオの母親であるレイラン、もしくはその更に父であるアースフォード伯爵に神殿との繋がりがあったとしたら。あの犯罪集団が神殿絡みだとしたら。レイランが言ったあの方のお告げとやらが聖女絡みだとしたら。
私がこの辺境伯領に留まっていることはもちろん、下手したらガレオラスの実の娘であることすら伝わっている可能性があるのではないか。
だとしたら、ここにこれ以上留まるのは危険だ。何故なら奴らは私を殺そうとしていたのだから。最悪リオやガレオラスをまた事件に巻き込んでしまう恐れがある。それだけはなんとしても避けたかった。
「早めにここを出るべきか……」
カシャーン。
今度は羽ペンを床に落としたらしい。レイドの慌てた声も聞こえてくる。
さっきから何度も大丈夫かと思わず執務机の方を見ると、心ここに在らずといった様子でぼんやりとしているリオがいた。
「随分と懐かれているんだね。リオくん、キミと離れるの寂しいんじゃない?」
「それは……」
ソロは私たちが姉弟であることは知らないのだと思う。私は彼らにリオの一時的な協力者と名乗っただけであるし、元からガレオラスに娘がいることはずっと隠されてきたのだから当然だ。アスハイルやネルイルもその辺りは伏せてくれているらしいし。
見た目に似ている箇所があるわけでもなく、今では私の方が背が低く小柄で誰も姉だとは思わないだろう。
それに――きっとこれから私たちの差はどんどん広がっていく。身長も、歳も、何もかも。姉弟ではいられない。だからリオにもエルと呼ばせているのだ。
しかし、呼び方は変えられても変えられないものがあるのもまた事実。
「……それでも、」
言葉を途中で切って私は一度目を閉じた。
そうして一呼吸おいてからゆっくりと目を開ける。その時、もう私の中に迷いは一欠片も残っていなかった。
「私は旅を続けるよ」
当てのない放浪の旅だけれど。もう二度とここには戻らないかもしれないけれど。
すごい奴になれ、と曖昧な言葉を投げかけてきた奴がいた。この名に恥じない生き方をしたいとも思った。
そんな立ち止まれない理由が、私にもあるから。
それに、今度はちゃんとが言えるじゃないか。
――行ってきます、って。




