九十八
この領地で採れる木苺を使った二層構造の可愛らしいケーキ。下のスポンジと周りのコーティングにはチョコが使われているようだ。飲み物としてのチョコレートは私も知っているけれど、こうして菓子に使っているのを見るのはこれが初めてだった。
そしてその上には形を残した木苺とクリームが飾り付けられていて、なんとも上品な見た目の木苺のチョコレートケーキである。
リオが切り分けてくれたそのケーキが目の前に置かれ、更にシンディがやたらと張り切って淹れてくれた香りのいい紅茶も添えられて。丸いテーブルを囲んだ私たちのティータイムは屋敷の敷地内にある庭園の一角で始まった。
今日は天気が良くて本当に良かったな。そう思いながらケーキを一口。舌に感じる甘酸っぱさとふわりと鼻を抜ける木苺とチョコの香り。美味い。満足気にそう溢した私に、横でそわそわとこちらの様子を伺っていたリオが椅子から降りて飛び跳ねている。子供か。いや、子供だったな。
「はぁ、幸せです……」
「本当に美味しいよ。リオはすごいなぁ」
「えへへ、ありがとうございます」
シンディは数少ない使用人たちと共に毎日屋敷の清掃を手伝ってくれているし、ルトは何やらガレオラスに部屋に呼ばれて絵の仕事を頼まれているらしい。二人ともそれぞれの仕事の合間にこうして出てきてくれたところだった。
こうして四人で過ごす時間は情報共有の為にも定期的に作ってはいるものの、やはりリオの忙しさから数日に一度といった頻度である。
「教会から新しい魔術師が来たって聞いたけど、エルたちはもう会ったんだよね?」
「うん、まぁ……良いやつそうだったよ。魔術師の方は」
「魔術師の方は?」
紅茶の入ったカップを持ちながら首を傾げたルトに、私は行儀悪いことを承知でフォークを軽く噛みながら先程の顔合わせを思い出す。
レイドという魔術師はまだ幼いながらも落ち着いた雰囲気で話のわかりそうなやつだった。問題はもう一人の方だ。騎士団から送り込まれてきた王族の回し者。
私が巡り巡ってこの辺境伯領に留まっている事実は恐らくアスハイルやネルイルが王都に戻ってから上げた報告によるものだろうことは察しがつく。それは仕方ない。私が王族の紋を模ったペンダントを持っている限り、彼らにも報告の義務があるのだから。
しかしあのソロという男が妙に私を気にする素振りはその情報だけでは無さそうなのだ。
思い当たることと言えばクランデアの街で魔王と戦った際に居合わせた王族である。実際に会ったわけではないのでどんな人だったのかは知らないが、もしそこから話がいっているのだとすれば少々厄介だと思う。
「騎士団の人間がくっ付いて来たんだよ。目的は私か、もしくは――」
どこで誰が聞き耳を立てているかもわからないので口に出しては言わないが、それだけでルトも察しがついたのだろう。目線が私の下ろしたフードの方に向けられている。
シロがクランデアの街で一度人前に姿を出してからというもの、いつかは狙ってやって来る人間がいてもおかしくはないとは思っていたが、初っ端から王族とは。
「一応護衛って名目で来ているみたいだからレイドから離れる事はないだろうが、警戒するに越した事はないな」
辺境伯家の人員不足問題が少し進展したかと思えばまた別の問題がやって来るなんて。
あの男、流石にこの先の旅に着いてくるとは言わないよな……とぼんやりと考えながら紅茶のカップに手を伸ばすと、それは先に後ろから伸びてきた別の手によって持ち去られてしまった。
「わっ、これ美味しいね」
先程聞いたばかりの声である。
今一番聞きたくなかった声でもある。
気分が急降下するのを感じながら振り向くと、そこには香りを楽しみながら優雅に人の紅茶を飲む細身の男が立っていた。その後ろから気まずそうにやって来るレイドの姿も見えている。
二人揃って執事に客室に案内されたはずなのだが、この様子だとソロに唆されて部屋を抜け出して来たのだろう。
「ケーキもある!いいね!」
カップをテーブルに置いて今度は私の食べかけのケーキに手を伸ばしてきたのを容赦なく叩き落として、思わず睨みつけた先のソロの口元は弧を描いていた。
「勝手なことをするなら流石に黙っていないぞ」
「エルちゃんの力を見せてくれるって言うなら大歓迎だなぁ」
こいつ、わざとやってやがるな。
私の力と言えばそれはシロの魔力そのものである。それを見たがるということはやはり目的はそっちだったか。
警戒しておくに越したことは無いと思っていたところだが、今後もこの調子で来られるならば私からしたら敵も同然である。
警戒心剥き出しで睨む私の何がそんなに面白いのかソロはまた笑い始めるし、リオやルトは慌て始めるし、穏やかに始まったティータイムはあっという間に終わりを告げたのだ。
「おい、その辺にしておけって。初日から関係悪くすることないだろ」
「えー、でも、レイドくんもこの子の力気になるでしょ?」
「そりゃあ、まあ……あのアスハイルさんに圧勝したってくらいだし、気にはなるけど……」
「ほら。やっぱり一回お互いの力を示すっていうのも有りだと思うんだよねぇ。どうかな、エルちゃん?」
どうかなと言われても。そっちの提案を私が飲むと思っているなら本当に馬鹿だとしか思えない。そもそも私がこいつらに力を示して何の得があると言うのか。どう考えても情報を引き出されるだけだろう。
しかし、断る、と言いかけた私の言葉は思いもよらぬところから遮られた。
「わかりました。その勝負、エルの代わりにディが受けて立ちましょう!」
ケーキを綺麗に完食し紅茶も飲み干し椅子から立ち上がったシンディが、腰に手を当てて胸を張ってそう言い放ったのだ。先程まで使用人の仕事を手伝っていたせいでメイド姿の彼女がである。
思わぬ申し出に驚いたのはソロも同じだったようで、ポカンと開いたまま固まった口が滑稽でいいやと思った私はこいつが相当嫌いなのだった。
「ええ……でもメイドさん、僕これでも一応騎士団所属の人間でね。怪我させちゃうかもしれないし――」
「心配ご無用です。言っておきますが、ディはエル意外に負けたことはありませんので」
あれ、と思ったのはルトも同じだったらしい。私たちは互いに目を合わせて首を傾げていた。
なんだかいつもの彼女とはどこか違う気がする。悪魔にも理不尽にも怯むことなく立ち続けてきたシンディだが何故か今回ばかりはその声が低く硬い。
「いやぁ、本当に危ないよ?」
「平気です。それとも怖いのですか?エルは子供ですから負けても手加減をしたと言えますが、ディに負けたら言い訳できませんからね」
やっぱり違う。というか、これは怒っているのか?
シンディがこんな風に誰かを挑発しているのを初めて見た。明るく華やかで笑顔が基本のあのシンディが、どうやらソロに腹を立てているらしい。
何がそんなに気に食わなかったのだろうと成り行きを見守っていると、挑発に乗ったソロが「そこまで言うなら」と勝負を受け入れたことでシンディはビシッと立てた人差し指を勢いよく男に向けていた。
「紅茶の恨み、果たさせていただきます!!」
「こ、紅茶?」
なんのことだ。そう思ったのは皆同じだった。唯一リオだけが事情を知っていたようで私の側に来てこっそり教えてくれたのだ。
「今回の紅茶、シンディさんが屋敷にあった茶葉をブレンドして淹れてくれたものだったんです。エルの感想を聞きたかったんじゃないでしょうか。気持ちは凄くよくわかります」
「そ、そうなんだ……」
食べ物……いや、今回は飲み物だが、恨みは恐ろしいと言うが果たして。
こうして突如シンディとソロによる模擬戦が行われることになったのである。




