九
ティナンに連れてこられたのは集落の中でも一番大きな家だった。作りはそこまで良いとは言えないが住むだけなら問題ないのだろう。
中は二階建てで一階は調理台と大きなテーブルが一つと長い椅子が二つ。十人程の子供が座ってそれぞれ思い思いに過ごしている。
皆私と同じくらいの年齢の女の子である。中には獣人と見られる頭に獣の耳がついた子もいたので姉妹というわけでもなさそうだ。
二階は子供たちの寝床だとティナンは言った。
「ここにいるのはみんな奴隷として売られそうになっていた子たちなのよ」
なんとなく周りを気にしていた私にティナンはこの集落のことを話して聞かせてくれた。
「この子たちだけじゃない。ここに住んでいる人間も亜人もみんな。実際奴隷だった人もいる。私たちはそんな人たちを助けて一緒にここで暮らしているの」
シャンデンは王都に近いだけあって華やかで活気のある良い街だ。
だがそれは表の顔。裏では人攫いや奴隷商売が横行しているのだとか。そしてそこで売られた、もしくは攫われた者は運び屋によって山向こうの大国へと連れて行かれてしまう。戻ってきたという人の話はない。
ここの住人に女が多いのは、それだけ奴隷にされる女が多いということだろう。
この森は人目を避ける運び屋がよく使うルートのひとつになっているらしい。
「森を通る運び屋の馬車を見つけた時はここのみんなが協力して助けることになってるの。集落の中に連れてきてしまえば外からは見えないし、追手も来ないから」
でも、と目元に影を落としたティナンは続ける。
「あなたやコルクが乗せられた馬車が通ったのは夜で、それもすごく天気の悪い日だったって聞いたわ。だからきっと……私たちじゃ助けられなかった」
ごめんなさい。と溢された声はいったい誰に向けたものなんだろう。コルクか、私か、それともこの集落にも辿り着けなかった子供たちか。
調理台の前まで一緒に着いて行くと、立ち止まったティナンはまたしゃがんで私に目線を合わせた。その目は酷く悲しげで今にも泣きそうにも見える。
「コルクはね、森で倒れていたところをアルバンが見つけて連れてきたの。酷い火傷を負っていた。一緒にいた子もいたけど……もう息はなかった。……コルクを護ったんだって」
きっとそれがコルクの姉なのだ。あの爆発の中、咄嗟に弟を庇ったのだろう。
自分の命が終わるかもしれないその時に誰かを庇える。それがどれだけ凄いことなのか私にはわかる。
私は死が恐ろしい。シロと出会って生き延びた時は心の底から安堵したから余計に。
もしもう一度同じような状況に陥ったとして、近くに別の誰かがいても私はきっと手を差し伸べることなんてできないだろう。
すくいあげるように握られた手が温かい。この熱は生きているからこそ感じられるもの。
「エルがそこで何をしたのかはわからないけど、その行いが他の子供たちを殺めてしまったかもしれない。でも忘れないで。あなたがいなければコルクはここにいなかった。もちろん、エル自身もね。大丈夫。あの子もいつかきっと、わかる日が来るわ」
優しい人なんだと思う。少なくない子供を殺めた私を叱らず諭そうとしているんだ。コルクのように化け物だ人殺しだと石を投げたってバチは当たらないだろうに。
私は言葉を紡ごうとして、けれど何も言わずに口を閉じた。
(言ってどうする)
後悔はしていない、なんて言ったらこの人はいったいどんな顔をするんだろうな。
「さあ、暗い話はここまでにしてご飯にしましょうか」
パッと表情を明るくしてティナンは調理台の前に立った。
大きな鍋を開けると湯気が立ち込め、ふわりと腹の空く香りが漂ってくる。
(あの鍋、多分魔術がかけられてる。火にかけたわけでもないのに温かいのはそのせいだよ)
(凄いな。あれだけ言われて思うところはなかったのか?)
(残念ながら。シロに会う前なら響いてたかもしれないな)
木で作られた皿によそわれた野菜のスープを受け取り、他の子供たちと並んで座る。テーブルの真ん中にはパンがバスケットに入って置かれていた。
「それからこれもよかったらどうぞ。苦手な子もいるんだけど、食べられそうならエルも食べてみて」
そんな言葉と一緒にテーブルに置かれた皿に乗っていたのはどう見ても肉である。おそらく干し肉を炙ったものだ。
野菜スープに肉は使われていないようだし、この集落で肉は保存食として別に加工して使っているのかもしれない。
私が小さいから、食べさせた方がいいと思われたのだろうか。まあ、何にしろ出されたものはありがたくいただくとしよう。干し肉なんて初めて食べるし。
それに魔物を狩っても解体ができず、肉が食べられないことを少し残念に思っていたところだ。
そうして食事が始まった。
まずはスープ。温かいものなんて久しぶりだ。渡されたスプーンで一口ずつ口に含んでしっかり味わって飲み込むとホッと安らぐ感じがする。味は少し薄めだがよく煮込まれた野菜は柔らかくて食べやすい。
次にパン。硬い黒パンを子供が食べやすいようにスライスしてある。一枚手に取り口に入る分だけ千切って食べると、ボソボソしていて少し酸っぱい感じがした。
貴族だった頃に食べていたものがいかに素晴らしいものだったかを再確認すると同時に、初めての食感を楽しんでいる自分がいるのも事実である。
それに、スープに付けて食べると硬さも気にならずとても美味しい。これはこんな状況にならなければ一生知らなかったことかもしれないな。
そんな風にいろんな感情が湧き上がる食事を進めていると、ふと視線を感じて周りを見た。
なぜか子供たちとティナンまで驚いたような顔でこちらを見ている。
「食べ方が凄く上品っていうか、綺麗でつい見入っちゃった……」
しまった。体に染み付いたものが出ていたか。貴族として叩き込まれた作法だが、こんなところでやっていてもただ浮くだけだろう。
少し焦りながら私は誤魔化すように手で掴み取った干し肉に齧り付く。
「――!!」
衝撃。雷に打たれたようとはよく言ったものだと感心するくらいの衝撃に襲われた。
独特な臭い。クセになる食感。噛めば噛むほど溢れ出す肉の味。当然今ままで一度も食べたこともない部類のものではあるが、それ故にこの時感じた衝撃と感動は凄まじいものだった。
(美味い!!)
これは干し肉。肉を乾燥させたものだ。保存に適しているため冒険者なんかが旅の食事によく用いるという。
この集落のような場所でも肉さえ手に入れば作ることは可能だろう。ここには森に出て狩りをする奴もいるようだし。
こうして子供たちの食事の席に出されるくらいだ。もしかしたら日常的に食べられているものなのかもしれない。
ならば是非。是非ともその情報が欲しい!
食事が終わったらここを出て行こうかと思っていたが、その前に魔物の解体のやり方と干し肉の作り方は絶対に手に入れていこう。私はそう決意した。
「ティナン!邪魔するぞ!」
そんな時だ。突然ドアが開けられ慌しくアルバンが入ってきた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「食事中すまない。だが緊急でな。悪いがティナン、一緒に来てくれないか」
「わかったわ。危ないからみんなはここから出ないようにね!」
そうしてティナンとアルバンは二人揃って出ていってしまった。
「またあの魔物が出たのかな……」
「前の時は死んじゃった人もいっぱいいたよね……」
「ティナンお姉ちゃん大丈夫かなぁ……」
残された子供たちの会話を聞きつつ私はまた干し肉に手を伸ばした。
あの魔物とはなんだろう。前は死人が沢山出たということはそれなりに強い魔物だろうが、この森にそんなやばいのがいるなんてシロは言っていなかった。
(とりあえず集落の中に魔物らしい魔力は感じないけど……どう思う?)
(森の奥に少しデカいのがいるな)
(デカいの?ワイルドボアみたいな?)
(いや、あれは虫だ)
虫。それ系統の魔物でいうとアントかビー辺りだろうか。ここは森だしいてもおかしくない気がする。
(クイーンビーだな。キラービーの群れが森に巣を作ってその中の一体が進化したようだ)
(それって結構な大物じゃん。そんなのいるなんて聞いてないなぁ)
(俺の敵ではない。大丈夫だろう)
(それじゃあ、その言葉を信じましょう)
私は残りのスープを飲み干すと、最後にもう一つ干し肉を頂戴して席を立った。
「あれ……どこ行くの?出ちゃダメってお姉ちゃんが……」
「あー……ちょっと散歩しに」




