04. 鏡写しの聖女と私
風呂の準備が終わり、ルカが静かに退出する。
浴室は、温かい湯気とともに、ルカが用意したらしい柑橘と薬草がまじりあったような、アロマのふんわりとした香りが満ちている。
使い方を教えてもらうだけのつもりが、見慣れない異世界のシステムに目を瞬かせているうちに、彼が手際よく準備してくれたのだ。本当に、そつのない、喰えない男だ。
小さく息を吐きながら、服を脱ごうとして、ふと、壁に備え付けられた大きな鏡が目に入った。
そこに映る自分の姿に──思わず息を呑んだ。
誰もが目を奪われるであろう、ため息が出るほどの美少女が、そこにいる。
繊細で、可憐で、触れれば壊れてしまいそうなそのたたずまい。圧倒的なオーラを放ち、まさに聖女…奇跡の存在と呼ぶにふさわしい。
前世では、どれだけ努力しても決して手に入れられなかった、完璧な「華」がそこにあった──。
◇◇◇
熱い湯に身を沈め、心を溶かすようなアロマを深く吸い込むと、張り詰めていた思考が、ゆっくりと解きほぐされていく。
空気中に漂うマイナスイオンが、ささくれ立った心を落ち着かせていくようだ。
『いるだけで、世界が浄化される』
城の騎士たちの、使用人たちの言葉が、頭の中で反響する。
もしかしたら……本当に、そうなのかもしれない。
私が前世で信奉してきた、努力や成果といったものではなく、『存在していること』そのものが、この世界では価値を持つのかもしれない。
そう、例えば、存在するだけで作用するパッシブスキルのようなものだ。
そう考えれば、全てに納得がいった。
(…そうよ。きっと、そうなのよ……。私は『聖女』だもの。無意識化で力を放出しているのかもしれない)
なら、私がやるべきことは、最高のコンディションで『存在』し続けること。つまり、徹底したセルフマネジメントこそが、私のタスクだわ。
私は、その結論に満足し、心からの安らぎと共に、湯船から上がった。
◇◇◇
ルカが用意していたのは、前世では考えられないほどフリルがふんだんにあしらわれた、シルクのネグリジェだった。若干の抵抗を感じつつもそれに袖を通すと、髪を乾かそうと鏡台の前に座る。
(……ドライヤーか、それに準ずるものは……ないか。まあ、仕方ないわね。この長さだと、自然乾燥には時間が…)
そして、鏡に映る自分を見て、ふと、動きが止まった。
(あら…?なにか……違和感が……)
濡れた髪から滴る水滴も気にせず、私は鏡を凝視した。鏡の向こうで、眉をひそめた美少女が、怪訝そうに私を見つめ返している。
「なぜかしら……。さっきとは、何かが違う気がするわ。確かに整ってはいるけど、割と普通じゃないかしら………?」
お風呂に入る前と、顔の造作は変わっていない。
なのに、何かが違う。光の角度?照明の色温度?
いや、そういった外部要因ではない。もっと内側の、本質的な何かが違う……。
そう、なんというか…。
───『華』がない。
はっとして、私は鏡に張り付くようにして、自分の顔を観察した。
そうだ、間違いない。あの、誰もがひれ伏した、奇跡のような『華』と『オーラ』が、目の前の顔からは、きれいさっぱり消え失せている。
私は、必死に、記憶の中の「完璧な聖女の顔」を掘り起こし、その差異を、分析し始める。一点、また一点と、記憶とのズレを検証していく。
豊かだった、まつ毛のボリューム。
まぶたを彩っていた、真珠のような輝き。
透き通るようでいて温かみのある自然な血色。
立体的な陰影を刻む、光と影…。
(違うわ……ここも、そこも……違う。間違い探しのような、微細な違いが、そこかしこに…!)
(ああ、これは、まるで……私が、練習した…)
─── メイクの力。
その瞬間、私の全身に稲妻のような衝撃が走った。
全ての点が、線で繋がったような感覚。
私は理解した。あの奇跡のような聖女オーラは、寸分の隙もなく計算され尽くした、完璧なメイクによるものだったのだ。
そして、それが風呂で洗い流された今、鏡に映る、飾らない素顔は……。
「『地味』だわ!!!誰の目にも止まらないであろう、この、圧倒的なまでの『華』のなさ……!!すっぴんの瀬良姫乃に勝るとも劣らない!!」
鏡の中の「地味な私」に向かって、私は絶叫した。
「『存在が奇跡』、『いるだけで浄化』ですって!?そんなの、絶対にウソよ!!ただの…いえ、盛大な『化粧詐欺』じゃないの!!!」
絶望と怒りが、私の心を支配する。
「なによ、これ……!そもそも、私って…。本当に聖女なの……!?」




