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37. SIDE:L / あざと聖女のチェックメイト


「国家利益……で、ごさいますか……?」


ルカは、目の前の女性を、改めて見つめ直した。

先ほどまで悔しそうに涙を堪えていた少女の面影は、もうどこにもない。


可憐な微笑みの下に隠された、燃えるような闘志。


「泣き寝入りするつもりはない」と、その目がはっきりと言っている。ルカは無意識のうちに身構えた。


しかし彼女は、こちらの警戒など意に介さずに続ける。


「ええ。国のため、民衆のため、わたくし、筆頭貴族である『アッシュフィールド』様に、ご相談があるのですわ」


その言葉は、全ての逃げ道を塞ぐ、完璧な一手だった。


彼女は、もう、感情に訴えかけたりはしない。

ルカが持ち出した冷徹な貴族の論理、その土俵に真正面から乗り込んできたのだ。



慈愛に満ちた微笑みで開戦を告げる聖女を前に、ルカは、ゆっくりと息を吐いた。



「………お伺いしましょう」


家名と『国と民』を引き合いに出されて、無視することなどできるはずもない。


乗るしかない。ルカは、固い声で応えた。


「どこから、お話すればよろしいのかしら。わたくし、とても困っておりますの。───なぜなら、貴方の急な退任により、複数の重要プロジェクトに致命的な遅延リスクが発生したからですわ」


(───それは専属従者の職務の範囲外だ。こちらの責ではない)


彼女の主張は、論理のすり替えだ。冷静に、事実だけを切り分けて対処すればいい。


ルカが口を開こうとした瞬間、姫乃はさらに悲しげに眉を下げて、言葉を続けた。


「本当に、己の未熟さを恥じ入るばかりです。貴方の『善意』を当然のものとして、この国の復興計画に組み込んでしまった…。それが、このような結果になるとは思いもせずに……。わたくしが、浅慮でございました」


用意していた反論の言葉が、喉の奥で消える。


「『瘴気低減計画』のマイルストーンに、最低でも一ヶ月の遅延が予測されます。民にも、そして王子にも、ご負担をおかけすることに……。すべて、わたくしの責任ですわ」


ルカは、内心で舌を巻いた。


精神的に有利に立つための、計算ずくの「自己批判」。それは、彼がよく知る、貴族流のやり口だった。


ここで沈黙を貫けば、聖女の責を認めたことになる。それは、後見であるアッシュフィールド家として、許されない。


姫乃が潤んだ瞳でルカに発言を促している。


彼は、罠だと分かっていながら、しぶしぶと重い口を開いた。


「………そのような…ことは、決して」

「まあ……お優しいのですね」


引き出した否定の言葉を、彼女は柔らかな微笑みで受け止めた。


「ですが、もちろん、あなたのせいでもございませんでしょう?……そうですね。ではどちらにも至らぬところがあった、ということにいたしましょう」


議論の主導権を手にして、彼女は、さらりと結論付けた。


そして、まるで、スイッチを切り替えるように、それまでの弱々しい微笑みを完全に消し去り、凛とした声で、次のステージへと駒を進める。


「仰る通り、わたくしだけの責ではございませんね。ですが……わたくしには『聖女』として、この国に安寧をもたらす義務がございます。ですから、最善を尽くして、責任を果たそうと思うのです」


姫乃の瞳が、冷徹な色を帯びる。


ぞくり、とした。


ルカは、目の前の女性が、彼のよく知る『鉄の女』の貌を覗かせたのを肌で感じていた。



「その上で、アッシュフィールド様にご相談があるのです」


「……私への、仕事のお話でしたら」


「いいえ、そんなまさか…!『あなた』個人に、ご負担をおかけするつもりは全くございませんわ。それでは『公私混同』になりますでしょう?」


先手を打って返される。完全に後手に回ったルカは口をつぐんだ。


その様子を、彼女は油断のない怜悧な瞳で見据えている。


「そうではございません。わたくし、今後は正式な形で、アッシュフィールド家とヴォルテール家に協力をお願いするつもりなのですわ」



(……そういう、ことか)


ルカの脳裏で、点と点が、ようやく、繋がった。


自己批判も、聖女の義務も、全てはこのための布石だ。


彼女の目的は、二大貴族の均衡を利用し、同時にプロジェクトに縛りつけること。

『貴族の義務』を大義名分に、逃れられない政治的な包囲網を築くことだ。



「ヴォルテール家には、腐敗貴族から没収した資産の、適正な再分配計画の監督を」


当然、アルマンドは二つ返事で引き受けるに違いない。


ルカは、覚悟を決めた。

ただ、姫乃の次の言葉を待つ。



「そして、アッシュフィールド家からは、わたくし専属のサポート役の選出をお願いしたく存じます。職名は……『聖女補佐官長』で、よろしいかしら?」


聖女補佐官長。それが、単なるお世話係でないことは明白だ。


ルカの諦観の眼差しに応えるように、彼女は続ける。


「『聖女』の右腕として、『王立戦略情報室』と『王立魔導技術院』の運営統括、及び各組織との調整を一任するのです。間違いのない方をお願いいたしますね。……もちろん、あなたでも、あるいは、より適正のある方でも構いませんわ」


最後の言葉は、明確な挑発だ。


貴族としての義務と、ルカ個人としてのプライドを同時に揺さぶる、狡猾な一手。



そして、追い打ちをかけるように、彼女は、最強のカードを切った。


「午後に、国王陛下への謁見を予定しておりますの。ご存じでしょう?すぐにでも上申し、正式な手続きを開始しますわね。ふふ、きっと、明日には承認されますわ!」



(───チェックメイト、だ)


ルカは内心で、自らの敗北を認めた。

逃げ道は、もう……いや、最初から存在しない。


『詰め』られていたのだ。この交渉がスタートした瞬間に。




「…まあ、アッシュフィールド様、お顔の色が悪いですわ」


彼女は、心底心配そうに、その美しい顔を曇らせた。


「もしよろしければ、わたくしに『お祈り』させてください。そうですね……こんなのはいかが?」


そして、祈るようにそっと両手を組み、満面の笑みで、こう続けた。




「───『貴方のその意地悪が、早く治りますように!』」



その、聖女の祈りとは似ても似つかない最後通牒。


彼女の、鮮やかで、情け容赦もない逆転劇を前に、ルカは、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


その顔からは、完璧なポーカーフェイスが、綺麗に剥がれ落ちていた。






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