33. SIDE:S / 王子(ヒーロー)と聖女(ヒロイン)
あれから、数週間が過ぎた。
執務室の窓から差し込む陽光は、どこか以前よりも明るく、そして温かく感じられた。
ペンを置き、一息つこうとテラスに目を向ける。
開け放たれた扉の向こうには、活気を取り戻した王都が広がっていた。
職人街から響く小気味よい金槌の音、市場の賑わい、そして子供たちの笑い声。ゲイルたちの改革は、着実に成果を上げているようだ。
その光景を、一人の女性が、静かに眺めている。
私は、テラスに佇む彼女の背中に向かって、静かに声をかけた。
「──セーラ」
その声に、セーラがくるりと振り向いた。その手には、しっかりと「瘴気検知器」が握られている。
どうやら感傷に浸っていたわけではなく、効果測定中だったらしい。いつでも揺るぎない彼女に小さな笑みがこぼれる。
「改革は、順調のようだね」
「ええ。皆さま、優秀ですから。特に、宰相閣下の政治手腕には驚かされるばかりですわ」
「はは、違いない。…だが、彼らを束ね、導いたのは君だよ」
私は、改めて彼女に向き直った。胸にあるのは、一点の曇りもない、純粋な感謝の念だ。
「ありがとう、セーラ。やはり、あなたは、この国を救う聖女だった」
『聖女』という言葉の意味は、もう伝承のそれとは変わっている。私にとって、それは、この国を絶望の淵から救い上げた、一人の気高い女性に贈る、最大級の敬称だった。
私の心からの言葉に、しかし、彼女は小さく首を振った。
「いいえ、王子。世界を救ったのは、わたくしではありません。───皆さんの、力ですわ」
彼女はそう言って、誇らしげに微笑む。自分の功績を誇るのではなく、仲間を讃える。その気高い在り方に、私は、改めて心を奪われる心地がした。
彼女の眩しさに、私は、知らず知らずのうちに目を細めていたらしい。セーラは、わずかに視線を泳がせて言った。
「……あの、王子。そのように熱心に見つめられると、居心地が悪いですわ」
「はは、これは失礼。あまりに君が美しいものだから、見惚れてしまったようだ」
私の言葉に、彼女は、ますます困ったように、眉を寄せた。
「…………あの。そのことなのですけれど」
そして、チラチラと辺りを気にしながら、声を潜めて続ける。
「……実はですね。私、化粧でなんとか取り繕って、それらしく見せているだけで……。本当は、華もオーラも何もない、ただの地味な女なんです」
思ってもみなかった告白だった。私が目を瞬いていると、彼女は真剣な顔で「内緒ですよ!?聖女の威厳に関わりますから!」と、人差し指を立てて口に添えてみせる。
常に何事にも動じない彼女の、その、あまりに……可愛らしい一面に、私は思わず笑みをこぼした。
「そうか。君がそういうのならば、そうなのかもしれないね。……だが、たとえ、そうだったとしても、それがなんだというのだろう?」
私は、彼女の小さな手を取り、恭しく掲げ、心からの言葉を告げる。
「私が知っている君は、誰よりも聡明で、誰よりも強く、そして…誰よりも美しい。伝承に出てくる聖女様がどんな方かは知らないが、私にとっては、君こそが唯一無二の、───私だけの、聖女だよ」
その瞬間、いつも冷静な彼女のポーカーフェイスが、音を立てて崩れた。
カァッと頬が赤く染まり、その熱を隠すように両手で顔を覆った。
「……私が、聖女だというのなら…。あなたは、本当に、本物の…生粋の王子様だわ。まるで、恋愛物語のヒーローみたいよ」
「そうかな?」
「そうよ!今の台詞なんて、まるで、あの恋愛小説『憂国の王子様は、なぜか地味な私にご執心!』の告白シーンそっくりで……」
はっとしたように、彼女はゴホンと咳払いをして口をつぐむ。
その慌てた様子が微笑ましくて、私の心に、少しだけ悪戯心が湧いた。
── 恋愛物語のヒーロー、か。
ならば、その役を演じてみるのも一興かもしれない。
私は、静かに、しかし迷いなく、彼女の前に跪いた。
彼女の小さな手を取り、その甲に、祈るように口づける。まるで、物語の一節を再現するかのように。
「セーラ。…君と出会えたのは、運命だったのだと思う。灰色の世界にいた僕に、君は再び、光を与えてくれた」
驚きに見開かれる、美しい瞳。
その瞳を真っ直ぐに見つめながら、私は『王子』の仮面にのせ、心からの真摯な言葉を紡いでいく。
「この国の王としてではなく、ただ一人の男として、君に誓う。この命ある限り、君だけを守り、君だけを愛し続けると。どうか、僕の妃になってほしい。僕の、永遠の光になってはくれないだろうか」
その突然の『求婚劇』に、彼女は、大きく目を見開いたまま固まっている。
私は、茶目っ気たっぷりに片眼をつぶり『姫』に返事を乞うた。
「──どうかな? 麗しの姫君。あなたのお返事は?」
私の芝居がかった問いかけに、彼女はしばらく、呆気に取られた顔をしていた。だが、やがて私の意図を察したのか、こらえきれないといったように、くすくすと楽しげな笑い声を漏らし始める。
そして、まるで舞台女優のように、一瞬で甘やかな『姫君』の表情を作ると、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。
「まあ……王子様!そんなにもわたくしのことを…?光栄ですわ。わたくしにとっても、貴方は運命のお方……。この世界に導いてくださった、光そのものですわ!」
そこで、彼女は言葉を切った。
甘い微笑みを消し、代わりにいつもの彼女らしい理知的な笑みを浮かべる。
「でも、お断りさせてください。だって───」
彼女の瞳が、少しだけ、悪戯っぽく輝く。
「物語のヒロインを演じるよりも、リーダーとして仕事をしている方が、ずっと楽しいんですもの!」
そして、心の底から、楽しそうに、嬉しそうに破顔した。
その、何ものにも縛られない自由な笑顔が、どんな光よりも眩しく、私の心を照らし出す。
つられるように、私も顔を綻ばせ、二人で、声をあげて笑い合った。
◇
そして、しばらく、彼女と王都を眺めながら、たわいもない雑談に興じていると、いつの間にか、ルカが少し離れた場所に静かに佇んでいた。
どうやら、セーラを呼びに来たらしい。彼に気づくと、セーラは慌ただしく、そして優雅に会釈した。
「では、王子。またご報告に伺いますわ」
「ああ。待っているよ」
セーラはそう言うと、もはや振り返ることもなく、急ぎ足で去っていく。
それを、微笑ましく見守っていると、テラスには、私とルカの二人だけが残された。心地よい風が、沈黙を運んでくる。
「……見ていたのか」
「はい。楽しげにお話しされているようでしたので、お声がけを控えておりました」
「ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。彼女は…セーラは、とても、美しく、気高く……不思議な方だな」
「……ええ。左様でございますね」
いつも通りの、薄く、穏やかなルカの笑み。
だが、瘴気を克服したことで、私の感覚は以前よりも遥かに研ぎ澄まされていた。彼の完璧な仮面の下に潜む、微かで、冷たい感情の流れ───それは、私がかつてその身に受け続けた、苦悩の気配そのものだった。
「ルカ、お前………彼女に…?」
思わず、口をついて出た私の言葉に、ルカは一瞬、息を詰まらせた。完璧な微笑みが、コンマ数秒だけ揺らぐ。
しかし、彼はすぐにいつもの表情を取り戻すと、わずかに苦笑した。
「……これはこれは。先日はしたり顔で説教をしてしまいましたが、私もまだまだ未熟なようですね」
肯定も否定もしない。それは、これ以上、踏み込ませるつもりはない、という防御壁だった。
かつて彼が私にかけてくれた言葉を、今度は私が彼に返す。
「……言いたいことがあるのなら、聞くぞ。主君としてではなく、友人として、だ」
その申し出に、ルカの瞳が、再び、苦しげに揺れた。
だが、彼は、その言葉から逃れるように、線を引くように、後ろに一歩下がる。
そして、また完璧な臣下の顔に戻ると、恭しく頭を垂れた。
「では……。退出の御許可を。これ以上、王子にご心労をおかけする訳には参りません。貴方は、この国を導く光ですから」
再び顔をあげたルカの顔には、初めて見るような、懇願するような表情が浮かんでいた。それを前に、私は頷くことしかできなかった。ルカは、小さく一礼すると、踵を返した。
テラスから見える王都は、夕暮れの光に照らされ、美しく輝いている。
ただ静かに、その光の中で、友の幸せを祈った。
お読みいただきありがとうございます!
王子篇・エピローグ、いかがでしたでしょうか。次回からは、満を持してのルカ篇です!
ぜひ、ブクマ・感想・評価などなど、よろしくお願いいたします!
◇◇◇◇
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