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32. SIDE:S / 救国のロードマップ


セイリオスの非難を浴びて、彼女は、ふっと、それまで浮かべていた聖女としての儚い微笑みを消した。

代わりに浮かんだのは、かつて男社会を生き抜いた『鉄の女』のそれ───全てを計算し、決して折れない強靭な意志を湛えた、不敵で好戦的な笑みだった。


「ええ、そうよ。だって、私は聖女じゃないもの」


セイリオスが息を呑むのを意にも介さず、彼女はその笑みを深める。


「あいにく、誰かに与えられる『奇跡』を待つほど、気は長くないの。聖女ブランドの事業主、王立研究所の統括責任者、そして王立戦略情報室の室長として、やるべきことが山積みだわ」


彼女の瞳が、冷徹な光を放つ。


「だから、一人の人間として、今できることをする。───全員で力を合わせ、この世界の歪んだ仕組みを、根本から作り変えるのよ!」


「セーラ、君は、何を…」


なおも戸惑うセイリオスを、彼女は冷徹に、片手を上げて制した。


「これより、施策会議を始めます」


凛とした声が、有無を言わさぬ空気を生み出す。


「各担当者は、計画の報告を。───質問は、総ての報告が終わった後に伺いましょう」


セーラが、鋭い視線でゲイルを促す。それを受け、騎士団長が力強く一歩前に出た。


「騎士団は治安維持を強化し、民衆の『不安』という発生源を叩く! 目標は、発生量15%削減だ!」


壁に投影された資料には、彼の言葉を裏付ける具体的な施策がいくつも並んでいた。

王都のパトロール人員の倍増と巡回ルートの最適化、主要地区への騎士団詰所の新設、悪徳商人の不当な買い占めや価格吊り上げに対する専門取締部隊の設置。

そのどれもが、民衆の不安を直接的に取り除くための、具体的なロードマップだった。


続いて、宰相アルマンドが静かに、しかし重みのある声で言葉を継ぐ。


「宰相府は富の再分配を是正し、民の『不満』を断ちます。目標は、発生量20%削減ですな」


彼の示す計画は、より構造的だ。

先の調査で不正が確定した貴族からの資産没収と、それを原資とした貧困地区への食糧・物資の緊急配給。公共事業の創出による失業者対策、さらには、中小規模の農家や商人に対する時限的な減税措置。

そこには、不満の根本を断つための、大胆かつ緻密な政策が記されていた。


そして最後に、魔術師団長ゼノンが、新たな時代の到来を告げるように宣言する。


「魔術師団は生活を豊かにする魔導具を普及させ、人々の心に『希望』を生み出します。これは……瘴気を『希望』へと転換する施策です」


彼の計画は、未来への投資そのものだった。

安価で安全な『魔導灯』の各家庭への配備による夜間の生活環境改善。天候や災害情報を共有する『魔光通信網』の整備。さらには、農業生産性を飛躍的に向上させる土壌改良魔法の実用化……。

人々の暮らしを根本から豊かにし、未来への希望を育むための、革新的な技術開発プランがそこにはあった。



矢継ぎ早に語られる、具体的で、揺るぎない計画。


「いかがかしら。もちろん、これはまだ、計画の第一フェーズよ。効果を見極めながら、順次、第二フェーズ、第三フェーズへと移行するわ」


セイリオスが言葉もなく圧倒されていると、彼女が三人の力強い宣言を締めくる。


「必要なのは、瘴気の絶対量を減らすこと。要は、民衆のためになる政治をすればいい。───ただ、それだけのことよ」


そして、いとも簡単なことのように、挑戦的な笑みを浮かべてみせた。




── それは、余りにシンプルで、揺るぎのない結論だった。


彼女の示した道筋に、セイリオスの胸に長年溜まっていた重い「澱み」が、まるで陽光に照らされたかのように、ふっと軽くなる。


かつて、ばらばらだった国の中核──騎士団、宰相府、魔術師団が、セーラという一人の女性の下に集い、完璧な連携と信頼を見せている。

本当に、彼女なら。この者たちとなら、成し遂げてしまうのかもしれない。


その圧倒的な期待と希望が、セイリオスの心を晴れやかにした。


だが同時に、その中心にいるべき自分が、ただ立ち尽くしているだけという事実が、冷たい現実となって彼の胸に突き刺さる。


セイリオスは、思わず、強く拳を握りしめた。彼女たちが掴もうとしている光が、あまりに眩しく、そして、遠かった。


「───けれど」


その心の揺らぎさえも見透かしているかのように、彼女は、静かに口を開いた。


「それでも、人が人である限り、不満は完全にはなくならない。その、社会システムでは取り切れない最後の澱みを払うのは───あなたの役目よ。セイリオス王子」


その声には、先ほどの不敵さは影を潜め、ただ、一人の人間としての、真摯な光が宿っていた。


「伝承の『王と聖女』ではなく、『あなた自身』が、希望となって、人々を導くの」

「……私には、無理だ」


セイリオスは、か細い声で答えるのが精一杯だった。


「その役目は、君こそが…」

「言ったでしょう?私は聖女じゃないって」


セーラはきっぱりと首を振る。そして、その瞳に、初めて、深く優しい光を宿した。


「それに、あなたならできるわ。だって、これは、あなたが今まで、無意識にでもやってきたことだもの」

「え…?」


「誰も…あなたでさえ気づかないまま、あなたはたった一人で、民の絶望をその身に引き受け、必死でこの国を守り続けてきた。……それが、あなたを、ここまで追い詰めたのよ」


その言葉は、彼の内なる「呪い」の意味を、根本から覆した。

この苦しみは、無力さの証明ではなかった。国を守っていた証だったと、彼女は言う。

セイリオスが言葉を失っていると、彼女は、そっと背後に視線を送った。


「だから……。ルカ」

「はい、ヒメ」


彼女の後ろに控えていたルカが、静かに一歩前に出る。

その瞳には、非の打ち所のない忠臣のそれとは異なる、どこか真摯な光が宿っていた。


「及ばずながら、僕にサポートさせてください」

「ルカ…?」


「僕は…あなたの臣下であろうとしました。その役目に固執するあまり、あなたの命を聞き、あなたを見ていることしかしなかった。それが、あなたを一人きりにしていたのですね。……僕の落ち度です。申し訳ありません」


ルカは、深く、深く頭を下げた。

そして顔を上げた時、その表情は、もう完璧な臣下のそれではなかった。


「だから、僕も改めましょう。あなたが、あなたでいられるように。───臣下としてではなく、友人として」


友人。その響きが、セイリオスの凍てついた心に温かく染み渡る。

ルカは、少しだけ悪戯っぽく微笑むと、わざとらしく、呆れたような表情を作ってみせた。


「あなたには、言いたいことが、たくさんあるんです。……まったく。覚悟はいいですか?」


それは、セイリオスが遠い昔にだけ知っていた、唯一無二の親友の顔。

そして、懐かしく、どこまでも優しい、あの頃の響きで言った。


「──────セイル」


その呼び名を聞いた瞬間、セイリオスの瞳から、一筋の涙が静かに零れ落ちた。







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