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31. SIDE:S / 偽りの聖女


重々しい扉が、内側からゆっくりと開かれた。


澱んだ闇に沈んでいたセイリオスの執務室に、廊下からの光が奔流のように流れ込む。その光を背に、一人の女性が静かに足を踏み入れた。


────聖女セーラ。


彼女の背後には、まるで光の軌跡のように、この国の実権を握る者たちが影となって付き従う。


王国最強の「盾」と名高いゲイル、比類なき「天才」と称えられるゼノン、王城の闇を掌握する宰相アルマンド、そして、彼女の傍らを決して離れぬ……王家の懐刀であるはずの忠臣、ルカ。


彼らは誰一人として、この部屋の瘴気に影響されることなく、ただ、凛として立つ聖女を支えるように控えている。


その光景は、セイリオスの目には、まさしく「光を御する聖女と、彼女に(かしず)く守護者たち」という、一枚の神話の絵画のように映った。


胸の奥で常に渦を巻いていた、重く冷たい「澱み」。それが、彼女の神々しい姿を前にして、ほんの一瞬、和らぐような錯覚を覚えた。そうだ、やはり彼女こそが、この国を、そして私を救う唯一の希望なのだ。


「……よく、いらした、聖女様」


セイリオスは、椅子からよろめくように立ち上がると、震える足で彼女へと歩み寄った。その瞳には、純粋な希望の光が宿っている。


「あの時、あなたに触れた瞬間……、私の心が、軽くなった気がした。やはり、あなたは私の聖女だ。さあ、こちらへ…」


彼は、救いを求めるように、彼女へと手を伸ばした。

その手を取ってくれさえすれば、この長い冬は終わる。そう、確信していた。


だが、聖女は動かなかった。

差し出された彼の手を、ただ、静かに見つめ返すだけ。その大きな瞳には、同情も、憐れみも、そして期待もない。そこにあるのは、揺るぎない決意の色だけだった。


伸ばされたセイリオスの手は、行き場を失い、虚空で止まる。

彼が感じた希望の光が、急速に色を失っていく。


やがて、彼女は、静かに、しかし部屋の隅々まで響き渡る明瞭な声で告げた。


「いいえ、王子。あなたの隣に立つことはできません。───わたくしは、聖女ではありませんから」


その言葉は、最後の希望を打ち砕く、無慈悲な宣告だった。セイリオスの瞳から光が完全に消え失せ、彼の胸の澱みは、以前よりもさらに冷たく、重く、その身を蝕み始めた。




「………聖女では、ない?セーラ、あなたはいったい何を……?」


セイリオスは、絞り出すような声で問う。だが、彼女は答えない。


彼の視線が、助けを求めるようにセーラの後ろに控える者たちへと移る。しかし、ゲイルも、ゼノンも、アルマンドも、そしてルカでさえも、ただ揺るぎない表情で佇むだけだった。その沈黙が、何よりも雄弁に彼女の言葉が真実であることを突きつけていた。


「本当、だというのか……?」


セイリオスの足元から、世界が崩れていく。


「聖女はいない、奇跡はおこらないと……!あの伝承は、実現しないというのか…!!」


絶望が、叫びとなってほとばしる。


「それでは、国は……私は、どうなる!?」


その、魂の叫びを、彼女は静かに受け止めた。そして、絶対的な確信を持って、断言する。


「ええ、王子。全て、あなたの仰る通りですわ」


彼女は一歩前に出ると、セイリオスの瞳を真っ直ぐに見据えた。


「聖女はいない。奇跡はおこらない。伝承は実現しない。それが、現実です」


畳みかけるような言葉に、セイリオスの顔から血の気が引いていく。だが、彼女は続ける。その声には、憐れみではなく、新たな真実を告げる者の力強さがあった。


「だけど、それで良いのです。──その『伝承』こそが、この世界を窮地に陥れたのですから」


彼女の言葉を受けて、ゼノンが持ち込んだ魔光石に手をかざした。

闇で覆われた部屋の壁、その一面に淡い光が広がる。


人々の『絶望』を可視化したグラフや表、地図の数々。

それは、王家が『伝承』を盾に、目を背け続けてきた現実そのものだった。


国に広く分布する、人々の絶望──『瘴気』。

それを、一手に集積する役割を担う『王家』と、それを浄化する『聖女』。

どちらか一方が限界を迎えれば、全てが崩壊する。


「国を覆う『絶望』を、王が引き取り、聖女が浄化する。一見、美しく見える『伝承』が、その裏に潜む問題を覆い隠してきたのです」


───美しく、しかし脆弱な、この世界の理。

背後のアルマンドが静かに頷き、ゲイルが固く拳を握るのが、セイリオスの視界の端に映る。


彼女は一度言葉を切り、冷徹な光を湛えた瞳で、宣言した。


「────『奇跡』は、世界を救う力などではありません。明白な『単一障害点』……早急に、排除するべき『構造的欠陥(リスク)』です」


それは、宣告であると同時に、冒涜だった。


神聖なる『伝承』を、民を救う唯一の『奇跡』を、彼女は排除すべき『リスク』だと貶めたのだ。セイリオスの血が、頭に上る。長年、澱みの中に沈み続けてきた彼の感情が、初めて噴き荒れた。


「『伝承』を、『奇跡』を…否定するつもりか……!王家でも、聖女ですらない、君が……!!」





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