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30. 『奇跡』という名の単一障害点


意識が浮上した時、最初に感じたのは、自分の寝室の天蓋と、額に乗せられた冷たいタオルの感触だった。


「…気が、つきましたか」


すぐそばから聞こえた、安堵と、深い疲労を滲ませた声。見れば、ルカが、ベッドの脇の椅子に腰掛けたまま、私の顔をじっと覗き込んでいた。


「…私、どれくらい…」

「丸一日、眠っておられました。殿下との謁見の後、気を失われたのです」


ルカは、私のために水を用意しながら、淡々と告げる。


「セイリオス殿下からは、ヒメの体調が回復するまで決して部屋から出さぬようにと、厳命が下っております。貴女の身を案じての、特別なご配慮、とのことです」


その言葉に、私の胸が、ちくりと痛んだ。

王子が案じているのは、私の身体ではない。「聖女」という、国を救うための『道具』のコンディションだ。


そして、もしかしたら、ルカも…。

彼が、これほどまでに私に尽くしてくれるのも、全て、私が王子と結ばれ、彼らの主君を救うための存在だからかもしれない。


その思いが、胸に渦巻いた瞬間だった。

腕につけた『瘴気検知装置』が、じわり、と赤い光を帯びた。自己嫌悪と、孤独感。私自身の負の感情が、瘴気を生み出しているのだろう。


(ああ、この、赤い光…。王子の瘴気の色と、同じだわ……)


その赤い光を見て、私は、セイリオス王子のことを思う。

あの建国物語は、ただの神話なんかじゃなかった。この『異世界』の現実だ。王の心を癒す、聖女の力…。王子は、本気で、私にそれを求めている。


(あんな、おぞましいほどの瘴気を一身に抱え込んで…。彼は、なぜ、まだ立っていられるの?一体、いつから…?いつから、たった一人で、あの見えない敵と戦っていたんだろう)


───彼の、妃になる?

妃になれば、本当に、彼は、あの苦しみから解放されるの?


でも、それは、私が彼の代わりに、あの瘴気を全て引き受けるということではないだろうか。彼は、救われるかもしれない。代わりに、今度は、私が病んでいく。


(もし、私が、本物の聖女だったら…?)


あの伝承の通り、私に奇跡の力があれば、彼の瘴気を全て、綺麗に浄化してあげられるのかもしれない。

でも、私にはできない。なぜなら、私が、聖女ではないから。奇跡の力を持っていないから…。


思考が、暗く、冷たいループに陥っていく。メーターの赤い光が、さらにその濃さを増した。



───その時だった。


「ヒメ」


ルカの、静かだが、強い声。

彼の手が、そっと、私の手に重ねられた。


「……約束したはずですよ、一人で抱え込まないと。僕はそんなに、頼りになりませんか?」


その、温かい感触。

彼の言葉に導かれるように視線をあげて、彼の瞳をじっと見つめる。そこにあるのは、ただ、純粋な、私への心配の色だけだった。


不思議と、ささくれ立っていた心が、凪いでいく。

気づけば、腕のメーターの赤い光が、すうっと、元の穏やかな色に戻っていた。



(……ああ、そうか……)


瘴気は、回復できる。

誰かが、ただ、傍にいてくれるだけで。心を支え、思考のループから引き上げてくれるだけで、人は、自らの力で、負の感情を抑え込むことができる。


だとしたら、王子に必要なのも、きっと同じ。

一方的に救ってくれる奇跡の力なんかじゃない。心を預けて、共に考え、戦うことのできる、対等なパートナーだ。


ちょうど、今の、私にとってのルカのように。私が、王子を隣で支えれば、あるいは──。



(……でも、それだけで、いいのかしら……?)


民の絶望を王子が引き受け、─── それを王子(かれ)聖女(わたし)で、分散して、消化する。

国民の、世界の絶望の全てを、たった二人で。



ぞくりとした。背筋に、冷たい汗が流れる。


(───無理に、決まってるわ)


発生した瘴気を王が吸収し、それを聖女が癒す。その伝承は、確かに、真実の一端なのかもしれない。


でも、それは所詮、場当たり的な対処でしかない。そんな歪んだ構造は、いつか必ず破綻する。

王家、そして聖女という「単一障害点」の処理能力を超えて、オーバーフローしたのが、今の結果なのだから。



───つまり。


「王と聖女による救済」という、この国の美しい伝承(システム)

それこそが、この世界の抱える、最大の構造的欠陥(リスク)


本当に必要なのは、根本対処。

瘴気の発生源……つまり、国民の絶望そのものを、減らすための施策だわ。




「ルカ」

私の声には、もう迷いはなかった。


「起きるわ、寝てる場合じゃないもの。すぐに行動を開始するわよ」

「……殿下と、ご面会を?」

「いいえ。先に、やるべきことがあるわ」


私は、ベッドから身を起こすと、決意を込めて、彼に告げた。


「王子の瘴気の問題は、あまりに根が深い。これは、私一人でどうにかできる問題じゃない。ゼノンと…それから、ゲイル団長とアルマンドにも、協力を求めたいの」


ルカが、わずかに息を呑むのがわかった。


国の中枢たる彼らと、王家を抜きにして、王家の──国の問題に対処する。

それは、明らかな越権行為。事実上の「革命」ともとれる宣言だ。


「ですが、ヒメ。『聖女様をここから出すな』とのご下命で……」

「関係ないわ。ここにいるのは『聖女』じゃないもの」


私は、自嘲するように、ふっと笑った。


「私が、『聖女』のフリをして、彼に期待させてしまったのが、いけなかったのよ。だから、彼は『聖女がなんとかしてくれる』なんて、甘い他者依存の考えから抜け出せないでいる」


重ねられたままのルカの手から、小さく動揺が伝わってくる。

聖女(わたし)』を護り、導き、支え続けてくれた共犯者。けれど、その守りも、もう必要ない。


私は、彼の瞳を真っ直ぐに見据えて、言う。


「だから、もうやめるわ。この国に、聖女はいない。奇跡は起こらない。その事実を、彼らに──王家に共有する。そして、その前提のもと、私たち一人一人が、自分にできる方法で、この国を立て直すのよ」


それは、偽物の聖女(わたし)が、この世界を救うために下した、最初の、そして、最も重要な決断だった。


「──この世界のシステムを、根本から作り直す。手伝ってちょうだい」







お読みいただきありがとうございます!

いよいよ世界の謎が明らかに。クライマックスも近づいてまいりました。

次回は、セイリオス視点です!

ブクマ・感想・評価などなど、ぜひよろしくお願いいたします!<(_ _)>


◇◇◇◇

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