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27. セイリオス・フォン・ルクシード


ルカに案内された先にある、セイリオス王子の執務室。

その前に立ち、私は一度、小さく深呼吸をした。


これから会うのは、この国の、未来の王。

そして、私がこの世界で初めて言葉を交わした相手でもある。


脳裏に蘇るのは、召喚されたあの日の、彼の姿だ。陽の光をその身に集めたかのような、圧倒的なカリスマを放つ、物語から飛び出した来たかのような王子様。

気品あふれる振る舞いに、聖女(わたし)を労わるように見つめた瞳。少なくとも、全てを丸投げした国王よりは、ずっと話が通じる相手のはずだ。



「聖女セーラ様、王子がお会いになります。お入りください」


重々しい扉が、内側から開かれる。


室内に足を踏み入れた瞬間、私は、その空気に違和感を覚えた。季節は夏だというのに、まるで冬のように冷たく、空気が澱んでいる。陽の光を拒むように固く閉ざされたカーテンのせいで、部屋全体が薄暗い。


そして、その澱んだ空気の中心に、王子はいた。


豪華な執務椅子に深く腰掛けた彼は、私たちが来たことにも気づかないかのように、ぼんやりと壁の一点を見つめている。


──あの時に感じた、太陽のような輝きはどこにもない。

そこにいたのは、まるで魂が抜け落ちてしまったかのような、虚ろな青年だった。


「殿下。聖女様がお見えです」

ルカが声を上げると、彼はようやく顔をこちらに向けた。


「ああ……。よくいらしてくれた、聖女様」


その力のない声に、胸騒ぎを抑えきれない。

私は、会釈をする振りをして、手首に付けた腕輪型の瘴気検知装置に、さりげなく視線を落とし───目を見開いた。


(─── 信じられない)


目の前の王子から発せられる瘴気量は、先日夜会で計測した、どの腐敗貴族よりも、遥かに高い数値を刻んでいた。


「……王子殿下。本日は、緊急にご報告したいことがあり、参上いたしました」


私は、内心の驚愕を押し殺し、努めて冷静に切り出した。

作戦司令室で目にした、どす黒い瘴気のデータの分布と、その意味を、一つ一つ、詳細に説明していく。国の危機的状況を、彼に理解してもらうために。


しかし、私の必死の説明を聞くセイリオス王子はどこか上の空だった。

やがて、もう良い、とでも言うように、彼は軽く手を振った。


「聖女様。心配は無用です。直に、すべてが上手くいくでしょう」

「……王子?」

「あなたが、私の側にいてくだされば、それだけでいい。それこそが、この国を救う、唯一の奇跡なのだから」


その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で、何かが、ぷつりと切れた。


(ダメだわ、この人……話が、全く通じない!)


私が愕然とするのをよそに、王子は、私への賛辞と妄信的な言葉を発し続けている。彼が言葉を紡ぐたびに、気分が悪くなる。まるで、彼の全身から、恐ろしく不快な「何か」が放出され、私に襲いかかってくるような…そんな錯覚を覚えた。


ずきり、とこめかみが痛んだ。靄がかかったように、思考がまとまらない。

ふいに、視界の端で、瘴気検知装置が不規則な明滅を繰り返しているのが目に入った。


(───錯覚じゃない。彼の瘴気が、私に、影響を及ぼしている…?)


彼の言葉が、その狂信が───、私の心と体を内側から蝕んでいくようだった。



「あなたこそが、我らが光……」


王子が、こちらに手を差し伸べた瞬間、一際大きくメータが反応を示した。


視界が大きく揺れる。立っていられない。

ぐらり、とよろめいた私の体を、背後から伸びてきた腕が、力強く支えた。


「ヒメ、しっかり」

「…ルカ……」


鋭く、緊張をはらんだルカの声。

その腕の確かな感触だけが、かろうじて私の意識を繋ぎとめた。


「……聖女様?いかがなさいました。お身体の具合でも?」


王子が、今気づいたとばかりに、心配そうに眉を寄せる。

その瞳には、純粋な気遣いの色だけが浮かんでいる。彼は、自分自身が、私を蝕んでいることに、全く気づいていないのだ。


「ルカ。聖女様がお疲れのご様子だ。部屋へお連れしろ」

「───いいえ、王子。私の話は、まだ……」


王子は、私の声に反応を示さなかった。ルカに向かって、再度、念を押すように命令を下す。

「連れて行け。───くれぐれも丁重にな。聖女の奇跡は、この国の至宝。我らを救う、ただ一つの希望なのだから」


ふと、彼の視線が、明後日の方向へと注がれていることに気づく。

その視線の先にあるのは───壁にかけられた、一枚の巨大なタペストリー。


それは、この世界に伝わる『伝承』の一場面だった。


── 建国の王と初代聖女。

誓いの儀式のように、固く手を取り合う二人。

それを祝福するかのように光が溢れ、世界を照らし出している。



その瞬間、私は理解した。


王子は──王家は、心の底から、信じている。

民の安寧を。『伝承』の再来を。救いがもたらされる瞬間を。


一心に、願い、信じて。

そして、ただ、ひたすらに───愚直に、待っている。

どんなに言葉を尽くしても、耳を傾けることもせず、思考も全て放棄して。


頭の奥が、瞬時に、カッと赤く染まった。


ありえない。

それでは、まるで、ただの──────。


大きく息を吸い込み、口を開きかけた、その瞬間──────。

ルカが、有無を言わさぬ力で、ぐっと私の腕を引いた。


「ヒメ、これ以上は」

「なっ…離しなさい、ルカ!」

「参りましょう。どうかお聞き分けを」



必死の抵抗も虚しく、私は、ルカに半ば引きずられるようにして、執務室から退出させられた。何とか振り返った先では、王子が、ただ穏やかな、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、私を見送っていた。



バタン、と無情に扉が閉ざされる。


この時、私の頭の中に、一つの絶望的な事実が刻みつけられた。


この国の、最も根深い病巣は、腐敗した貴族などではなかった。

ルクシード王家───希望の象徴であるはずの、この国の『光』の中にこそ、『闇』が潜んでいるのだ、と。





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