25. 幕間:太陽の王子と、聖女の伝承
季節は夏であるにも関わらず、部屋の空気は、まるで冬のように冷たく澱んでいた。
厚いベルベットのカーテンは陽の光を拒むように固く閉ざされ、部屋の主たる光源は、燭台で揺れる数本の蝋燭の火だけだ。
ここは、王宮の最奥にある一室───「太陽の王子」と称される、セイリオス・フォン・ルクシードの執務室。
部屋の主であるセイリオスは、山積みの書類には目もくれず、壁に飾られた巨大なタペストリーをぼんやりと見上げていた。
描かれているのは、建国の祖である初代国王と、彼に寄り添い、共に国を救ったとされる初代聖女の姿。彼の瞳は、その中に希望を見ているようでいて、同時に深い諦観の色を宿していた。
静寂を破り、控えめなノックの音が響く。
返事を待たずに一人の男が入室した。彼の忠実なる臣下、ルカ・アッシュフィールドだ。
彼の動きだけが、この澱んだ空間において、唯一流麗で淀みない。
「失礼いたします。殿下、聖女様に関する定例報告です」
その涼やかで淀みのない声に、セイリオスは億劫そうに視線だけを動かした。
「ああ……聞かせてくれ」
「は。まず、魔術師団より。聖女様のご助言を元に進められた『魔光石』の改良が、先日、最終段階に移行したとのこと。これにより我が国の情報伝達速度は、今後、飛躍的に向上するものと見られます」
「次に、騎士団より。今期より導入した聖女様ご考案の訓練プログラムにより、兵士の士気は過去数年で最も高い水準を維持している、と」
ルカは、完璧な所作で姫乃が上げた輝かしい成果を淡々と報告する。
セイリオスは気だるげに頷くだけだった。彼の興味は、姫乃が「何をしたか」という詳細にはない。彼女がこの王国に存在し、人々をあるべき方向へと導いている。その事実だけが、彼の心を支配する。
「…そうか。彼女が動けば、すべての物事は好転する。やはり、彼女は本物の……神に遣わされた奇跡の存在だ」
セイリオスの瞳は、まるで隣にいるルカが存在しないかのように、タペストリーに描かれた初代聖女だけを見つめている。
「我が国の歴史が…伝承が、我々に答えを示している。見ろ」
彼の指がタペストリーの中央を指し示す。
建国の王と、彼を支えた初代聖女の絵姿。二人の固く結ばれた手の中からは、金糸で織られた眩い光が溢れ出し、全ての憂いを浄化するように世界を照らしている。
───そんな、建国の奇跡を描いた一場面だった。
「世界を覆う闇は、王家と聖女との婚姻によってのみ払われる。それが、瘴気を滅する唯一の方法だ。……次期王として、民のために、何としてでもこの伝承を成し遂げねばならない」
その言葉に、ルカのまとう空気が、一瞬だけ凍てついた。
セイリオスは、タペストリーから視線を外さぬまま、うわごとのように続ける。その声には、熱病のような狂信的な光が宿り始めている。
「すでに父上には上申し、妃として迎える準備は進めさせている。彼女さえ…セーラさえ、私のものになれば。この国は救われる」
「───セイル、それは…」
思わず、といったようにルカの口から洩れた声は、非難するような色を帯びていた。
「なんだ、ルカ。何年ぶりだ。その呼び名は」
懐かしむような、それでいてどこか虚ろな王子の声に、ルカはハッと我に返ったようだった。すぐに感情を押し殺し、再び完璧な従者の仮面を顔に貼り付ける。
「失礼いたしました、殿下。………ええ。それは、国にとって、これ以上ない吉報でございましょう。聖女様も、きっとお喜びになるはずです。国の安寧こそ、あの方の最も望むところでございますから」
その声は、完璧な従者のそれだった。しかし、そこには一切の感情が含まれていなかった。
セイリオスは、それには気づかず────意識を向けることもなく、有能な腹心である彼の賛同を得られたという事実に満足げに頷いた。そして、「下がれ」と命じる。
ルカが静かに一礼し、音もなく退出した後、部屋には再びセイリオス一人が残された。
彼は希望に満ちた、しかしどこか虚ろな瞳で、再びタペストリーの聖女を見上げる。
「私の聖女…。君が、君だけが……私を、この世界を救ってくれるんだ………」
暗い部屋の窓ガラスに彼の姿が写っている。
その横顔は、長年の憂いから解放された安堵に綻んでいる。
だが、その輪郭をなぞるように、黒い靄のような陽炎が、まるで彼の内側から立ち上るように、静かに揺らめいていた。
お読みいただきありがとうございます!
新章・王子篇開幕。今回の攻略対象は、02話以来の登場のセイリオス王子です。
引き続き、ブクマ・感想・評価などなど、ぜひよろしくお願いいたします!
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