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21. 聖女、悪女を志す


自室に戻った瞬間、私は、それまで張り詰めていた糸が、ぷつりと切れるのを感じた。

扉が閉まるのももどかしく、私はルカに向かって叫んでいた。


「一体、何なのよ、あの男は!?」


私は、怒りに任せてテーブルを叩く。だが、その怒りは、単純な憤りだけではなかった。

悔しさと、そして、それ以上に、未知の強敵に出会ってしまったことへの興奮が、私の全身を駆け巡っていた。


「あなたの言う通り、完璧な、か弱いだけの聖女を装ったけれど…正解だったわ。あの、人を値踏みする目…情報を引き出して利用してやろうっていうのが、見え見えじゃない!今にもブチ切れそうだったわよ!」


あの謁見は、惨敗だった。

しかし、同時に、これ以上ないほどの情報を得られた「実りある惨敗」でもあった。


私は、昂る気持ちを抑え、冷静さを取り戻すと、ルカに向き直る。


「今朝は時間がなかったけど…。もっと詳しい話を教えてちょうだい。あなたが知っている、アルマンド・ヴォルテールの全てを」


私の真剣な眼差しに、ルカは、一度、躊躇(ためら)うように目を伏せた。


やがて、重い口を開き、彼に纏わる黒い噂──不正な金銭授受、対立派閥の貴族との癒着──が、絶えないことを明かしてくれた。


「だから、あの装置の提案を、あんな風に鼻で笑ったのね!自分の不正が暴かれたくないからだわ!なんて卑劣な男なの、許せないわ!」


私の怒りは、今や、個人的な屈辱から、国を蝕む巨悪に対する、聖女としての純粋な憤りへと変わっていた。


「なんとかして、彼に近づいて、不正の証拠を探れないかしら? ゲイル団長やゼノンの時のように、懐に入るのよ」


私の提案に、しかし、ルカは静かに首を横に振った。


「それは、難しいかと」


「なによ。やってみないとわからないじゃない」


「…彼の好みは、『聖女』のように純粋な女性ではありません。むしろ、自分の意のままにならないような……一筋縄ではいかない『悪女』ですから。別の案を考えましょう」


「悪女…」


その言葉に、私の脳内に、稲妻のような閃きが走った。


「───そう、それよ!!」


私は、グッと拳を握りしめた。


「これは、恋愛小説『悪徳宰相の心を盗んだのは、嘘つきな踊り子でした』と同じシチュエーションだわ!」


その、余りにも弾んだ声に、ルカが、心底うんざりしたような顔で、深いため息をついた。

私は、そんな彼にはお構いなしに、新たな作戦案を捲し立てる。


「つまり、こういうことよ!『悪女のフリをしてアルマンドに接近し、彼の懐刀となって信頼を得つつ、裏で不正の証拠を掴む』!どう?完璧な作戦じゃない!」


「……本気ですか?」


ルカの声が、即座に、そして氷のように冷たく、私の計画を否定した。


「断固として、賛成できません」


「なんでよ!?」


「理由は三つあります。第一に、相手は海千山千の政治家。貴女の付け焼き刃の演技など、一瞬で見抜かれるでしょう。第二に、たとえ懐に入れたとしても、彼の周りは本物の悪党ばかり。貴女の身に、どんな危険が及ぶか分からない。そして第三に───」


彼は、一度言葉を切り、私をまっすぐに見つめた。


「貴女は、この国の『聖女』です。『悪女』の演技など……教える訳に参りません」


彼の、どこまでも真摯な懸念。それは、私のことを心から心配してくれているからこその言葉だった。


「でも…国の宰相が、不正をしているのよ?この国の『聖女』だというのなら、なおさら見過ごせないわ」


私が、聖女の使命を盾にそう反論しても、彼の決意は揺らがなかった。


「聖女の務めが、貴女の命より重いとでも?僕は、そうは思いません。この件は、僕が、別のルートから探ります。ですから、ヒメはどうか、これ以上関わらないでください」


その、鉄壁の拒絶。

これはもう、何を言っても無駄だろう。私は、きつく唇を噛んだ。


「……そう。わかったわ」


私の素直な返事に、ルカが、ほっとしたように、わずかに肩の力を抜いたのが分かった。


「ところで、ルカ」


私は、声のトーンを一つ落として、静かに、そして鋭く言った。


「あなた、私に隠していることはないかしら?」


「…はい?」


彼の表情が、再び強張る。


「今朝、こんなものが、届いたの」


私は、執務机の引き出しを開け、美しい装飾の施された一通の封筒を取り出した。それを目にして、ルカの顔色が、見る見るうちに変わっていく。


「これには、こう書いてあったわ。『万が一、届かない可能性を考慮して、もう一通送りましょう。あなたの忠実な番犬にはご注意を。──アルマンド・ヴォルテール』」


私は、一度言葉を切り、彼の反応を待つ。

ルカは、何も答えなかった。それが、何よりの答えだった。


「……ルカ。あなた、握りつぶしたわね?」


彼は、何も言わない。

私は、そんな彼に、責めるのではなく、理解を示すように、ゆっくりと続けた。


「いいのよ、私を心配してのことだとわかってる。今更、あなたを疑うつもりはないわ。私に言えないこともあるのでしょう」


私は、テーブルに手をつき、少しだけ身を乗り出し、ルカを射抜くように見つめる。


「……例えば、そうね。私が初めてここに来た時、私をこの部屋に閉じ込めようとした理由。有能なあなたが、従者なんてしている、本当の理由…」


私がそう言うたびに、彼の肩が、小さく、こわばっていくのが分かった。


「卑怯な言い方かもしれないわ。でも、私は、あなたのその秘密ごと、あなたを信用してる」


そして、私は、最後の切り札を切った。


「だから、ルカ。私のことも、信じてちょうだい」


私の言葉に、ルカは、初めて、本当に驚いた顔で、私を見上げた。

彼の瞳が、激しく揺れている。


やがて、全ての抵抗を諦めたように、彼は、ふっと、力なく笑った。


「……参りました。ええ、僕の、完敗ですよ。……いえ、貴女に勝てた試しは、一度もありませんでしたね」


その声には、もう何の棘もなかった。


「分かりました。貴女を信じましょう。ですが、決してご自分を危険に晒さぬよう。必ず、お約束ください」


こうして、私の次なるプロジェクト、『悪女化作戦』は、彼の覚悟に満ちた承諾を得て、正式に始動することになった。





───この後、私が夜会にデビューするまでの数日間、ルカによる、どこかぎこちない「悪女養成講座」が開かれることになるのだが…。その彼の複雑な心境に、この時の私が気づくはずもなかった。






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