20. SIDE:A / 悪徳宰相は、聖女を値踏みする
「聖女セーラ様が、お見えになりました」
従者の報告に、私はペンを置き、深く椅子の背にもたれた。
窓から差し込む午後の光が、磨き上げられた執務机の上で、鋭い光を反射している。
(……ようやく、来たか。噂の聖女が)
魔術師団が、ここ最近、目覚ましい成果を上げている。その中心にいるという、噂の聖女。
彼女に「いくつか質問がある」と、呼び出しをかけておいたのだ。
私の口元に、自然と笑みが浮かぶ。
報告によれば、あの石頭のゲイルを懐柔し、偏屈なゼノンを研究室から引きずり出したという。
─── 本当なら、大したものだ。その手腕、じっくりと見せてもらおうじゃないか。
やがて、扉の向こうから、控えめな足音が近づいてくる。
私が「入れ」と声をかけると、従者に導かれ、聖女が入室した。
しかし、そこにいたのは、私の予測を、ある意味で裏切る存在だった。
ただ、か弱く無害な小動物のように、怯えた瞳をした少女が、そこに佇んでいたのだ。
「お、お呼びと伺い、参上いたしました…宰相閣下」
(…ほう。随分と、話が違う)
彼女は、小さな身体を更に縮こませ、潤んだ瞳で床の一点を見つめている。
どんな質問をぶつけてみても、ただオロオロするばかりで、まともな返答一つできない。
チラチラと傍らに控える従者に助けを求めるような視線を送り、彼が安心させるように微笑むと、少しだけ安堵したように、また困った顔で頼りなげに俯く。
(……時間の無駄だったか)
私は、聖女と、その従者を観察しながら、そう結論付けた。噂は、やはり誇張だったらしい。従者頼みで自分では何もできない小娘。私の『敵』にはなり得ないし、同時に『味方』にもなり得ない。
期待外れだ。そこまで考えて、自分自身に嘲笑する。
そう、私は、何かしらの期待をかけていたのだ。噂の聖女様が、今の膠着を打開する起爆剤になり得るのではないかと。滑稽なことだ。
利用価値がないわけではないが ──── 面倒だ。
王国の威信をかけて召喚した、救国の『聖女』。その存在は、国の象徴として『王子妃』、いずれは『王妃』となることが約束されている。
そして、その後ろに控える男は、ルカ・アッシュフィールド。我がヴォルテール家と双璧をなす、アッシュフィールド家の嫡男だ。
創国以来の伝統と忠誠で、王家からの信頼も厚いあの家が、次期王妃の後ろ盾となる。実に、厄介なことだ。
───決まりだ。
『聖女』を旗に据えたアッシュフィールドの台頭は、見過ごせない。芽は早いうちに積むに限る。
私は、彼女に持参させた最新の研究テーマ──「瘴気検知装置」の企画書に、わざとらしく芝居がかった仕草で目を通すと、ふん、と鼻で笑った。
「聖女様。これはまた、実に斬新なご発想だ。人の悪意や私利私欲を検知する? 本当にこんなことが実現可能だと?……結構。ですが、もしこの城からその基準で人間を排除したら、ここには誰もいなくなってしまいますよ」
そして、私は、ビクリと小さく肩を竦めた彼女に、追い打ちをかけるように、『悪徳宰相』らしく、ゆっくりと言い放った。
「政治とは、そういう『清濁をも併せ呑む度量』こそが肝要なのです。お分かりですかな?」
「…っ!」
彼女は、息を呑んで、俯いてしまう。もう、顔をあげる気力さえも失せたようだ。
ここまでだ。私は、満足して、丁寧だが有無を言わさぬ態度で、退出を促した。
「お話は、もう結構。下がってお休みください。…ああ。今後、新規の発明は、着手前に私に照会をかけて頂くように。夢物語に裂く予算はございませんのでな」
彼女は、力なく一礼すると、おぼつかない足取りで、扉へと向かう。
その、か細い背中を見送りながら、私は内心で完全に彼女を切り捨てていた。
だが、去り際。
彼女が、ふと、最後に一度だけ、私の方を確認するように振り返った。
一瞬、彼女の視線と、絡み合う。
─── ぞくり、とした。
仮面のように貼り付いていた、あの怯えきった表情が、一瞬だけ、完全に消え失せていた。相手を見定めようとする氷のように冷静な眼差し。
私が息を呑んだのと、扉が閉まるのは、ほぼ同時だった。
(……なるほど。……演技だった、か。あの怯えた小動物のような態度、その全てが)
油断を誘うためか。
あるいは、私の興味を、自分から逸らさせるためか。
どちらにせよ、その裏にいるのは、あの男 ───── ルカ・アッシュフィールドに違いない。
私の脳裏に、彼女の後ろに控えていた、あの食えない男の顔が浮かぶ。
期待外れとは程遠い。
アッシュフィールドが隠そうとするほどの何かが、あの『聖女』にはあるということだ。
「………面白い」
私の唇から、乾いた笑いが漏れる。
私は、すぐに従者を呼びつけると、一つの命令を下した。
「聖女セーラへ、次の夜会への正式な招待状を。───『アルマンド・ヴォルテール』個人の名で、な」
壮大なゲームの、本当の始まりの合図だった。
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