15. 鉄の聖女 vs 腹黒従者
「なんなのよ、あの美少年は…ッ!!」
聖女の威厳も、淑女の作法も、何もかもかなぐり捨てて、私は自室の扉を蹴破らんばかりの勢いで開けた。
「私の『可憐でいたいけな聖女』攻撃が、全く通じないわけだわ! 相手があんな、華奢で儚げな美少年じゃ、効果がないのも当然よ!鏡に向かってしゃべっているようなものじゃない!!」
私は、優雅に紅茶の準備をしていたルカの前に、ずかずかと歩み寄る。
「ルカ、あなた知ってたのね!? なぜ、先にそれを言わないのよ!」
私の剣幕に、ルカは少しも動じない。彼は、ことさら不思議そうに、ゆっくりと首を傾げた。
「私が言わなかったのは、彼が極度の人嫌いだということだけですよ。まさか、見目麗しい美少年であるという事実が、ヒメの作戦に影響を及ぼすとは思いもよりませんでした」
「影響大ありよ!」
私は、テーブルをバンッと叩いた。
「彼が人嫌いということも、今、初めて聞いたわ!もういいわ、彼の攻略方法を、今すぐ教えなさい!」
私の剣幕に、ルカはわざとらしく、やれやれと肩をすくめて見せた。その表情には「気乗りしない」とはっきりと書いてある。
その態度に、ピンときた。
─── これは、おそらく、意趣返しだ。
ゲイル団長との短いやりとりで、私が何か隠し事をしていると察して、それが、面白くなかったのだろう。だから、あえて情報を隠したのだ。
(なんて、意地の悪い男なの……!!)
だが、今の私に、そんな些末な事に付き合っている余裕はない。
ギロリ、とルカを睨み上げ、「さっさと言え」と、視線で促す。彼は、しぶしぶという態度を隠しもせずに口を開いた。
「ゼノン様は…他人に興味がなく、自分の研究にしか関心がない方です。他者からの干渉を、極端に嫌います。女性どころか人間そのものに興味がなさそうですし、さすがのヒメでも、攻略は難しいと思いますよ」
(他人に興味がない…干渉を嫌う…)
私は、ぴたりと足を止めた。
そうだ。この状況、どこかで…。
「……わかったわ! これは…。恋愛小説『無口な天才魔術師の心を開くのは、押しかけ公爵令嬢の鈍感力でした』と同じシチュエーションよ!」
私の閃きに、ルカが呆れ顔で呟く。
「またですか……」
「あの小説でも、ヒロインは天才肌のヒーローに全く相手にされなかったわ!でも、彼女は彼の研究内容に純粋な興味を示し、追い出されてもめげることなくグイグイと懐に入り込み、最終的には唯一無二のパートナーになったのよ!」
「なるほど。つまり、鍵は『空気を読まない鈍感さと図々しさ』、ですか」
「そういうことよ!」
得意げに言い放つ私に、ルカは深いため息をついた。
「……ヒメ。あなたの引き出しが、随分と多いことだけはよく分かりました」
「とにかく! 今回もあなたの協力が必要よ!手伝いなさい!」
私がそう言うと、ルカはあからさまに渋い顔をした。
「お断りします。それは、従者の領分を超えています。それに、僕が手を貸さずとも、ヒメならお一人でどうにかなさるでしょう」
(この男は……!まだ拗ねてるの!?隠し事をしたのは悪かったけれど……意外と、心が狭いわ……!!)
私は、ぐっと唇を噛むと、軽く俯いた。
そして、あの「健気モード」のスイッチを入れる。瞳に力を込め、ゆっくりと顔を上げる。
「……お願い、ルカ。わたくし、あなたの助けがないと、何も…」
わずか一瞬にして潤んだ瞳で、彼を見つめた。渾身の上目遣いだ。しかし、目の前の腹黒い従者は、眉一つ動かさなかった。それどころか、心底呆れたように、冷たい視線を私に返す。
「……僕に、それが通用すると、本気で?」
「思ってないわよ!!」
私は、一秒で聖女の仮面を剥ぎ取り、地に戻った。そして、カッと目を見開くと、彼に食ってかかる。
「でも、今の私の武器は、これしかないんだもの! だからこそ、あなたの協力が必要なんでしょう!? あなたが言ったんじゃない!『男の攻略法を教える』って!!『史上最高の聖女に育て上げる』って!!」
そして、勢いのままに、彼の胸元をぐいと掴み上げる。
「全然通用しないじゃないの、ゼノンにも、あなたにも!!契約不履行だわ、責任は取ってもらうわよ!!」
もはや、完全に居直りだ。だが、その言葉が静かな部屋に響き渡った瞬間。
彼は、一瞬、本当に驚いたように、大きく目を見開いた。
いつも浮かべている、私をからかう時の意地の悪い笑みが完全に消え、その瞳はどこか不思議な色を湛えて、私を見つめている。
─── 時が、止まったかのような沈黙。
やがて、彼の口元に、見たことのない種類の笑みが浮かんだ。
少し困ったような、それでいて嬉しそうな…。そんな、何とも言えない複雑な微笑みだった。
「……ええ。確かに、そう申しましたね。まさか、そう切り返されるとは。これは……参りました。僕の、完敗です」
その声は、先ほどまでの意地の悪さが嘘のように、穏やかだった。
彼は、胸ぐらを掴んだまま私の手に視線を落とすと、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと、自身の手のひらを重ねた。
その優しい温もりが、私の固く握りしめた拳と心を、ゆるやかに解きほぐしていく。
「───かしこまりました、ヒメ。貴女の望む通りに」
すっかり力を失った私の指先を、その手の中に閉じ込めながら、彼は、真剣な光を宿した目で私を見据えて、宣言した。
「僕の全てを懸けて、貴女を『この国で最も厄介で、そして誰よりも魅力的な聖女』に、仕立て上げて差し上げましょう」
その眼差しに、私は、少しだけ居心地の悪さを感じながらも頷く。
「………ええ。お願いするわ」
私の返事を聞くと、彼は満足げに小さく微笑み──。
そして、約束だと言わんばかりに、繋いだままの私の指先に、恭しいキスを落とした。
────こうして、腹黒従者による、恋愛シミュレーションレッスン・第二幕が、高らかに幕を開けたのだった。