13. 聖女様の戦略会議#02
ゲイル団長の「攻略」から数日。
聖女のために整えられたという優美な自室の、その一角は、もはやプロジェクトルームへと変貌していた。
ティーテーブルは部屋の隅へと押しのけられ、代わりに運び込まれたのは大きな執務机。そこに広げられた羊皮紙には、成果をまとめたグラフや、今後の施策案がびっしりと書き込まれている。
「───素晴らしい回復曲線ね。このままいけば、来月の定例報告までには、目標値を20%は上回るでしょう」
私は、ペン先で成果報告の数値をなぞりながら、満足げに呟いた。
あの日、ゲイル団長の前で失態を演じたことなど、まるで遠い昔のことのようだ。感傷に浸っている暇はない。プロジェクトは、まだ始まったばかりなのだから。
「───ずいぶんと、ご機嫌なようですね、ヒメ」
静かに紅茶を差し出しながら、ルカが声をかけてくる。その声には、どこか探るような響きがあった。
「当たり前でしょう。プロジェクトは順調。成果も上々よ。機嫌が悪くなる理由がないわ」
私が資料から顔も上げずに答えると、彼は小さく肩をすくめた。
先日の、私の憂いが嘘のように吹っ切れた様子に、安心したような、それでいて少し拍子抜けしたような、複雑な視線が向けられる。
あの夜の一件の顛末は…ゲイル団長に真実を告白したことも含めて、彼には何も知らせていなかった。
(だって……泣いたなんてバレたら、ぜったいにからかいのネタにされるか、嫌味を言われるかに決まっているもの!)
─── コンコン、と控えめなノックの音が響く。
ルカが扉を開けると、そこに立っていたのは、他でもないゲイル団長だった。
「セーラ殿。少し、ご相談があるのだが…。入らせていただいてもよろしいか」
「ゲイル様。どうぞ、こちらへ」
私が顔を上げて、練習の成果である完璧な「聖女の微笑み」を向ける。彼は、一瞬だけ、見惚れたように顔を赤らめたが、すぐに表情を引き締め、実直な、信頼に満ちた笑みを返してくれた。
「それで、ご相談とは?」
「ああ。先日導入した新戦術の訓練についてなんだが…。軽い怪我人が絶えんのだ。何か良い知恵はないだろうか」
軽く頷きながらゲイル団長から話を引き出し、問題に辺りをつけて助言をする。
「競争意識が過熱しているからではないでしょうか。例えば…評価指標に『連携』や『安全性』の項目を加えて、個人の武勇だけでなく、部隊全体の練度を評価する形にするのはいかがでしょう?」
その返答に、彼は「なるほど…!」と感心したように何度も頷いた。すぐ傍では、ルカが感情の読めない瞳で、その様子を静かに観察している。
そして、退出間際、ゲイル団長は、一つ言い忘れていたとばかりに、真剣な顔つきで付け加えた。
「……それと、これはご報告ですが。最近、魔術師団の連中が、あることないこと吹聴しているようです。『聖女は騎士団と癒着し、不当に肩入れしている』などと…。セーラ殿の御心を煩わせる、とんでもない愚行です」
「まあ…」
「ご安心を。俺の方から、きつく言っておきま───」
「───それは、団長の出る幕ではないでしょう」
ゲイル団長の言葉を遮ったのは、いつの間にか彼の隣に立っていたルカだった。
その声は穏やかだが、有無を言わさぬ圧がある。
「聖女様に関する風聞の管理は、我々侍従の務め。その件はすでに我々も把握済みです。ゲイル団長は、ご自身の職務に専念くだされば結構ですよ」
ルカの牽制に、ゲイル団長はぐっと言葉を詰まらせ、やがて「…失礼した」と短く告げて部屋を辞した。
扉が閉まるなり、ルカは私に向き直る。その瞳から、いつもの食えない笑みは消えていた。
「ヒメ。……あの朴念仁と、何かありましたか?随分と、打ち解けたご様子でしたが」
(きたわね…!)
私は内心の動揺を悟られぬよう、冷静さを装って答える。
「何もないわよ。いつも通りの業務報告じゃないの」
私は、彼の探るような視線から逃れるように、わざとらしく羊皮紙に目を落とした。
「…ただ、今の彼の報告には、重大な示唆が含まれていたわね。『一つの組織とのみ癒着している』と見なされるのは、政治的に見ても得策ではないわ。他の組織にも目を向けるべきね。聖女として、中立性と公平性を示さなくては」
「………そうですか」
「決めたわ。次のターゲットは、魔術師団よ」
私の完璧な話題転換……いや、方針転換に、ルカは一瞬だけ目を細めたが、それ以上は追及せず、「かしこまりました」と恭しく頭を下げた。
それ以上、彼が追及してこなかったことに安堵しながら、私は続ける。すでに騎士団の課題は解決し、手を広げていこうと考えていたところだ。今が、先に進めるいい機会だろう。
「早速だけど、ルカ。魔術師団のキーマン…団長である、ゼノン・クエーサーについて教えてちょうだい」
私の問いに、ルカは少しだけ間を置いた。そして、こう答えた。
「……そうですね。非常に内向的な、天才肌の方ですよ。常人とは一線を画す強い魔力をお持ちの、王国きっての魔術師です」
「内向的な天才……王国きっての、魔術師…」
私は、ルカの言葉を反芻しながら、記憶の糸をたぐる。
そうだ、あの召喚の儀の時。祭壇の隅に、一人だけ、ミステリアスな雰囲気をまとった「魔術師」風の男性がいたわ…!
彼がゼノンで間違いないだろう。聖女セーラの美貌に誰もが息を呑む中、彼もまた、どこか冷静ではあるが、熱っぽい瞳で、私を見つめていた。
あの瞳…。私に告白した時のゲイル団長と同じ。つまり、最初から、好感度MAXということだ。
これなら、ゲイル団長の時より、ずっと楽かもしれない。
私は、内心でガッツポーズをきめて、ルカに指示を飛ばした。
「ルカ、アポイントを……いいえ、善は急げよ!今から魔術師団に行ってゼノン団長と対面するわ。準備してちょうだい!」
この時、私は勝利を確信していた。
───その「ミステリアスな男性」が、実は副団長であり、本当のゼノン団長は、その隣でフードを目深にかぶり、存在感を消していた小柄な少年だったなどとは、夢にも思わずに。