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11. 聖女ブランドの後味


月明かりが差し込む、静まり返った自室。テーブルの上には、数枚の羊皮紙が広げられている。

それは、私がこの数週間で集めた、騎士団改革プロジェクトの「成果」が記された結果の数々だった。



「……見て、ルカ。先日導入した『団員親睦・力比べ大会』───と称した定期体力測定の結果よ。主要メンバーの筋力、持久力共に、平均で15%の向上が見られるわ。士気も上がっているし、成果は上々ね」


私の報告に、ルカは感心したように頷く。


「素晴らしい成果ですね。ヒメの差し入れも、大いに貢献しているようです」


「ええ。薬剤部に試作させた『聖女様の愛情たっぷり焼き菓子』───という名のプロテインバーと栄養ドリンク。彼らの精神面を安定させつつ、質の高い栄養補給による筋力増進を図る。一石二鳥だわ」


私は、別の羊皮紙を彼に手渡した。それは、訓練場に設置した「聖女様へのお手紙箱」───実態はただのアンケートボックス───から得た団員たちの声をまとめたものだ。


「このデータを薬剤部にフィードバックしてちょうだい。『訓練中に飲むにしては甘すぎる』という意見が多数よ。嗜好性を改善しつつ、さらに効果の高い配合を検討するよう伝えて」


「かしこまりました」


ルカは、淀みなく答える。今や、彼は、私にとって、無くてはならない有能な秘書官だ。



「模擬試合の提案も通ったわ。対外的なアピールの場を作り、彼らの成功体験を確固たるものにする。次のステップも順調ね」


「ええ。先日ヒメがお話しされた戦術も、ゲイル団長は熱心に研究していましたよ。『これは、神託に違いない…!』と感動していらっしゃいました」


「それは、あなたのおかげだわ、ルカ。軍の戦術にまで造詣があるなんて、本当に底が知れない男ね」


あの戦術は、私が考えたものではない。ルカの見識を元に、私が「夢のお告げ」として提案したものだ。それを、ゲイル団長は素直に聞き入れ、今ではすっかり議論の場に参加する権利も手に入れた。


全て、計画通り…いや、計画以上だった。




私は、一息つこうと、テーブルの上に用意されたお茶、そして『聖女特性』の焼き菓子に手を伸ばした。ひと口かじると、素朴な甘みが口に広がる。


宮廷料理人の監修の元に創り出した、計算された『素朴さ』。

控えめにいっても、絶品だ。


私は、再び、騎士団院たちのフィードバックレポートを一瞥し、その先にある、更なる可能性へと目を光らせる。



「ねぇ、ルカ。この焼き菓子だけど…。一般販売をすることは可能かしら」


私の口から飛び出した言葉に、ルカがわずかに目を見開く。


「『聖女』というブランドイメージと、栄養補助食品としての機能性、そして、この味。これらの相乗効果で、騎士団内では期待以上の成果が出ている。これは、巨大なビジネスチャンスよ。この施策を騎士団だけに留め置くのは、機会損失に他ならないわ」


私は、もはや完全にビジネスコンサルタントの顔で、ルカに矢継ぎ早に指示を出す。


「量産体制を整えるなら…。まずは、初期投資と採算ラインの試算が必要ね。それから、販売に際しての法規制、公衆衛生、販路の確保……。女性や子供向けのフレーバーなど、他のラインナップの検討も。早急に、デューデリジェンスを始めましょう。忙しくなるわ」


ルカが「でゅーでりじぇんす…ですか?」と聞き慣れない言葉に眉をひそめたのを見て「事業化調査よ」と端的に答えた。


呆気にとられる彼に、私は悪戯っぽく笑う。


「『聖女』の役職(ロール)は引き受けたけど、無償労働する気はないの。いただくものは、いただくわ」


私の言葉に虚を突かれたように、ルカは、数回、瞬きを繰り返した。

やがて、その表情が、感嘆の笑みに変わっていく。彼は、心底おかしそうに、そしてどこか誇らしげに息を吐いた。


「まったく……。ヒメには、驚かされっぱなしですよ」


ルカには珍しく、素直な賞賛の言葉だ。それが、自分でも意外なほど、すとんと胸の奥に落ちてくる。気付けば、彼につられるようにして、素直な、優しい笑みを浮かべていた。


その瞬間、ルカの雰囲気が一変した。眩し気だった彼の表情が、おかしそうな、だが、どこか人の悪い笑みに置き換わる。


「本当に、驚きました。あの、とんでもない作戦も、見事に成功させてしまいましたしね。……一時は、どうなることかと思ったものですが」


ルカの口元に、隠しきれない笑みが広がる。彼は、楽しそうに目を細めながら続けた。


「レッスンでは、僕と目を合わせるだけで耳まで真っ赤にしていた方が、よくもまあ、あれだけ堂々と……ふふ。なるほど、ヒメは本番に強いタイプなのですね。実に、頼もしいです」


「……喧嘩を売っているのかしら?」

「いえいえ、そんな。心からの賞賛ですよ」


私の苛立ちを飄々と受け流し、いつもの食えない笑みで言う。


「今回のヒメは、まさしく、恋愛小説のヒロインのようでした。ゲイル団長は、もうすっかりヒメにメロメロですよ」


月明かりに照らされた彼の顔は、ふざけているようにも、純粋に、賞賛しているようにも見える。

私の視線に気づいた彼は、食えない笑みを深くして、意地悪な質問を口にした。


「……それで、聖女様? 恋愛小説のごときイケメン騎士団長殿を、完全に骨抜きにした今のお気持ちは、いかがです。憧れの恋愛小説を体現して、少しは、楽しめましたか?」


私は、ルカのからかうような言葉に、何も答えなかった。

代わりに、ふいと顔を背け、窓の外に広がる王城の庭園に目をやった。




(──そうね。本当に、『恋愛小説』のようだった)


ゲイル団長の、不器用で、真っ直ぐな好意。騎士たちの、純粋な尊敬の眼差し。

それらを受けながら、私は、ずっと別のことを考えていた。


彼の心を掴むための計算。団員たちの信頼を得るための演技。

その全てが計画通りに進むたびに、胸の奥に、ぽっかりと穴が空いていくような感覚。


(……あかりも、こうだったのだろうか)


脳裏に蘇るのは、前世の同期、椎名あかりの笑顔だ。

周りの男たちに愛想よく笑顔を振りまいて、その裏で、彼女は本当は何を考えていたんだろう。

こんな、どうしようもなく虚しい気持ちになることは、なかったのだろうか…?


私は、彼らの気持ちを無視して……。

いや。理解した上で、それをコントロールし、利用している。


自分のやり方に、ほんの少しだけ、罪悪感がよぎった。




「……ヒメ、どうかしましたか?」


不意に、すぐそばから気遣わしげな声がかけられ、私はびくりと肩を震わせた。

いつの間にか、ルカの表情から、からかうような色は消えている。真剣な眼差しが、まっすぐに私を射抜いていた。


「え? あ、ああ……なんでもないわ」


私は、慌てて笑顔を作って誤魔化す。

だが、ルカは納得していないようだった。彼は、私の内心を探るように、顔を寄せて、じっと私の瞳の奥を、覗き込んでくる。

その、あまりに真剣な眼差しと距離の近さに、私は少しだけ、心臓がどきりと跳ねるのを感じた。


「……あの、まさかとは思いますが」


ルカの声が、わずかに低くなる。


「ヒメ。もしや、あの脳筋騎士に、本気で……心を動かされたりは…?」

「そ、そんなわけないでしょう!?」


思わず、声を荒げて否定する。


「これは作戦よ!全部、あなたの指導の賜物じゃないの!」


ルカは、私の言葉に「ええ。そうでしたね」とだけ答えると、ふい、と私から視線を外して身を起こした。無言のまま、テーブルに乱雑に散らかっていた書類を整え始める。


室内には二人きりだ。彼が黙ってしまうと、急に静かになる。いつもは気にならない沈黙が、今は妙に居心地が悪かった。


「………始めたからには、途中でやめるつもりはないわ。次の作戦へ移りましょう」


私は、彼のどこか責めるような視線から逃れるように、次の攻略対象が記されたリストへと、無理やり目を走らせた。

プロジェクトは、まだ始まったばかり。感傷に浸っている暇など、ない…。自分にそう言い聞かせた。




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