二章:如月の君へ 三話
二月三日 ー18:00ー
私は事務作業を切り上げて、工房の在庫管理を終えたら台所へ向かう。
何とか今日の事務の予定の7割は出来た。ここまでできれば良いでしょう。では、これからは恵方巻きマシーンと化しますか!台所へつき、昼に仕込んだ食材を並べ始めた。
今日は、おかずもあるし、少量だけど縁起物で蕎麦もあるから、一人当たりの恵方巻きはミニサイズです。
通常の大きい海苔で巻いて、半分が一人前。を、お代わりする人もいるかもしれないという事で全部で5本作ります。半分にすればミニサイズが10本です。これくらいあれば足りますでしょう。
巻き簾をつかい、どんどん巻いていく。最初はちょっと不恰好な巻物になったが、それでどんな巻き具合かを感覚で掴み、2本目からは綺麗に巻けている。
「よし、あと3本・・・!」
「頑張ってるね」
弥生さんがお風呂上がりに母家へとやってきた。
「お仕事お疲れ様です」
「随分豪華な恵方巻きだね」
「五穀米にしたから色がカラフルで豪華に見えるかもしれないですね。でも、実は中身は一般的な恵方巻きと変わらないんですよ」
「へー、そうなんだ」
話をしながら恵方巻きを巻いていたら、この時間には聞かぬ声色が聞こえた。
「弥生、ちょっと」
卯月さんだ。玄関から卯月さんが弥生さんを呼んだ。と、いう事は
「やーたんいるの?!やーたん!ここ、はいっていい?!」
小さい女の子の声がした。卯月さんの娘さんの声だ。弥生さんの事を”やーたん”と呼ぶのはその子しかいない。ついにお出ましなのである。と、いう事は
「入っちゃダメよ。ここに用はないから」
奥様もご登場なのである。
「結ちゃんごめん、行ってくる・・・!」
弥生さんが颯爽と私の元から玄関へと去っていった。
玄関での会話が聞こえる。
「えー!でも、はいりたーい!ここ追いかけっこできるくらい広いから楽しいーの!」
「うちだって走れるくらい広いでしょ?」
「違うのー!こう、ぐるぐる回れるの!ここ!」
「おうちのリビングだって回れるでしょ?」
「チーガーうーのー!!」
多分、言いたいのはただ広いっていう事じゃなくて、縁側だったり、通路や廊下が長く続いていることだろう。広間ではなく、死角が多かったりすると、それが追いかけっこやかくれんぼをする子供には面白く感じることがあるから。
稀に、部屋を囲むように家の廊下が配置されている構造がある。そういう家の友達の家遊びにいって、人の家なのにみんなで騒いで遊んだな。今考えると大人数で人の家走り回るって迷惑過ぎる。この母家も、縁側だけじゃなくて、部屋のあいだや幾つもの部屋を囲うように廊下がある。隠れながら追いかけっこをするには最適な作りだ。
「入ったって、追いかけっこする相手いないでしょ」
「ママとパパと追いかけっこするの」
「ママは走らないわ」
その前に人の家では本来走っちゃいけないと言っていただけませんか。こちら、包丁とか火を使ってるんです。
いけない、段々イライラしてきたかもしれない。
「こんばんは。今日はどうしたの?とりあえずウチに来なよ。ゆっくり座りたいでしょ」
弥生さんが母家から卯月さん一家を離そうと自宅に誘っている。弥生さん・・・これからは半月に一回きんぴらごぼうを作ることをここに宣言いたします。
「やーたん!こばんはー!やーたんち行くー!」
「そうして頂戴。弥生の家の中なら走って良いから」
思うところ多々ありすぎるが、まず、私がしなければならないのは、縁起物の恵方巻きを巻かなければならない。物騒な気を持ったまま巻かないように爽やかな気持ちにならなければならない。
気持ちをリセットするために、私は一旦手を止めて冷凍庫を開けてアイスを漁った。
ゆっくり沢山食べている時間はない!けれど、食べずにいられない!漁っていると一口サイズの詰め合わせのアイスが出てきた。知ってはいるけど、普段は食べないアイス。つまり自分では買いません。
これは、大晦日に如月さんが大量に買ってきてくれたアイスの一つです。
限定のフレーバーだった。普段食べないアイスだけど好きな果物の味だ。
ありがたく袋を豪快に開けてを伸ばした。
寒いからアイスなんて食べたらもっと寒くなるのにあー、美味しい。なんて美味しいんだ。今は儀式の最中の如月さん、居なくても如月さんのお陰様で私は今冷静さを取り戻すことができました。ありがとうございます。
「よし、続きを捲くぞ」
「ねぇ〜結ちゃん、卵焼きだけって余ってないの〜?」
夕飯時、皐月さんが卵焼きのあまりを確認してきた。
「残念ですが・・・ございません!」
「まじかー!」
「結ちゃん、本日は節分です」
「そうですね、この後豆まきですよ」
「お酒がありません」
「そうですね、準備してないので」
長月さんがお酒を催促してきた。
「酒飲みたいなら自分で持ってくれば良いだろ、置いとけば?」
神在月さんが言った。
「違うよ!結ちゃんがこの食卓にお酒を置いてくれているという事が大事なんだ!たとえ中身が酒でなく水であっても!あの一升瓶が食事と一緒にここに鎮座されているところに俺が入ってくるあの光景を・・!」
「結、水入れた一升瓶ずっとそこに置いておけ」
「わからないかなー!?風情なんだよ!趣なんだよ!」
賑やかな食卓に、空席がある。
18時過ぎに母家を出ていった切り、弥生さんが戻って来ないのです。卯月さん御一家を自宅に招いてそのまま家にいるらしいです。と、いう事は弥生さんに用事だったという事なのだろう。
20時少し前になって、夕飯後に一度家に帰った神在月さんがまた戻ってきた。豆まきのためである。
「結」
「神在月さん、豆まきよろしくお願いいたしますね」
豆の入った升を渡す。
「今年は霜月さんと文月さんの家のお子さんたちも一緒に豆まきに参加したいそうです。あれ?見学かな?なので、よろしくお願いいたします」
「あぁ、さっき聞いた。もう子供たち庭に集まって遊びながら待ってる。あとなぁ」
「はい」
「卯月の家も参加だとよ」
「えっなんで?!」
「詳しいことは聞いてねぇけど、さっき弥生から言われた」
卯月さんの御一家がきた理由がまさか豆まきだなんて!いやいや、別件で話があったけど、それが終わって帰る頃に外で遊んでる子供たちを見かけて豆まきの話になって、って流れかもしれない。いや、どちらにせよ・・・
「ってわけで、20時開始だけど、先に母家の豆まきやっておくわ。で、みんなとは離れの一月の順番からやってくよ。写真の撮影は気を付けさせる、子供たちがなんか記録して学校に出すらしいけど、内容は…まぁ流石に親が確認するだろ。あと、如月の家の鍵くれねぇか?如月の家には誰も入らせないからさ」
「お気遣いを・・・!」
私は即座に如月さんの家の合鍵を神在月さんに差し出した。
二月十日
本日の買い出しは、普段の食事の買い出しとは少し異なります。
そうです、バレンタインデーを四日後に控えた本日、チョコレートを大量に仕入れるのです。
先日の節分は、お子様も含めてなんかとても盛り上がった様子。聞いただけでもお子さまはすごく楽しそうにしてくれたようで本当に何よりであるそして、私に気を遣ってくれたり、子供の相手をしながらも行事を遂行してくださった神在月さんに感謝です。
で、結局お祭りのように楽しかったらしい先日のイベントに続いてバレンタインデーです。
ええ、確認しました。卯月さん御一家はいらっしゃらないようです。参加人数も先日決まったので、メニューも確定させてお買い物です。良いコーヒーや紅茶も一緒に仕入れたいので、市街地まで繰り出してきました。
え?バレンダインデーは神事を行うものがやるべきではない?
これは福利厚生の一環で、切り離して考えましょう。
そしてなんと、本日はお買い物の荷物持ちとして長月さんが付き合ってくれることになりましたー!
家を出るまでは嬉しかったのですが、この人を連れてきたことに早速後悔しております!
「え?!待ってあの人ヤバくない?!」
「絶対モデルでしょ?!」
「なんで連れてる女があのレベルなのー!私の方が可愛いんだけど!」
「髪の毛長いのに綺麗・・え?芸能人?」
「容姿に欠点が一つもないんだけど・・・」
「夫婦じゃないよね?!うそ、ちょっと声かけようかな」
長月さん。この方、皐月さん同様に身長は高いし、顔立ちもお綺麗なんです。睦月さんも綺麗な顔立ちですが、まだ違う系統です。あと、年齢もそれなりということもあり、雰囲気とか、お外用の振る舞いとかでさっきからすれ違う女性が歩く速度を緩めたり、立ち止まって振り返るほど。本当にこんなことあるのね。家じゃただの酒好きな人の認識だったから感覚が狂っていた模様。もう二度とこの人と出かけない。だってさっきの女性たちの中に私に対する悪口入ってたでしょ。今まで付き合った人と出歩いてたってそんなこと言われたことないんだからね。この人のせいだわ。
「長月さん、声かけたいそうですよ、5人程前にすれ違った女性が」
「そしたら結ちゃんの事”僕の大事な妻です”ってにっこり笑っていうから大丈夫」
「それ、私が大丈夫じゃないパターンです。辞めてください」
「そうしたら俺が大丈夫じゃなくなるじゃーん」
「わかりますでしょ、すれ違い様に言われる私への暴言」
「妬みでしょ〜?気にしないの〜、でもわかってくれた?」
「何をでしょう?」
「俺、一人で出歩くと声かけられて先に進めないんだよね〜」
「もう、目出し帽被って出かければ良いのでは?」
「それ、別の意味で捕まって先に進めないやつ」
「チョコレートと、いちご、バナナ、オレンジ、ブランデー、小麦粉、卵、生クリーム、バター、無塩バター、ココア、きなこ、カラースプレー、紅茶三種類とコーヒー二種類・・・よし!バレンタインの材料はこれで揃いました!」
「はい、じゃぁ持つね」
大きい買い物袋が二つ。長月さんが軽々と持ち上げた。細そうに見えてやはり男性だ。
「じゃぁ、次は長月さんの見たいもののところ行きましょう」
「本当ごめんね〜でも、一緒に行ってくれて助かったよ」
デパートの中の書籍売り場へと向かう。
「何買うんですか?」
「買いはしないんだけど、ちょっと見てみたくてね。本当に時間かからないから」
「そうですか」
本屋に到着したら、まずは店頭の新刊やおすすめの売り場を見る。随分と長月さんが真剣に売り場を見るものだから、私は一言だけ掛けて漫画売り場へと行く。はい、漫画が大好きです。
長月さんの真剣な表情を見る限り、そんなに早く見終わる気はしないんだけどな。漫画売り場から見えた長月さんは、少し他の売り場を見て周り、また店頭に戻ってきた。
5分くらいしたら私の居る漫画売り場へと長月さんがやってきた。
「結ちゃん、何か買うの?」
「いえ、買っている漫画の新刊はまだ出てないので大丈夫です」
「気になった本とかあったら買うよ?いつものお礼に」
「何言ってるんですか、怖いです、大丈夫です。長月さんこそ、あれだけ真剣に本見てたのに何も買わなくて良いんですか?」
「ん?うん、いいの。買うのが目的じゃないから」
では何が目的だったのだ。
「結ちゃんは漫画しか読まないの?」
「うーん、小説とかは好きな作家さんだけですね。それも、アニメを見てから小説を買うというパターンです。
雑誌も読みますけど、ファッション雑誌より、おかずとかご飯の特集雑誌だったり、旅行雑誌ですね。海外の綺麗な景色の写真集とかもたまに買います」
「そうなんだ」
「はい、あーでも、やっぱり何か買っていこうかな。久々に」
私は、店頭に置いてある、雑誌の”冬の雪景色特集”と書かれた雑誌と、有名らしい作家の発売されたばかりの分厚すぎない小説を手に取った。
「それ買うの?」
「はい!」
長月さんは、私の手から二冊を取った。そして、雑誌だけ手に取り、小説は売り場に戻した。
「え?!自分で買いますよ!というか、なんで小説戻したんですか?」
「この小説は俺も持ってるから貸してあげる。雑誌は今日付き合ってくれたお礼に」
「えー良いのにー・・じゃぁ、お言葉に甘えます」
良いのか私。最近皆さんのお言葉に甘えてばかりではないのか。
「でもこれくらいなんかじゃお礼にならないほど、俺もみんな結ちゃんに助けられてるからね」
心を読まれた気がする。
「じゃぁ!帰りにクレープ食べたいので付き合ってください!」
「え。それ、一緒に行くのは良いけど俺食べなくてもいい?」
「あれ?甘いものお嫌いでしたっけ?」
「いや、ちょっと40過ぎて街中でクレープってなんかちょっと恥ずかしくて」
「いやいや、あなたの隣を歩くだけで蔑まれてる私と比べたら恥ずかしさなんて微塵もないでしょう」
二月十三日
明日はバレンタインデーのお茶会がありますので、本日は朝から盛大にお菓子を作りまくります。
開始は明日の午前10時から。自由解散です。お昼ご飯も出します。そのため、今日は一日かけてお菓子を作ります。今日の昼食と夕食は昨日のうちに仕込んでおきました!ワタシ、なんて出来るオンナ
「ねぇ、昨日長月とデートだったんなんて聞いてないんだけど」
の後ろで不貞腐れてる皐月さん。
「買い出しだって言ってた・・・」
言われた言葉にワタシの代わりに否定をしてくれる水無月さん。
只今、台所でバレンタインのお菓子を作る私。隣で一緒に手伝ってくれる水無月さん。
その後ろで不貞腐れながら座っている皐月さん。この体制でお送りいたします。
「長月が有給だってのは知ってたけど、結ちゃんと一緒に出かけるなんて聞いてないもん!」
「言ってませんからね。朝食の後に決まったんです」
「長月ずるい!抜け駆け!」
「そんなに出かけたかったんですか?今日は皐月さんが有給取っててお休みなんですからお出かけしてくれば良いじゃないですか。ご自身の車だってあるんだし」
言ってからハッとした。しまった。この人は、理由はわからないが如月さんがいないと情緒不安定なんだった。
「一人で出かけたってつまんない!」
「・・・皐月、女の子のお友達沢山い」
「友達に入らない!みんな友達を装ってるだけ!仲は良いけど!!」
仲良いなら友達なのでは。結局みんなに恋愛対象としてみられてるという事なのだろうか。
「昨日のお出かけは、結果長月さんの女性除けの為に私と一緒に出たんです。私の役目は虫除けですよ、本当虫除け辛かった」
「・・・長月の隣、男でも歩くの辛いよ」
水無月さんがぼそっと言った。水無月さんは、他の神代達の身長が高すぎる事もあって、173cmと小さい訳ではないのに小柄に見える。黒髪で派手ではない外見は、私は良いと思うが、あの長月さんの隣を歩くのは何か思うところがあるのだろう。私なんて何かどころか劣等感しかなかった。
「な?!虫除け?!そんなわけないよ!長月に上手く丸めこま」
「実際、長月さんを振り返る女性が後を絶ちませんでした。隣にいる私は悪口を囁かれました。正直、虫除けとしてはかなり効果を発揮しておりました」
「なぬっ・・!結ちゃんに悪口を言うなんて・・・!」
「皐月さんも、別に私の事好きなわけじゃないんですからそんなに躍起にならないでください」
「なっ!っちょ!わかんないじゃん!俺が本気で好きだったらどうするのさ?!」
「でも、好きじゃないんですよね」
「それは・・!人としてはすごく好きだけど、でもだからって」
動揺してゴニョゴニョ言っている皐月さんをみて、私と水無月さんは”何言ってるんだこの人”と言わんばかりに二人して顔を見合わせた。
「とりあえず、ここにいても良いですが、味見はちょっとだけ、あと静かにしてくださいね」
「大人しくお酒飲んで見てるよーだ・・・」
今日の昼食は角煮丼、夕食はカレー。この二つはもう完成している。明日のみんなで食べる予定の昼食はサンドイッチです。水無月さんにはゆで卵を作ってもらいます。野菜も、今日のうちに洗ってちぎっておいてもらいます。パンも自家製の食パンを作る予定なので、今日から数回に分けて焼きます。なので小麦粉の計量もしてもらいます。
そして、私はチョコレートのお菓子を沢山作ります。チョコレートケーキとか、一晩寝かせた方が美味しいものもあるけど、焼きたてってやっぱり美味しいんだよね。
「作ってるそばから食べちゃいそう・・・」
「俺には味見ちょっとだけって言ったのに」