一章:睦月の君へ エピローグ
十二月三十一日
僕は、この日初めて斎服を着た。
神宮家に生まれた男児で、【神代】と言う存在になるモノがいると小さい頃から聞いていた。
僕も自分自身が神代だと何となく気づいていた。結局、中学校に上がる少し前に神代だと言う事を告げられた。
何となく気づけたのは、自分の名前が《睦月》だった事もある。
うちはじいちゃんが神代だった。父さんは神代ではなかった。じいちゃんは僕が神代と告げられる頃まで八月に会った事がなかった。八月にじいちゃんを見なかった事と、たまたま家のカレンダーが和風名月で書かれていた事で気付けた。
そう、じいちゃんの名前は《葉月》八月の神代だったんだ。
それと、居なくなることの無い、和風名月の名前がついていない父さんや、叔父さんたち、そして、《睦月》と言う名前である僕。
そういえば、じいちゃんはうちに来てくれることは沢山あったが、じいちゃんの家に泊まりに行った事なかったな。
僕は、大きくなったら一月がないんだ。そう思った。
小学校に上がる頃、じいちゃんから神代の話を少しずつされるようになった。きっと、少しずつそういった話をして恐怖心や不安を抱かないようにしたのだろう。だからこそ、先に自分で神代だと気づいてしまった時はとても衝撃的だった。漫画とかである【あぁ、自分は人と違うんだ】って、例え人と比べて何か足りなかったり、劣っていたとしても”人と違う”ことが物語の主人公であるかのように思う人もいるんだろうけど、僕は残念ながらそうは思えなかった。
僕は小学校、中学校、高校の卒業式は少し心にくるものを感じる人間だった。それは、今までの学校生活を振り返って、良かったことも、悪かったなと思うことも、恥ずかしいことも、腹が立ったことが思い出されて感情を揺さぶられる。
中には、進学、新生活に少し不安を感じる人もいるだろう。僕も新しい学校で友達ができるかなとか、頑張って受験した学校だから授業についていけるかな。とか考えてた。でも、それと同時に、”一月がない人生が迫ってきている”と漠然とした不安も一緒についてきた。
じいちゃんは神代を引退してからは八月をすごく楽しそうに過ごしている。一緒に海に行ったりスイカを食べたりと高校生の時からは思い出もできた。だからずっとじゃない。ずっと一月がないわけじゃないけれど、それでも神代になってから少なくとも十数年は一月がないことに酷く怯えた時期もあった。
他の神代だって、一月じゃないにしろ、一ヶ月が無いんだ。日数が少ない二月だからいいとか、梅雨は嫌いだから六月なら良いとかそういうことはない。どの月も、どの季節も、全部大事なんだって思ってきた。
僕は物事を深く考えすぎだと親や友達に言われてきた事があるから、神代の件も実はもう少し気軽に考えてもいいのかもしれない。もしくは、実際に一度経験すれば、”こんな感じか”と気持ちの整理がつくかもしれない。だから事前に考えすぎなくても良いんだと頭の片隅では何とかなくわかっているつもりでも心が納得してくれなくでしばらく悶々と考えてしまう。
僕は今年の三月に大学を卒業して、四月からここの離れで暮らしている。就職をしないのだから大学に行かなくても良かったかも知れない。今は神代は23歳頃からと言う風習になっている。でも、それは絶対ではないから、前後している人も結構いる。僕は大学に通わせて貰ったから23歳からだったけど。
卒業の少し前にこの家の母家に数回顔を出した事がある。
その時に皐月さんに話しを聞いて貰ったら大層驚かれた。
「え?!そんなこと考えたこともなかった!」
と言われた。
「話聞いた時は、”あちゃ〜仕方ないか!”って思ったけど、すぐに遊びに行っちゃった」
だそうだ。ちなみに皐月さんが神代だと言われたのは14歳。思春期真っ只中であろう時期だ。
ゴールデンウィークに被る事だけ残念に思ったらしいが、深く考えるほどではないらしかった。皐月さんにとってはだけど。
結局、今日の今日、今の今だって、少し考えすぎている僕だけど、”考えすぎなくても良い”と言う考えがあるだけでも少しだけ、本当に少しだけど気が楽になっている。
普段は皐月さんの考えが軽すぎだと言う人もいるけれど、僕の話や気持ちを聞いて、【睦月には皐月くらい軽い意見の方がちょうど良いかも】なんて言われる。確かにそうかも知れないと自分でも思った。もし、人の深い考えを聞いたらもっと考え込んでしまうかも知れない。その考えてる本人は割り切れたりしているかも知れないが、僕が同じように割り切れたり吹っ切れたりできるかどうかはわからないから。
これから本殿に行くけど、結局僕は直前までずっと考えてるんだな。
斎服を着て、自宅を出た。年の瀬の冷たい空気と冷たい風に吹かれながら歩いて母家へ向かう。
母家にはさっきまでいた。いつも、独身の神代勢と結ちゃんと食べていた夕飯に、今日は大晦日だからと他の神代とその家族も一緒に夕飯を食べた。年越しそばと、お節だった。
結ちゃんが、お節を準備してくれるのは前から言っていたから知ってた。でも、食卓に上がるのは元旦なんだよなって少し寂しく思ってたら、ふと口に出してたらしい。結ちゃんが大晦日に食べれるようにと、準備を早めてくれた。月末は本殿の掃除もあるのにだ。それに、なぜだか話しが大きい事になり、”全部手作り”のお節を大晦日に、神代の家族を含めた”全員”で食べる事になってしまった。全員分の年越しそばもあってすごく大変だったろうに、僕のわがままを聞いてくれたんだ。子供もいてだいぶ賑やかな夕飯だった。気が紛れて良かったかも知れない。
でも、いつもと同じ神代たちと夕食をとりたい気持ちも少しあった。
皐月さんと長月さんがちょっとふざけて、如月さんが怒って。神在月さんと弥生さんは食べることに夢中で。水無月さんはそんな周りを見てオロオロして。僕は結ちゃんとその光景を見ながら食事をするのが好きだった。
結ちゃんは神代の男性陣の騒ぎには、きた時からあまり動じない。そんな彼女をすごいと思った。僕は最初水無月さんと同じで内心は結構オロオロ、ドキドキしてたから。
彼女、結ちゃんは僕と同い年だ。彼女も今年の四月にこの家にきた。
学生の頃から既に”お世話係”として色々仕込まれていたそうだ。料理も教室に通って覚えたり、簿記やビジネス関係の授業を扱っている学校に通っていたそうだ。
神代に技術は必要ない。選ばれた人間だけがなるだけである。しかし、お世話係とは予め色々と覚えてからここにやってくる。新社会人だけど、誰に教わったり助けてもらうわけでもなくすぐに実践だ。実際、四月から彼女は一人で色々とやっていた。大変そうなのは見てわかった。でも、手伝い方もわからない。
そんな彼女は、初めての年越しの忙しさに加えて本堂の掃除と、おまけに初めて本殿に入る僕の心配までしてくれている。他の神代が言っていた。彼女はとても面倒見がよく優しいと。僕もそう思う。
そんな彼女が現在、本殿の掃除の仕上げを行なっている。
僕は本殿の扉の前に着いた。あと十数分で本殿に入らなければならない。お節を食べるわがままを叶えてもらえて、嬉しくてリラックスしたのも束の間で、ご飯を食べ終わったら緊張が少しずつ戻り始めていた。でも、結ちゃんにこれだけ沢山して貰ったんだ。不安は見せないで、しっかりと務めを果たそう。
「掃除終わりました!!睦月さん!どうぞ!!」
結ちゃんが本殿から飛び出して来た。
色々と彼女が話しかけてくれてるが、不安が大きくなって、あと数分後の事が気になって上手く返事を返せているだろうか。ちゃんと笑って応えているだろうか。緊張するといつもやっていることがわからなくなる。あれ、笑うのってどうやるんだっけ。こんなに口角って上がらないものだっけ。目ってどれくらい力入れて開けてるんだっけ。
兎に角、部屋に入って扉を閉めなければ。僕は扉をしっかりと閉めようと力を入れた。力加減がわからない。でも、とりあえず閉めよう。そして、締め切った。とりあえず深呼吸をして落ち着こう。その後に言われた通りに歩こう。そう思っていたら扉の向こうから結ちゃんの小さい声が聞こえてきた。
「神代の一ヶ月に感謝・お礼申し上げます」
あぁ、そうか。この神代が犠牲にする一ヶ月間を知ってこんな風に思ってくれるんだ。
他の人たちは知らずでも、こう思ってくれる人がいるんだ。人知れず一ヶ月を無駄にしているのではなく、ちゃんとその重みを分かってくれる人が神代以外でもいるんだ。
神代は、神代以外に詳細を話さない。
父さんも、母さんも、じいちゃんの件があるから神代が一ヶ月の間、儀式として本殿にいることは知っているが、寝食はしていると思っている。まさか、寝食せず、入った状態で出てくる。つまり、【一ヶ月間体の時間が止まったまま】という事は知らない。ただただ寝食以外は祈りを捧げている、とでも思っているのだろう。
一ヶ月間も体の時間が止まったままで、お腹も空かない、寝もしない、意識もほとんど無い状態など普通ではあり得ない状態だから。でも、これが現実で、僕も今からそれを体験する。
一族でさえ、家族でさえ、神代以外は限られた人しか神代については知られていない。でも、目の前にいた彼女はそれを知っている。神代以外に感謝された。なぜかそれが凄く嬉しかった。
不安と嬉しさを感情がおかしなことになってきた。少しずつ、悪い気は少なくなってきた。言葉とは不思議な力を持つモノだな。
思ったよりも、軽く足が出た。本殿の真ん中に、木としめ縄と紙垂で作られた四角い空間がある。
空間の中には座布団が用意されている。
まずは空間の前まで歩き、たどり着いたら二礼二拍手一礼をする。その後に空間に入り座る。
「我は、《睦月》の神代。ひと月を捧げに参りました」
そして、少しずつ意識が遠くなっていった。