七章:文月の君へ エピローグ
そう言えば、何かが引っ掛かっている気がする。
言葉遣いが丁寧な親の元で育った私は、中学生の頃にはもうこの話し方でした。
ただ、周りも特にこの話し方に対して意見する様な人はいなかった。むしろ、歳が上の方からは褒められて、同級生や下級生からは評判が良かった。
私の人生は、神代という事を除けば極一般的だと言われる道を歩んできていると思ってます。祖父母には可愛がられ、両親もよく面倒を見てくれた。兄弟仲も良い。
幸いにも勉強も運動も割と成績が良く、志望した学校には合格出来た。部活動では良い成績を残した。沢山の友人に恵まれた。好みの女性にも好かれて楽しい学生生活を送れた。
おそらく、人が味わう負の感情をあまり味わってこなかった様にも感じられる。それは、私が気にしなかっただけなのやも知れませんが。大体のことが良いタイミングで起きて良い方向に進む私は、あまり物事を気に留めていない。割と好き勝手にやっても上手くいくので、気にするだけ本当に杞憂なのである。
だから、いい意味で物事を直ぐに忘れてしまう。たまに起こる何か疑問に思ったり心に引っかかったりした事も、『そのうち上手くいくでしょう』と楽観的に考えてしまいますね。
ただ、神代の事を告げられた時だけは、流石に最初は信じられなくて疑って掛かってしまいました。
なので、大事な家族が出来てからですね。杞憂に終わることだとしても少し気にかけたりするようになったのは。
・・・ーーー
「"神代"・・・ですか?」
もうすぐ小学校を卒業、そして中学に入学するという時期の学生になんて事を言っているんでしょうかこの人は。
”神代”に関する事を当時の神部の方から聞いた。この人頭大丈夫かな?神部の屋敷に呼ばれたと思ったら、質の良いスーツを着た中年の男性が、真剣な面持ちで非現実的な事を言い始めました。
漫画、アニメ、小説の読み過ぎなのでは無いだろうかと心配になってしまいました。
「神宮家に生まれる男性で、選ばれた人間が”神代”になるんです。神代というのは、今現在も天から頂いている神の加護を受ける依代なのです。神代は全員で十二名。毎月、入れ替わりで神代が神の加護の力を受けて大地に受け流す仕事をしています。何月が担当なのかは、名前の月です。貴方のお名前は【文月】さん。七月の担当です」
「ファンタジー小説をお作りなのでしたら、多分他の方に感想を聞いた方がいいと思います。私は小説はあまり読んでこなかったので。あ、でも、設定としては割と面白いなって今感じました」
「いえ、これはノンフィクションでして、実際に神の加護を受ける依代を今も誰かがしているんです。そして、貴方もあと十年程したら神代になって頂きます」
「実際に見ないことにはなぁ・・・なんとも言えません。見せて頂けるのですか?」
「常に儀式の最中である建物・・・本殿へは誰も入れません。しかし、神代の入れ替わりの日に境内にいらして頂いて、どういったモノか見て頂くことは可能です。と言っても、目に見える現象は何も無いのですが」
「何も無いんですか。でも無いなら無いで良いです。とにかく見ないと実感が湧かないので・・・ありがとうございます」
ちらほらと雪の降る月末の日。
湿度があるためか、普段の冬の日に比べて空気が暖かい気がする。刺すような寒さでは無い。
私は少し大きめのカバンを持ち、神部の人が言う、その”境内”に来た。
今日は土曜日。月末の第四土曜日で学校は休み。休みの土日と月末が被ったこの機会に、神代を知るために泊まりでやって参りました。
「神宮 文月です。お世話になります」
「私も、神宮 文月です。どうぞ宜しくね」
”現役”の文月さんかぁ。十年後、私がここにくる時には、この人は引退するのか・・・。
「さ、まずは荷物を置いて楽な格好になってね。色々説明とか境内を軽く案内するね。最初は、”あと2時間したら神代が一ヶ月ぶりに出てくる本殿”からにしようか」
「?はい」
よくはわからない私は言われるがままに、文月さんに案内をして頂きます。
境内の真ん中にある”母家”と言われる建物。そこの奥に一本の長い廊下がある。文月さんと一緒に廊下の前まできました。
「この先の建物が”本殿”と言うんだ。本殿はね、”神崎”の者が書いたお札で清めてくれている神聖な場所というか空間なんだ。この本殿の中で、一ヶ月間”なにもしない”で過ごすんだ」
「なにもしないんですか?」
「と、言うよりなにも出来ないんだね。ほとんど眠っているようなものだから」
「眠っている・・・?一ヶ月間ですか?」
「そう、一ヶ月間ね」
不思議というより奇妙である。一ヶ月間も眠り続けるなんて。神代とは不可解なものである。私も中に入るとそうなるというのだが、全く想像出来ない。
「今もね、神代が入っているんだ。毎月月末の正午に目が覚めるんだ。目が覚めるというか意識がハッキリするというか・・・。そして、夜の11時までにお世話係さんがお掃除をしてくれて、次の神代が本殿に入るんだ。そして、来月末日まで本殿にずっといるんだ」
「食事は・・・」
「ずっと寝てるようなものだから、飲み食いは勿論しないよ。その間は神代の体の時間が進んで無いんだ。髪の毛も爪も伸びないよ」
「・・・」
「まぁ、とにかく近寄って耳をそばだててみるといい。この時間じゃ物音ひとつしないから。あ、空調の音はするけどね」
音が全く聞こえなかったとして、それは本当に中に人がいるのだろうか。
本殿と呼ばれる建物の扉には、南京錠が付いていた。大きすぎもせず、小さくもない。
扉に耳を近づける。空調の機械音以外は確かに音がしなかった。
「見てて」
パチンーーー
文月さんは、本殿の扉の南京錠に鍵を挿して開けた。
「まだ時間じゃ無いから、扉は絶対に開けないよ。中にいる神代が目覚めて自身で扉を開けて出てくるんだ。他の者が扉を開けるのは御法度だからね。そして、今この南京錠の鍵を開けたこの鍵はこの錠のだけのモノ。それを君に持っててもらおう」
そう言って、文月さんから開錠する鍵を受け取った。2本ある。
「で、その渡した鍵が本物だと証明するためだけに開錠したので、この南京錠はまた掛けておくね。神代が出てくる正午に今度は文月君の手で開けてもらう。それまでずっと文月君が持っている訳だから、その間出入りが出来ないよね?」
なるほど。
「わかりました。預かります」
「じゃぁ、正午になるまでは境内を案内しよう。まず、素通りしてきたここ母家の台所ね」
「各、離れ」
「倉庫」
「池」
「工房」
歩きながら説明を受けた。思っていたよりも境内と言う場所は広い。
「職場も境内にあるんですね。平日は境内から外に出ることがないんでしょうか?」
「そうだね、急に何か食べたくなって、コンビニやスーパーに行こうってならなければ殆ど出ないかな。あ、でも独身の神代は仕事が終わって外に飲みにく人も勿論いるよ・・って未成年にそんな話ししちゃダメだったかな」
「いえ、そんなことないです。入るときには成人でしょうから」
正午まであと5分。私は文月さんとまた本殿の前に戻ってきました。
そして、今度は私の手で開錠した。
「さぁ、あとは神代が出てくるのをちょっとここで待っていようか」
「はい」
待っている間に、掃除用具を持った人が現れた。
「あ、宮守さん。お疲れ様です。こちらが話した次代の文月くんです」
「こんにちは、お世話になります。神宮 文月です」
「こんにちは。宮守です」
とても静かな雰囲気でクールな印象の女性だ。
「年末の大掃除かと思うくらい沢山の道具ですね・・・」
「実際、大掃除だからね。部屋は隅々まで、エアコンも掃除するから。お世話係さんって凄いんだよ」
「・・・そんなことまでするんですか」
「一ヶ月間入れないからね。一ヶ月分。って言っても空調は一年中つけてるからね。ちゃんと見ておかないと」
掃除用具を持って現れた”お世話係”さん。これから大掃除が始まるからこの表情なのか、それとも元々このような雰囲気の方なのだろうか。そんなことや、境内に初めてきて色々な知識を詰め込むように考えていたら5分があっという間に過ぎたらしい。
「ふぅ、またあっと言うまだだったような、それなりに長かったような・・・あれ?こんにちは?」
「お疲れ様。次世代の文月君だよ。本日は見学にね」
本当に人が出てきた。物音ひとつ立ててなかったあの部屋から。意識して部屋の中の音を聞いていたが、布が擦れる音もなかった。この祭服ならば、動いたら布が擦れる音が絶対にする。たまたまさっきは本当に寝ていたりしたただけなのではなかろうか?やっぱり説明された現象が本物だと認めるべきなのだろうか。
そう思っている間にも、神代の人は本殿から出てきて、代わりにお世話係さんが掃除に入っていく。
「掃除、お願いします」
「承りました」
夜は23時頃に次の神代が入ると聞いた。眠くならないかなと心配だったが、初めての場所、人、空間、体験により目は逆に冴えました。
現在、本殿の前には、次の神代、私、文月さん、お世話係の宮守さんがいます。
「では、入ってきますね」
「行ってらっしゃい」
私も今日初めて会ったのですが、声をかけた方が良いのでしょうか。
「行ってらっしゃいませ」
「おや?優しい子だね。ありがとう。行ってきます」
優しく笑って、本殿に入って行かれました。
「神代の一ヶ月に感謝・お礼申し上げます。・・・では、あとはよろしくお願い致します」
お世話係さん唱えたあとに、私たちに一声掛けて戻られました。
「じゃぁ、さっきみたいに、文月くんの手で施錠をしてもらおう」
言われた通りに施錠をして、開錠の鍵は紐で括り私の首に掛けた。これで、完全にここに人が封じ込められた。
掃除の最中に、本殿の中を見せてもらった。
部屋の真ん中に、縄で囲われた四角い空間があり、縄には紙垂が吊るされていた。紙垂は、空間を清く保つ効果があるらしい。そして、本殿の中には戸棚もなければ食べ物を置いておく場所も、食べ物そのものもない。トイレも手洗い場も何もない。人が一ヶ月間いるには何もかもが足りない部屋だった。高い位置に小さな磨りガラスの様な窓こそあって、日光は入るものの、出入りするような扉は母家からの通路の扉以外はなかった。破壊しない限りは、私が持っている鍵以外では開かない。
「じゃぁ、寝ようか?明日朝起きて、また確かめよう」
「・・・はい」
これは、信じるしかなさそうですね・・・。
翌日、朝起きた時に、一度、本殿の中の音をまた聞き、鍵を開けた。鍵を取り替えたりしてないと証明するためです。その時点で、10時間。まぁ、10時間くらいなら寝てるだけというのは大いにあり得る。なので、次はお昼過ぎに開ける事になっている。その間随分と時間があり、他の神代の話も聞いていた。
「まぁ、普通はすぐには信じないよね。僕も最初は嘘かと思った。でも、あまりにも神部の人が真面目な顔して言うからさぁ。ちょっと受け入れるの怖かったよね。後でドッキリとか言われても嫌だったし」
私に気軽に話してくれているのは”皐月さん”。五月の担当の方です。
「へぇ、では私のようにこんなに丁寧に教えて貰った方はあまりいないんですね?」
「そうだね、そんなにごねたの?」
「いえ、ただ、突拍子もない話だと思ったから、見ないとなんともって思って・・・。それを伝えたら、じゃあ見ようかって話になったので。見せてもらえるなら見たいなって軽い気持ちでした。ご飯用意して貰ったり、こんなに人にお世話になるなんて考えてなかったので、悪かったなって今になって少し反省してます」
「まぁ、慣れちゃえばどうってことないんだけど、こんな話それくらい疑うくらいが本来はちょうど良いと思うよ」
と言って安心させてくれた。
「これで、夕方近くでも音もせずだったら納得してくれたって事で大丈夫かな」
「正直、今の時点でももう十分に」
「あ、生まれた…」
一緒にいた、皐月さんが突然その言葉を口にしたのだ。
「ちょっと、報告してくる」
皐月さんはその場から駆け足でどこかに行かれました。
「どうされたんでしょうか?」
「あれはね、多分次の世代が生まれたんだな。・・・君もその時になるとわかるよ」
「まだ謎めいた事があるんですね」
あのあと、夕方近くにまた鍵を開けに行き確認をした。
やはり私の持っている鍵で開いたし、中は物音もしなかった。途中から割と信じてはいましたが、もうこれで納得です。神代という存在がいて、私はその”神代”。
一年の内、”七月”の一ヶ月間を捧げるのだな。梅雨から夏に季節が移る時期が割と好きではあったが、神代になったら引退するまではしばらくお預けか。でも、六月の梅雨と八月の真夏は楽しめるし、クリスマスも正月もある。まぁ、世間が騒ぎ立てるイベントの時ではないから、その分マシなのかな。それにあと十年近くはある。
では、境内に入るまでは七月を目一杯楽しもう。
・・・ーーー
それからというものの、七月は特に意識をして過ごしてきました。
私自身は何をするわけでもないですが、近所の小学生が掛けた短冊と紙で作った飾りがつけられた笹の葉を見かけては『あぁ、七月だな』って思った。七夕が曇りの年もあったが、なんとなく空を眺めて見たりもした。
期末テストは私の中では七月を感じる行事だと思っていた。
七月の半ばで梅雨が明ける年もあれば、七月の末まで梅雨明け宣言がない年もあったり。
平凡な、何もない、大切な当たり前に過ぎていく日常である七月を一年の中で一番大事に過ごしてきた。
今日は一日、二日、五日、もう十日か・・・。七月は他の月に比べてカレンダーを見る回数、眺める回数も多くなるものです。
私は、世代交代して引退するまで、七月がない。きっと人より二十回くらい七月が少ないのだから。
二十歳頃には、体格も良く、声は思った以上に太くなり、《ダンディ》と称される事が増えてきた。
境内に入ってから、初めての儀式を迎え、『なるほど、こんな感じだったのか』と納得をし、結婚もして子宝にも恵まれて幸せな日々を過ごしている。
ここで、長男が車の免許も取った。ますますの成長で親としては嬉しい事ばかりだ。
「はぁー!文月の息子がもう成人ですか!車の免許ですか!お父さんも立派なものね!」
私より年上の長月が複雑そうな顔をしている。どうやら生まれた時から知っている私の息子が成人を迎えた事に、本人は『何か心に大きなダメージを食らった』と言っている。
「免許ねー!俺も誕生日迎えると同時に取ったよ!あんときゃ暑くて暑くて!でも、俺も車の免許一発合格だったよ!」
「皐月は境内に車置いていたかな?」
「一応あるよ、でもほら、俺出かける時は大体お酒飲む時だから滅多に乗らない。だから一番奥に停めてる」
「あ、なるほどね」
「教習所混んでて予約取るの大変だったー!」
学生の時から、熱中することはあれど、熱を入れ込みすぎることもなかった私だ。あぁ、もちろん部活動などは頑張りました。良い結果も残せましたし。しかし、他の方から見ると『涼しい顔しやがって』とよく冗談混じりで言われました。がむしゃらだった訳では無いですが、頑張りが顔に出ずらい顔のようですね。
なので、特に今まで何か忙しない生活だったわけではなく、むしろ落ち着いた穏やかな生活をしてきたと思う。
そんな私ですら、境内はとても心地よい場所です。自然も多く、仕事も急かされることは殆どない。
最近では、卯月の奥方はちょっと暴れん坊なことが少し気掛かりですね。しかし、それも神部がしっかりと対応をしようと、守ってくれようとしています。
そう、私はいまだにずっと守られているんですよ。
生まれた時から、親に、親族に、成人をしたら神部に。だからこそ割と安心していられるのですね。しかし、それでは私のように後ろ盾のない息子たちは何を見本にすれば良いのだろうか。
そう思った事、あと十年ほどで世代交代があることで、私と妻は考えた。そして、もうすぐ大人の仲間入りを果たす大きくなった息子たちと話し合い、神代引退後の生活をどう楽しもうかと年明けから少しずつ話しも出ている。
きっと、あと数年はここで幸せに暮らし、その後境内を出た後も、新しい幸せが待っているだろう。
少々の不安もある。私一人の事ではなく”大事な家族”の事だからね。
そして、私はこれから本殿に入る。
卯月の奥方の不安も少し持ったまま。
「さて、では入ります。結ちゃん、家族の事、頼みますね」
「はい!お任せください!」
「双葉も、よろしくお願いしますね」
「喜んで」
その不安を、神部から来たこの用心棒と、若く真面目で頑張り屋なお世話係さんへと託します。
境内に入って、うたた寝のような感覚ですぐに一ヶ月が経つ。その、私の体感の短い時間で、他の者は一ヶ月もの長い時間を過ごす。
さて、今月も、家族が無事で幸せで過ごせますように。
「我は、《文月》の神代。ひと月を捧げに参りました」
一昔前は、第二土曜日と第四土曜日がお休みでした。地域で違ってたらすみません。




