六章:水無月の君へ 一話
【籍入れ】
世話係として境内に勤めるときは、必ず「籍入れ」を行う。籍入れをせずに勤める事は厳禁である。木札に名前を書いたものを、本殿に吊るす。吊るした事で、世話係として『契約』が成立した事になる。世話係に一度なると籍を抜く事は出来ない。木札を外して境内に勤めなくなっても『契約』は解消されない。
六月一日
「おおお!圧巻ですね!」
現在は朝食も食べ終わり朝の9時です。
六月は『夏越大祓』という神事を境内で行います。
高さ二メートルを超える、茅で作った大きい”輪”。通称『茅の輪』を境内に置きました。
茅の輪は、文月さんと長月さんがメインで作ってくださり、私も一緒にお手伝いさせて頂きました。家事の合間の手伝いだったので、最初から最後までのご一緒はもちろんできず、所々の手伝いなので、最初から作っているお二方からすると進行の妨げになってたと思います。手伝いより邪魔をした印象です。そうそう、人に物を教える時って、教わる側も初めてのことで大変ですが、教える側も大変なんですよね。だって、自分だけでやれば段取りはわかっているし凄くスムーズにできるんですもん。それを、説明しながら、途中手を止めながらやるものですから本当に感謝ですね。
そんな、ただ”作っただけ”ではない、私の初めてと、皆さんの苦労が混じった茅の輪が本日やっと飾られました。神社によって作法は異なるとのことです。が、ここは”神社”ではないので、境内の周りに比較的何もない入り口近くに設置をして、日々の生活で可能な限り潜ります。
去年も設置しまして、お子さんたちがぐるぐると楽しそうに周りを走っていました。あ、ちなみに先月好評だった”鯉のぼり”は、鯉を下ろして、ポールはまた玄関の手すりの如く格納されております。
「いいものですね。自然に囲まれて暮らすと言うのは」
神代たちが茅の輪を置いている近くで見ていた私の隣に、桔梗さんがやってきました。
「ご自宅には自然が少ないのですか?お屋敷なのでお庭が広いイメージでした」
「花は沢山植えてあります。それこそ、メイドがハーブを育ててますが、樹は少ないんですよ。あっても家の中からは見えない位置にあったりします」
「そうなんですか。では、境内にいる間は存分に楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
茅の輪の設置している集団から抜けて、長月さんがこちらにゆっくりと歩いて向かってきた。
「桔梗も、今月いっぱいかー、次、誰かと交代したらお酒飲みにきてよ。それとも、ここにいる間の仕事をやらなくちゃいけなくて忙しくなるのかな?」
「まぁ、会議とか出なくちゃいけないからね。何か作業をする時間より、結局会議の時間が多いからね。会議という名の拘束だから」
「会議ねー、一日会議続きの日とかあったりするの?」
「月初とかね。朝から晩まで会議だよ」
「本当にそうなんだね。座ってるのも楽じゃないからね。むしろ辛いし」
「腰の話?」
「それもある」
お二方が話していたら、今度はダンディ文月さんがこちらにいらっしゃいました。
「おはよう、結ちゃん」
「おはようございます!もうあっという間に今年も半年になるんですねー」
「本当、早いね。そうそう、この間の話しなんだけど、車を一台増やす件、駐車場の申請を一台分良いかい?」
「あ!大丈夫ですよ!手続きもしてあります。って言っても大した事ないので簡単なんですけど」
「助かります。長男がもう18歳だなんて・・・。ここまで本当に長かったようで短かったね」
「来年には、真ん中の息子さんも続けて18歳になるんですものね、年子って忙しいですね」
「小さい時は特に大変だったかな。双子みたいに一緒にどんどん大きくなるけど、学年は違うから入学準備とか手続きは2年ずつ同じことしたりね」
「いやはや、親御さんというのは本当にすごいですね」
「それでね?」
子供の成長を喜びながらも少し寂しそうな顔をした文月さん。それにしても少し寂しいというか、悲しいというかなんとも表しづらい表情をしている。
「何かありましたか?」
心配になって聞いた先はなんと
「もう少ししたら、境内の外で暮らそうかって話が出てるんだ」
「宮守さん?それ、お皿ではなくて電卓ですよ?」
「え・・・?ええっ!!ああっ!!」
文月さんの話しに驚いて、その後から考え込んでしまった。まさかのお皿と一緒に電卓まで洗うなんて失態をしてしまった。しかも洗っている最中に自分で気づけず桔梗さんに言われて初めて気づいた。重症だ。私も電卓も。
「あああ・・・これ、乾かせば使えますかね?」
「ひと昔前の携帯電話も、乾かせば使えるみたいな噂を聞いたことがあります。試してみる価値はあるのでは?」
「あ!折りたたみのいわゆる”ガラパゴス”携帯電話の事ですね!」
「・・・私がその話を聞いた時に持っていた携帯電話は、折りたたみより前なので棒形の携帯電話でしたが・・・」
「!?」
「十二の年差って結構心に刺さるものがあるんですね」
苦笑しながら桔梗さんが言いました。
「それで、宮守さんが電卓を洗ってしまうほどの”何か”は、私が聞いても大丈夫な事ですか?」
「あ・・・まだ言えないです。と言うか、私の事じゃないので、私からは言えないんです。つまり、私が悩んだり考えたってどうしようもない事なので・・・」
私が電卓を洗ってしまうほど動揺をしたのは、先ほどの文月さんの言った『もう少ししたら、境内の外で暮らそうかって話が出てるんだ』の言葉を聞いてからです。
私と文月さんの話始めまで近くにいた長月さんと桔梗さんは、その後大事な話なのか、その場から離れていかれました。もしかしたら、この間少し話が出た、”次の長月”さんのお話しかもと思ってます。
なので、文月さんも周りに人がいないその場で私にその話を始めたのだと思います。
ただ『話が出てるんだ』と、まだ決定事項ではないらしいので、このまま境内にまだ住んで下さる可能性だってあります。そもそも、これは文月さんのご家庭で、ご家族の皆様が暮らしやすかったり、幸せのための選択なのだから、境内以外で住むことを神部が許可したら私の意見などは関係ないのである。私が考えたってどうしようもないというのはそういうことだ。
でも、考えてしまう。
もしかして、卯月さんと奥さんの騒動が原因で出ていかれるのかもしれない。『家族の安全が第一』とご家庭をお持ちの神代の意見は変わらない。それなら、安全を提供出来なかった私にも原因はある。そもそも私が食ってかからなかったら奥さんはもしかしたら境内に乗り込んでこなかったかもしれない。
その後、ここで警備の強化で神部の方が来てくださったり、防犯カメラの取り付けもしてくれたが、それでも不安なら仕方ない。
何がいけなかったのだろう。いや、”いけなかった”と決めつけるのはやめよう。事実と違っても、良い方に考えなければ!そう!例えば、奥様がガーデニングを実はやりたかったとか!冬場はピッカピカに電球を何百個も飾ってイルミネーションをやりたいとか!自宅でヨガ教室とか料理教室を開けるような家が欲しいとか!!
そもそも卯月さんの件で、”境内に住まなくても良い”事例が出来てしまった。
神代を囲っておきたいのは、安全の為だが、今や境内で安全が確保できない状態となってしまった。心の問題の安全の話しですが。それでも、護るためにわざわざ隔離に近い状態の”境内”があるのに、このような事態になってしまっては、逆に境内から外に出て暮らした方が安全だと思われしまっても仕方ないと思う。
「そうですか。では、難しいかもしれませんが、なるべく考えすぎないようにしてください。放っておくと、案外良い感じに収まるものですよ」
「そうなんでしょうか・・・」
「そんなものですよ」
弥生さんとはまた違う種類の安心するようなにっこりとした笑顔を頂きました。あぁ、心配とか気を使わせてしまったな。そりゃそうだろう。電卓洗う人なんて遭遇したことなかっただろうから驚いただろうな。
「電卓は、私が外で水切りして干しておきますね」
「本当にすみません!経費で買ったものを粗末にして!!」
「いえ、干しても使えなかった場合は消耗品として処理しましょう。あ、話は変わりますが、近々"次の長月"が境内に来て長月と話をします。私と、あともしかしたら神部から誰か来るかもしれないですが、宮守さんは同席しますか?強制ではないですし、話の内容もまだ詳しくはわかってないのですが、お世話係は"境内の責任者"ですので」
「いえいえ!神部の方がいらっしゃるのでしたら私は大丈夫です!」
「わかりました。ですが、もし気が変わったら教えて下さい。遠慮してるなら気にしなくて結構ですよ。聞く権利はお持ちですから」
「気が…変わったらお伝えします…」
面倒事と言ったら失礼ですが、今は卯月さんの事に続いて今朝の文月さんの件もある。これ以上の話を、普段の業務に追加して聞きたいとは思えないですのですみません。
気が変わる事は無いと思います。長月さんの件は、神部の方にまるっとお任せいたします。…すみません、絶対私より遥かに、比べ物にならない程の仕事をお持ちの方なのに!!
申し訳ない気持ちが溢れそうになりますが、きっと、この方達は私とは"造り"が違うのだ!同じ人間だけど、おそらく設計が違う!
私はそんなに沢山のことはできませんが、この方達だからこそ出来るのだ。よし、設計が違うなら出来なくても仕方ないでしょう。
何卒宜しくお願い致します!!
六月五日
「もう一回会ってもらえないかな?」
「断る」
本日は皆様仕事をお休みしております。現在は朝食後の何もない時間。天候は雨。六月ですし、そろそろ梅雨入りです。分厚い雨雲が空を覆い、青空は全く見えません。
灰色の雲が、心までどんよりさせてくるような気がする今日この頃。
雨が降らないにしても、晴れ間が減った最近。湿度も高く不快指数とやらが高いとテレビで言っております。
長月さんが、腰が痛いと言う回数も多くなってきており、腰でないにしろ皆さん何かしら怠そうだったり気分が優れない、冴えないと溢し始めております。
そんな中、母屋の居間は更にどんよりとした空気です。
「適性も人望もある女性だって聞い」
「断る。そっちで断っておい」
「仕方ないじゃないか、諦めた方が良いよ。如月の戦略が裏目に出てしまったのだから。しかも、"嫌われる為"でもあり、そして"素の如月"を気に入ったんだ。"本来の自分"を気に入って貰えたんだよ?素晴らしい事じゃないか。すぐに付き合えとか結婚しろなんて事は言わないけど、もう一回会ってちゃんと相手を見てるくらいはしても良いんじゃないかな?」
双方食い気味である。言葉尻を被せながら交互に攻めているが、最後は桔梗さんが如月さんに話させずねじ伏せました。
そう、先月に行いました、如月さんのお見合いの行方を現在話しております。
居間には、お茶を用意している私と、当事者の如月さん。そして、今回のお見合いを繋げようとしている桔梗さんです。皐月さんは桔梗さんによって締め出されました。
「誰かと一緒に生活するのも、相手の人生を背負う気も覚悟もまだ無い。相手に失礼だろ」
「それ、そのままお相手に話せば?素の如月が好きなんだから、それでも良いって言うかもしれない」
「それじゃ俺が納得しねぇよ」
「うーん、困った君だねぇー」
本当に、少しだけ困った顔をして桔梗さんは言った。
「心意気は男前でとても格好いいと思うよ。もう勢いのまま会ってみてはどうかな?」
「本当の男前に”男前”だなんて言われても嬉しかねぇよ。世辞だろう。腹がきまらねぇっつってんだから。むしろ情けねぇって話だろう」
かれこれ30分はこの押し問答が続いております。
こう言う時は、口を挟まずただそっと見守ってお茶だけ淹れていれば良いのです。何も言わずに近くに寄り、お茶を注ぐ。如月さんが、『とりあえず一回会えば話は一旦落ち着くのではないだろうか』
「・・・一回会えば、その次も会わざるを得ないだろう。一度受ければ断る理由がなくなる」
如月さんが、私の心を読んで答えたかのような言葉を発した。しかも、私の方を見ながら。あれ?声に出してたでしょうか?!
「出てた」
「あちゃーついに声に出してたとは面目無い」
「とりあえずも何も俺は会わない。態度の悪い喋らない男なら他にもいるだろうよ、俺でなくて」
「でも、それでいてその顔立ちと”神代”は『如月だけ』だからね。代わりはいないよ」
「金も目的なら、神部から似たような顔立ちの奴を差し出しておけばいいだろう。好みの顔、無口、金持ちなら良いんだろう?」
「そう言う事じゃないんだよ、女性の気持ちをもうちょっと汲み取ってあげなって」
「汲み取るも何も知らない相手だし、知ろうとも思わない。相手の事を考えての答えだ」
「まぁ、如月の”わがまま”って、自分の為のわがままじゃないからね」
ここで桔梗さんが折れた。
「俺が思うに、相手の女性は何回か如月に会えば多分向こうからこの話を辞退してくると踏んでる。だから、それまでは相手方に付き合って欲しいって思ったんだ」
「・・・なんでそんな事が言える」
「ただの”勘”だよ」
「・・・お前何か知ってるな?」
「何も知らないよ、タダの勘だもの。とりあえず今日はこの話はここまでにしよう。そろそろ大量の納品もありそうだからね」
ピンポーン
ちょうど良いタイミングでインターホンが鳴った。
「はい」
「あ、結ちゃん、神崎です。納品に来ました」
「今行きます!」
「いやぁ、雨で参っちゃうね!」
駐車場でずぶ濡れの神崎さんが工房に納品する材料を卸していました。
「神崎さん!なんでそんなずぶ濡れなんですか?!」
今日はずっと雨だけれど、そこまで強い雨足ではない。さっき車から降りたとしたってこんなに濡れるだろうか。
「ここは雨が弱いけど、うちの方じゃ結構降ってたからね。境内は守られてる場所だから、雨も強く降らないのかな。いいねー」
「何言ってるんですか、ちゃんと台風も来ればゲリラ豪雨だって食らう時もあります。早く母家で温まってください!車に乗る前からこんなに濡れてたんだったら風邪引きますよ?!」
神崎さんの神社に一度納品された材料を境内に運んでもらうと言う、割と非効率的な事をしております。しかし、これは神部が仕入れ先と言う名前の『取引先』を神崎さんの神社にしたい為、わざわざこのようにしているようです。
「あーあ、これはまた派手な事で」
後ろから納品の手伝いに来てくださった桔梗さんが、神崎さんを見るなり呆れたように言いました。本当です、こんなに派手にずぶ濡れだなんて!
台車に納品物を乗せて、とりあえず工房まで運び荷を下ろします。工房内で数の確認をして、受け取りのサインをしたらもうそこで仕事は完了です。
「さ!母家に来てください!」
「え?いいよ、もう帰るだけだし、車の暖房をつければ」
「つけたってダメです!絶対に体調崩します!今でさえ間に合うかどうなかなので早く来てください!」
神崎さんの神社から境内までは近くない。1時間かからないにしたって、ずぶ濡れのままでいたら絶対に体が冷え切ってしまいます。私は神崎さんに有無を言わさず母家の玄関に連れ込み、大きめのタオルを持ってきました。
「まずはここで脱げるものを脱いで、体を拭いてください。で、今着替えを持ってきますから待っててくださいね!」
言って私は、母家の物置に走り、予備の斎服を持ってきた。これなら神崎さんだって着慣れているだろう。流石に私が勝手に連れてきたのに誰かに『服を貸してください』とは言えない。途中で洗濯籠も持って玄関に急いで戻ると、神崎さんは上着を脱いで髪の毛を拭いていた。
「神崎さん!このカゴに洋服入れてください!で、この斎服を着てください!服は乾燥機にかけますので!」
「すごい、手際と判断が良いね!流石お世話係さんだな」
「風邪を引く前には!や!く!」
「あはははは」




