一章:睦月の君へ 二話
一月十日
一人だけ私たちと食事を共にしない神代がいる。
四月担当の《卯月》さんである。
彼だけは、離れにも住んでおらず、敷地の外に住んでいる。持ち家なのか賃貸なのかは不明。
私も深くは触れず、とりあえず必要がある時に話しかける程度である。
既婚者の卯月さんは、奥様とお嬢さんと三人で暮らしてます。
《神代》である事に対して発生するお金、(私たちは”神代金”とか”生活費”などと言う)の現金受け渡しがあるので、月に一回は最低この母家に来ます。
むしろ月に一回だけで良いのに、たまに暇なのか沢山母屋に来ては・・・
「結ちゃん・・・!!!」
「はいはい?!」
現在午後の16時過ぎ。休憩も頂いて、事務作業も終えた私は夕飯の仕込みをしていた。そんな時に、水無月さんが珍しく切羽詰まった感じで突撃してきたのでびっくりした。
「え?如月さんが?」
「うん、なんか凄く熱あるみたいで」
「だからお昼ごはんもいらないって言ってたのか・・・。とりあえず私は如月さんを見てきますね」
「お願いします。俺たち男は・・・何もできなくてすみません」
水無月さんが申し訳なさそうな顔をした後に勢いよく頭を下げてきた。
「いやいや!風邪とか熱とか、なる時は注意してたってなるんです!誰のせいでもないし、それを対処できないことが悪い事でもないですから!気にしないでくださいね」
「ありがとう・・・あ、夕飯の仕込み・・・途中だよね?」
「でも、あとこの鍋の煮物を、煮汁が減るまで煮込むだけです!」
「じゃあ!俺、見てるから!」
自分にもできることが見つかったと言わんばかり、珍しく水無月さんがとても明るい顔をした。
滅多にない嬉しそうな顔に、素直にお願いすることにした。
「じゃぁ、お願いします」
冷蔵庫からスポーツ飲料を、冷凍庫から保冷剤を持ち出し、袋に詰めた。
他にも使えそうな細々としたものも一緒に入れる。
洗面所に寄って、タオルと手拭いも入れて如月さんの離れに向かう。
「うわっ!!寒っ!」
まだ一月だし、ちょうど陽が入った時間だから寒いのはわかっていたけど、風が強く冷たい為より一層寒く感じる。離れまでの道は、したは砂利と大きい飛石だ。道の端には植木もある。日本庭園のような綺麗な風景だが、枯れ葉の量が夥しい。これは来週にも集中して掃き掃除を行わなければ。
そんなことを思っていたらすぐに離れに着いた。如月さんが熱で他の人に運ばれるなんて想像もつかないが、そんな状態なら呼びかけたって応答もしないだろう。みんなはもう仕事に戻ったと聞いたので、勝手に上がることにした。
「如月さん、上がりますね」
他の独身の神代の離れに上がったこともあるが、離れは全て同じ造りではないらしい。なので、寝室を探すところから始まる。
一応玄関から上がり、廊下を歩いていると、居間らしきところが奥に見える。途中で曲がる。しまった台所か。では反対側を見ると別の和室であった。そこにも居ないとなると、もしかして寝室は二階なのかもしれない。手を貸したのが男だから確かに力はみんなあるだろうが、こういう時は別に一階に寝かせてもいいと思うんだけどな。まぁ、仕方ないか。
私は、持って来た飲料の入った重い袋を肩にかけ直して階段を上がる。
「如月さーん!結ですー!二階に上がりますねー!」
言いながら二階へ向かうと、まっすぐの廊下に順番に部屋が三つある。そのうちの一番奥の部屋の扉が開いていた。あぁ、多分一番奥が寝室なんだなと思いたどり着くとやはりその部屋のベッドで辛そうに横たわっている如月さんを見つけた。
「如月さん、起きてますか」
「・・・あぁ」
「はい、じゃぁまずこれ飲んでください」
500mlのペットボトルのスポーツ飲料にストローを挿して顔の目の前に持っていく。これなら起き上がらずに飲めるでしょう。飲むのが下手でない限り。
調子も良くなく、言い返したり、追い返したり、また今は揶揄う人も居ないためか素直に聞き入れてくれて、飲み物を飲み始めてくれた。
その間に体温計を袋から取り出す。
一旦飲むのを辞めた如月さんを見て、作業着に手を掛ける。
「絶対に熱だっていうのはもうわかってるんですけど、念の為に何度あるか測りますね」
無言だ。多分このまま進めても怒られないだろう。
「39度・・・なんでこんなに高いんですか」
「・・・・・・・知らん」
目一杯、間が空いて返事がきた。この人に限ってこんなに返答が遅い状態だなんてこれは頂けない。
「寒いですか?」
「暑い」
「頭冷やしますね」
持って来た保冷剤に手拭いを巻いて枕の下に入れた。
他にも、脇などの四肢の付け根に保冷剤を挟む。
「診察してもらって、解熱剤処方してもらいましょう」
「…いらない」
ここで頑固が出た。
「なんでですか?!医者をここに呼ぶんです!動かなくていいんだからいいでしょう?!」
「っ俺、アイツ苦手なんだよ」
この一族のお抱え医師が嫌いのご様子。
「そんな事言ってる場合じゃありません」
「お前のいう事は全部聞くから…医者だけは呼ぶな」
「私のいう事聞くなら医者に診てもらってください」
「…っ却下だ」
「・・・分かりました。その代わり、本当に私の言う事ちゃんと聞いてくださいね」
「・・・・・あぁ」
「自分で言っておいて、すんごい不服そうな返事しないでください」
冬場は夏と違って汗をかくことが減るから、水分補給を怠りやすい。隠れ脱水症になることがある。それに、耐えられるからと薄着で外にいるのも良くない。寒いと体に力が入る。寒くて首をすくめる行為、あれだって大事な首に力が入りっぱなしになったりして良くないのである。寒さは我慢してはならない。小学生の男の子が冬に半袖だけで遊んでいるが、あれだって真冬の雪が降っている時にしている子は見たことない。それに、若さゆえの代謝が良いからである。とにかく、冬を舐めてはいけないのである。
「部屋の暖房つけますね。高めの温度に設定します。飲み物は10分に一口ずつ飲んでください。あと、今タオルを持ってきますから体を拭いてくださいね。それから、解熱剤を持ってきますから、その前に食べ物持ってくるので食べてください。如月さん、お昼食べてないですから、可能な限りは食べてくださいね」
「・・ん」
言い残して、私は母家へと戻り、解熱剤と如月さんの食事を準備する。
「あ!結ちゃん!」
「水無月さん、ありがとうございます!」
「ちょうど今、火を止めた所だよ」
台所に着いたら、コンロの前に水無月さんがいた。ずっと見てくれていたらしい。
「わぁ、ちょうどいい感じ!ありがとうございます。助かりました」
「よかった。・・あの、如月は?」
「39度です。それなのにお医者さん呼ばないって言うんですよ。全くもう」
「そっか・・如月はいつもだからね」
「なんかお医者さんがっていうよりその人が嫌いみたいで」
「そうなんだよね」
「とりあえず、ちゃんとご飯食べて薬飲むって話になりました。今から如月さんが食べれそうなもの作ります。なので、皆さんの夕飯がちょっと遅れるかもしれないです。伝えてもらえますか?」
「うん、言っておく」
「ありがとうございます」
水無月さんが、台所を後にして工房へと戻った。
さぁ、私もこれからまたご飯作るぞ。
とりあえず、今完成した2回火入れをした肉じゃがは如月さんが食べなくても持っていこう。あとはお粥を新しく作るか。栄養も取れて消化によく食べ易いものと煮込むか。5日前の鶏雑炊が頭に浮かんだ。
いやいや、美味しかったけど、また鶏雑炊かって感じだし・・・。ここは出汁を効かせた卵粥が無難かな。
蓋付き土鍋を取り出し、中に水を張り昼の残ったお米を入れて火をかけた。
土鍋自体が重いのに、中にお粥入れたらもっと重い。なんなら一緒に持ってきた肉じゃがも重い。
他にも梅干しや柴漬け、切った果物の盛り合わせもお盆に載せたらやたら重い。重いし外は寒い。
しまった。重すぎて玄関の扉が開けられないかも知れない!と、途中で思ったその時に自動で玄関扉が開いた。
「結、お疲れ様」
「神在月さん!」
神在月さんが如月さんの様子を見にきていた。扉を開けてもらえたので楽々家に入れた。と、すぐに手が軽くなった。神在月さんがお盆を持ってくれたのである。片手で。
「結構重いの持ってたんだな。遠目に見て重そうだなーとは思ってたけど。ここまで持ってこれただけで随分力もちだな」
「皆さんのゴミをまとめて持っていけるくらいには力ありますから!でも、ありがとうございます。やっぱり重かったです」
二人で階段を登る。
「如月に、水分をまめに摂るようにって言ったんだって?随分律儀に守ってるよ」
「医者を呼ぶな!って言われたのでその代わりに言うこと聞いてくれるみたいですので」
「なるほどな、如月!入るぞ」
神在月さんが部屋の戸を開けると、また10分に1回の水分補給のタイミングだったらしい。横になりながらもストローを咥えて飲んでいた。
「如月さん、食事持ってきたので食べてください」
私の言葉を聞いた如月さんは、いつもの行動スピードからは想像つかないくらいゆっくりと起きあがろうとしていた。そこに、近くのテーブルにお盆を置いた神在月さんが手を貸す。
結構うつらうつらしている如月さん、器持てるのかな。
「自分で食べれますか?」
「・・・食べる」
土鍋の蓋を開けると、まだ熱々だったため、この暖かい部屋の中でも湯気が立った。
「うわぁ・・・また美味そうな・・・」
神在月さんが言葉をこぼした。
「すごくシンプルな卵粥ですけどね。でもお出汁がすごく効いてるので味には自信ありですよ」
「俺も食いたいくらい。じゃぁ、俺戻るわ。如月、無理すんなよ。」
「はい、ありがとうございました」
言って、神在月さんは部屋から出て行った。
レンゲで土鍋からご飯茶碗へとお粥をよそる。
「どうぞ、しっかり食べてくださいね」
返事はないが、茶碗を受け取り食べようとする。米を少量にもり、口にレンゲを運ぶ。しまった、熱々過ぎたかも知れない。口に入れるたびに本当に少しだけど熱さに如月さんが驚いている。
そのまま如月さんがゆっくりだけど黙々とお粥を食べる。
「梅干しとか、肉じゃがとかなんか他にもあります。食べますか?」
虚な目をした如月さんが私の目を見た。
「食わせろ」
なんだやっぱり辛かったんじゃん。もしかして神在月さんがいた手前食べさせてくれって言いづらかったかな。私も聞くタイミングが悪かったのかも。
念の為に持ってきた箸で小鉢のものを小さくし、一口ずつ順番に口に運ぶ。
本当にゆっくりだが食べてくれるのでよかった。これで薬を飲んでもらえれば、もう私の目標と役目は完遂である。
それにしても、普段は仏頂面の如月さんが雛鳥みたいに口を開くの可愛いなぁ。なんて思っていたのが顔に出たのか、辛そうな顔をしていた如月さんの顔つきが別の意味で険しい表情に変わった。
「・・・お前・・」
「別に。別になんもないです思い出し笑いです気にしないで食べて下さい」
私は冷たくしれっと言い放った。
「さ、あとは薬飲んでくださいね」
いつもの如月さんからは想像もつかないほど長い時間を掛けて食べ切った。そして、やっと薬を飲める。これを飲んだらしばらく横になってもらって様子を見よう。
「お前、もう戻れよ」
「何言ってるんですか。みんなの食事が終わったらしばらくは居ますよ。こんな高熱の人を一晩一人残しておくとか私の事鬼だと思ってます?」
「・・・皐月に知れないならなんでもいい。好きにしろ」
この人は、皐月さんのからかいのネタになることを危惧しているのか。こんな高熱の時でさえ。
少しかわいそうに思えた。
現在が17時半。とりあえず、他の神代は全員仕事を終えているだろうから、最後のチェックに向かわなくてはいけない。
「在庫記録と夕食が済んだら戻ってきますからね」
「好きにしろ」
本日二度目の好きにしろを頂きました。
「結、如月どうだ?」
工房に本日の業務の記録をとりに向かうと神代たちがまだ残っていた。神在月さんが私を見て一番に聞いてきた。
「ちゃんとご飯は全部食べてくれましたよ。皆さん遅れてすみません。これから在庫記録しますね」
「いいって〜気にしないで〜如月が体調不良なんて珍しいんだから〜」
皐月さんはあまり心配そうではない。いつも通りである。
平日は毎日、17時過ぎに私は工房にやってくる。そして、その日に作成した品物の個数の記録、材料の在庫確認、注文数を決めるのである。個人別に記録をして、要はその数は給与に上乗せとなるのである。アナログな確認方法だがとても大事な仕事である。
彼ら神代は、一年の内に一ヶ月間本殿にいなくてはならない。一般企業に勤めたとして、一ヶ月間丸々休みをもらうことは難しいだろう。自分が会社を建てても良いが、代表が一ヶ月もいないのはどうだろうか・・・。
勤める事が難しい神代は、このように敷地内の工房にて神社で使用する品物を作成する仕事をするようになった。神社に関わる一部の方は《神代》の存在を知っており、”神の力を体に通す《神代》が造るモノはご利益もありそうで良い”という気持ちからきているらしい。
元々、神代であることによる生活費を毎月現金で渡しているが、それに加えて毎月働くこの賃金と、品物によって異なるが、大変な品を扱う場合、できた個数に対しても報酬が上乗せされるものもある。そのため、在庫管理と記録は毎日行う。
「悪いが、私からカウントを始めて貰えないか。急いでるんだ。もう片付けも終了している」
業務の記録の催促をしてきたこの方・・・。彼が四月担当の《卯月》さんである。
「はい、じゃぁ卯月さんから始めますね」
すぐさま返事をしてカウントを始める。
「完成品が28個、材料在庫があと130個分ですね。はい、ご確認ください。問題なければサインして頂いて、データ変更不可の決定ボタンを押してください!」
私はタブレット端末の画面を見せて確認を促した。卯月さんが確認後、サインと承諾のボタンを押して、彼の順番が終わった。
「先に失礼」
言って、颯爽と工房を去って行った。
彼は仕事が終わるとすぐに帰る。確かに敷地内に住んでいるわけではないので他の方と違って彼だけは”通勤時間”と言うものが発生する。それはわかるが、今日は如月さんが体調不良で色々と少し時間が押してしまった。確かに子供じゃないんだから体調不良は自己責任って言いたいのも十分にわかるが、たまにいるよねこう言う人。別に心配しろって言ってる訳ではないが、仕方ない事や場面だってあるし、そもそもこの業務は突発的な業務や納期が極端に短い案件などはあまり多くない。普段からみんな黙々としっかり仕事はしているが切羽詰まったりギスギスしたりすることはまずないのである。12月は1月の初詣向けに少し多めの納品を希望されていたけど、それだって先月の話だし、今月はいつもと同じように今のところ特に問題もない。何を一人だけいつもいらいらセカセカと・・・
「ごめんね結ちゃん」
よほど私の思うことが顔に出ていたのだろうか。弥生さんが謝ってきた。さっきの如月さんの時もそうだけど、本当頂けない、私のなんでも顔に出ていそうな所。
「そんな!弥生さんが謝らないで下さいよ!これは卯月さんの事ですから!」
「卯月腹たつよね」
弥生さんが笑いながら言う。しまった、卯月さんに腹を立てたことはバラしてしまった。
「まぁ、すみません正直に言うと日々少しずつ積もることがございましてね」
「俺が知らない所でも色々あるんでしょ?今度話し聞かせてね?」
今度話"聞くよ?"ではなく、”聞かせて?”な所に本当に優しさが溢れている。もう信じられないなんでこの人はこんなに優しいのだろう。そして、なぜこんなに優しい方があの自分勝手な卯月さんと
双子なのだろう。
「世の中ってよくわからないですよね」
「結ちゃんどうしたの?」
丸いメガネをかけた弥生さんが綺麗なレンズの奥の綺麗な瞳で、不思議そうに私を見た。