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一年が十一カ月しかない君たちへ   作者: 杉崎 朱


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三章:弥生の君へ エピローグ


「二人揃って?」

「二人とも選ばれたのね」

「すごい事だなぁ」

「大変な事もあるかもしれないけど、ある程度の幸せが約束されたようなものね」

「幸運な双子だわ」




俺の隣には、同じ顔をしたもう一人がいつもいた。

そのもう一人と、親や祖父母が口にする言葉をよく聞いていた。自分達はとても幸運なのだと。

何をもって幸運なのかはわからないが、確かに、幼少期から苦労をあまりしてこなかった。

お金のない家庭ではなかったし、友人にも恵まれた。自分で言うのもなんだが、友人は多い方だと思う。もちろん、全員と付き合いが深いわけではない。でも、気軽に声をかけてもらえる方だとは思ってる。


理由もわからずに、『幸運な双子だわ』と言われ続けた言葉を疑いもせずに鵜呑みしてきたからだろうか。きっと他の人から見たら悲惨だと思われる出来事もあったかもしれない。しかし、俺は自分が気にしないのなら他人に何を言われても良いと言う考えだった。能天気とはこう言うことなのかなと今では思うこともある。



うちの両親は教育熱心というか、俺達子供によく関心を向けてくれてとても良い親だと思う。学校であったこと、困っていること、自分が感じていること、そういった事をよく聞き出してくれた。その行為のおかげで、自分が何を考えてどうしたいかなど、周りにただ流されて生きるだけでなく、自分の意見を自分で理解してなお周りに合わせて生きる事ができるようになった。自我がある分、我慢も多いのではと思うかもしれないが、それはちゃんと自分で折り合いをつける。どうしても他人に合わせなければならない時には、仕方なく合わせる。その後、または後日に自分が本当にやりたかった方法でやったり、自分がしたかった事をしたり、自分が行きたかった場所に行ったりをする。

他人と生きているのだから、人と合わせなければならない事場面なんて山ほどある。

それを、ずっと我慢し続けるのは無理だと俺は考えている。だからこそ、我慢した後には、我慢しないで良い事を自分自身でする。自分の事は、自分でする。

それが自分が幸せになる一番の近道だと思っていたし、実際俺自身はそれが早くて満足度も高かった。


以前、友人から聞いた例え話がある。

『オムライスのケチャップ幸せ理論』だ。

オムライスにかけるケチャップのベストの量はその人本人にしかわからない。

たくさんかけることが好きな人もいれば、ご飯がケチャップ味なのになんでまたかけるの?という人もいる。

もうちょっと多くかけてほしいな。これじゃぁかけ過ぎだよ。そう、人のケチャップの適量は人それぞれなのだ。

それを、人にかけてもらって、多い、少ないととやかく言うよりも、自分でやった方が早いし一番良い好みの量をかけることができる。

自分の幸せは、自分の心を一番汲み取れる自身の手で作り出すのが一番良いのだと。


確かに、一理あるなと思った。





しかし、ケチャップほど簡単に匙加減でどうにかなる事ばかりではない事に直面した。

それが、『神代』である。

他の神代に聞くと、自分が神代だと聞かされたのは年齢が二桁に達してからが圧倒的に多かったらしい。最近話した睦月は、聞かされる前からなんとなく自分で神代だと気づいたらしい。けれど、神代が何をするものかはその少し後に知らされたみたいだ。

俺と片割れの卯月が、自分達が神代だと聞かされたのは、8歳の時だった。


俺達の直系尊属には長らく神代がいなかったらしい。神代が良いか悪いかは人それぞれだが、長らく生まれなかった家系に神代が生まれたとなると、何か良い事があると両親と祖父母は考えたらしい。そもそも、神代として産まれた時点で忌み嫌われなくて良かったと思う。だからこの時点で幸運なのだ。

しかし、成長と共に俺の隣の片割れはそうは思わなかったらしい。



8歳など、まだサンタクロースやおとぎの話が現実にあると信じている子供だっている年齢だ。そんな幼少期に俺たちは自分たちが神代だと聞かされた。さすがのお気楽能天気の俺も、このときばかりは少し考え込んでしまった。

『プロスポーツ選手や、大きな夢と目標を持つ子は、小さいときからひたむきに頑張っている子が多いと思った。神代になることは避けられないから、もし本当に”なりたい職業”を見つけてしまったら、それが、神代と並行して出来ない事だとしたら、幼いながらに夢を諦めなければいけない苦痛を回避したかった』そう父は言っていた。


当時は、ただただ、”なんだかよくわからないけど、親の勝手な言い分だな”とも思った。でもそれ以上怒りはしなかった。確かに、いろんな職業の話しを学校でもして、自分でも「警察官って格好いいな」「画家みたいに綺麗な風景画を描いてみたい!」「サッカー上手ければプロになれるのかな!ずっとサッカーやっててお金もらえるなんて幸せじゃん!」「飛行機の操縦ってカッコいい!あんな大きいモノを人が飛ばしてるんだ!」と色々話していた。


本当になりたいものが見つかった時、いくら能力、体力があって人より秀でていても、今の話で言うと画家以外は無理だろう。一ヶ月間休む会社員なんて雇ってもらえる訳がない。



そうか、俺は将来”神代”というものになることが生まれた時から決まっていたのか。と考え込んでいた時、結局はずっと言い聞かされていた”幸運だ”という言葉に救われた。

中学、高校くらいまでは特に気にしなかったが、大学に行き始めてからは『就職活動』がはじまる。

初任給がいくらだ、土日固定休なのか、シフト制なのか、残業代はどうなっているのか。そう言った話を周りの学生がする。そして、女子学生は特にそう言った話しをする時に不安がる子が多かった。


大学生にもなると、神代の詳細を聞かされる。境内で暮らすこと、境内の中の工房で仕事をしても良いししなくても良い。仕事をしない場合は給与は発生せず、神代金のみの支給となる。しかし、給与がなかったとて、神代金がかなりの金額だ。一流企業に就職が決まっている同級生でも同じ金額の給与の人はあまりいないのではないだろうか。


なんだ、やはり幸運じゃないか。


そう思っていた俺と、卯月は考えが違った。

大体同じような人生を歩んでいたはずなのに、卯月は神代の話しをされてから様子が変わっていった。俺と無邪気に遊ぶことも無くなった。なんなら会話も中学生に上がった頃からどんどん減っていった。

中学高校は私立の一貫校に通っていた。同じ中学高校なのに会話をしない。そして、大学は別の大学に進学した。


中学高校は、地域の中でも人気の学校だった。男子生徒からすると、数多くサポートの手厚い部活動が魅力的で、女子生徒からすると制服のデザインが可愛いと言われていた。

行事もとても多く、その行事の主導権を握り、動かしていたのは毎年の高校三年生である。生徒が自主性を持って行う行事はとても活気があり、大半の人が楽しそうに準備と当日を迎えていた。もちろんどこにでも乗り気でない生徒はいる。当学校にもそう言った生徒が一割いた。準備も当日も積極性もない生徒。それが卯月だった。


神代の話しが出てから将来の夢の話しは俺たちの間ではタブーのような空気になってしまった。なので、卯月が何かなりたい将来の夢や職業があったのかは聞けなくなってしまった。

俺は、『あの職業のここがカッコいい』『この職業はこんなことができる』など思ったことをよく喋っていた。卯月も何か気に入った職業がいくつかあったらしいが、ずっと『まだ内緒だ』と言われていた。楽しそうに、俺を驚かせようとでもしているのかと思うくらいに。


将来の話しを始めるには、俺たちは年齢が早かったと思う。まずは、好きなテレビ番組、ゲーム、スポーツとか、趣味がなんだとかそういう話しになって、小学校高学年から中学校にかけて部活動は何を入るか考えて・・・というのが周りの同級生の流れだった。俺たちは将来に真剣になるには早過ぎたのかもしれない。早くから将来を考える事が悪いことではないが。


もし、将来の話しをするのがもっと遅かったら、8歳の時に神代の話をされても、仕方ないと受け入れたかもしれない。



もし、神代の話をするのがもっと遅かったら、8歳の時に考えて夢みてた将来の夢も、小学校高学年や中学校に入って、一旦趣味や部活動に打ち込めば気持ちも薄まり、じゃあ神代でも良いかと、すんなりと受け入れたかもしれない。



『もし』なんて考えても仕方がない事だけれど、タイミングが違えば、今はもっと違う兄弟関係だったかもしれないと思ってしまう。


何が言いたいかというと、卯月は、神代を告げられた時期と、夢を本気で目指し始めた時期が一緒で未だ拗らせているのではないかという事だ。確かに、同じ家で育ってこそいるが、小学校も中学校も高校も暮らすが一緒になったことはない。俺たちの時代か、学校の方針か、双子が同じクラスになったという話しを聞かない。

別々の教室にいる時に、違う価値観を身につけたのかもしれない。


よく、”双子は考えがシンクロするんでしょ?”などと聞かれる。他の双子は好みが似てたり考えが似ているのかもしれないが、俺たちは違った。好きな食べ物も違えば、好みの女の子も違う。何を考えてるかなんてカケラもわからない。そう、卯月は双子で一緒に産まれたとて、別の人間なのだ。一緒に産まれた”片割れ”ではあるが、俺の半身ではない。やはり別々の人間だ。


別々の人間だと思っているからこそ、卯月が人に対してキツい態度で接していても気にしなかった。しかし、キツく当たられた人はとても辛そうだったし、なんなら俺に文句を言ってくる人もいた。俺と卯月を比べる人もいた。比べても、別の人間だから仕方ないのだけれど。


ただ、卯月と関わらざるを得ない人もいる。今で言えば、境内にいる人は接触を避けることはできない。家は境内の外にあるが、卯月は仕事に毎日境内の中の工房に出勤してくる。神代や、神代の家族、あとお世話係が迷惑がっているのを見るのは流石に心苦しくなった。境内にいる人間は、どれほど卯月と接点を持ちたくなくとも”持たなければならない”距離だからだ。おまけに数年前に突然現在の奥さんと結婚をしてしまった。神宮ならびに神部に大反対されたのにも関わらずだ。そして、奥さんはまた境内の中を引っ掻き回すような存在だった。


身内が周りに迷惑をかけているのを目にすると、流石に申し訳ないなと思う。特に、茉里ちゃんの前のお世話係の方は、フォローをしていたがそれでも足りなかった。見えないところで心に傷を負ってしまったらしい。茉里ちゃんだって、顔にこそ出さない人だったが、相当腹が立っただろう。彼女が直接思ったことをはっきりと言える人でよかった。思ったことをはっきりと言う事が出来て、少しでもストレスが軽減されていたならと願うばかりだ。新しく来た結ちゃんも、弱くはないが、強くもない。自分の意見を持っていて、人に優しい性格の彼女だ。きっと神代の奥さん、そして年上の女性となると対応に困るだろう。

俺に愚痴や文句、あと俺が間に入る事で彼女の負担が減ればと思って行動をしている。料理や手伝いを買って出るのも、彼女の労働環境の平和を守れればと思っている。実際、役に立ってるかどうかはわからないが。








二月二十九日








【「大丈夫だ。卯月(あいつ)だって別に敵な訳じゃない。俺たちが”未だ理解できてない”だけだ」】



今しがた、如月が俺に言った。

如月は俺より年下だ。年下と言ってもたったの一つだ。学生の時はこのたった一つの年齢、学年の違いですら凄く大きく感じるが、もう三十歳も近くなってくると大して歳の差なんて気にならなくなる。

如月をただ、凄いと思った。双子の当事者間ならその思考に辿り着く事があるかもしれないが、他人である如月に言われるとは思わなかった。小さい頃から見てきた卯月の現在は”結果”ではなく、まだ”過程”なのだと。



卯月は煙たがられている。みんな、卯月の事を嫌っていると俺自身ずっと思っていた。



【「だから、自分の身内を腫れ物だとか、嫌われものみたいに思わなくていい。弥生(お前)も卯月(あいつ)も、俺からしたら一緒だ。悪い事をしている訳じゃない」】



確かに、卯月の冷たい態度や酷いモノの言い方で傷ついた方は沢山いただろう。でも、それでも如月は悪者でもなんでもないと言う。懐が深いのか、別の方向から物事を見ているのか。ただ、双子である俺は、結局卯月の行動に何故か責任を感じると共に、”でも、別の人間だ”と思っていた。実際そうである。”皆んなに疎まれている”片割れと同じ人間だと思われたくない。とも思った。

そんな俺の負の考えを払拭してくれる言葉だった。そうか、他人でもこう思ってくれる人がいるのかと。



【「ただ、卯月の嫁さんは別だけどな」】



格好いいと思った。純粋に。

奥さんだって一緒に庇ってやれ。と思う人もいるかもしれない。けれど、俺からしたら卯月は兄弟だが奥さんは他人だ。都合の良いように考えてるだけだが、卯月と奥さんを切り離して考えてくれた事に嬉しさを感じて気持ちが楽になった。


そうだ、それで良いんだ。




ーーーガチャンーーー



念の為とは言え、今月、俺が本殿に入る時には、数年ぶりに施錠をしてもらう。

どうか、この施錠が今回役に立たない事を願います。




二礼二拍手一礼をしてその後に目の前の空間に入り座る。さて・・と唱えようとしたら声が聞こえてきた。




神代(かみしろ)の一ヶ月に感謝、お礼申し上げます」



その言葉を聞いて、ああ、この子は”仕事”としてだけでやってる訳ではない、本当に心のこもったお世話係だなと思った。





「我は、《弥生》の神代(かみしろ)。ひと月を捧げに参りました」

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