三章:弥生の君へ 五話
「どうしたんですか?何かありましたか?」
「何かどころじゃなくて!家に卯月さんの奥さんが一人で来て・・・!」
「えっ!?」
嘘であってほしい。よりによって今日卯月さんの奥さんが境内に来るなんて。弥生さんは本殿、こういう時に何とかしてくれる神在月さんは現在絶賛お見合い中である。
「今、長月さんと如月さんが止めてるんだけど、本殿に行こうとしてて・・・」
「卯月さんは?!」
「卯月さん今日来てない!結ちゃんと神在月さんが出かけた後に連絡があったみたいで、長月さんが対応してくれたんだけど、今日は休むって連絡があって・・・」
卯月さんは休みで境内に来ていないのに、奥さんだけが一人で境内に?
「でも、本殿は今月厳重に施錠してます!解錠の鍵も神在月さんしか持ってません!母家からは入れませんから外から通路のガラスを破らない以上入れません、なので大丈夫かと・・・」
しかし、本殿に入れないからと言って、奥さんをそのままにしておくのも気が休まらないだろう。あと、わざわざ夫がいない日に本殿に向かうくらいだ。何を考えているのかわからない。どうしよう、すぐに帰ったとて1時間近くはかかってしまうし、でもーーー
「ねぇ、結ちゃん、今”本殿は今月厳重に施錠してます”って聞こえたんだけど」
後ろから八重さんの声がした。
「あっ、あの・・・言って良いのかどうか、わからないんですけど、卯月さんの奥さんが境内に来てて・・・本殿にって」
「へー、電話相手睦月なの?変わってもらえる?」
要点だけ話した途端、八重さんの雰囲気がもの凄く変わった。それは、今のいままで、レストランか、手作りのビーフシチューかを楽しそうに迷っていたことなど微塵も感じない程である。そして、八重さんの両脇の秘書の男性二人の空気も刺すような鋭いものに変わった。私はすかさず電話を差し出した。
「ありがとう、ちょっと借りるわね」
美しいお顔で言われましたが、纏っている空気は全然違うものでした。八重さんも私から少し離れましたが、私も八重さんから少し距離を取りました。多分、私は聞かないほうがいいかもしれないと思ったからです。
「睦月?私、八重だけど・・・何その泣きそうな声、可愛いんだけどとりあえず映像で問題の光景を映してくれない?」
言いながら私達から離れて行った。この件って、弥生さんから頼まれてたけど、やっぱり本社の人にバレないで何とか穏便に済ませた方がよかったのかな。でも、もし万が一にでも本殿の扉を開けたり入ってしまった場合には誓約書に違反するから奥さんは神宮から出された上に結婚期間のお金を半分返納した上で監視のついた生活だ。正直私からしたら自分で勝手に決まりを破ったのだから仕方ないと思いますが、弥生さんも卯月さんその結末は望んではいない。
しかし、本殿に入り込もうとしている光景を神部の上層部の方が見てそのまま済むとは思えない。どうすれば良いのか考えようにも、このタイミングで、この状況で隠し通すのにも無理があるだろう。よし、考え変えよう。私の事ではないから仕方ない。なるようになるさ。
「心配ですか?」
私に名刺をくれた男性秘書が心配そうに話し掛けてきた。
「最初は八重さんに電話を渡した事が正解だったのか、そうじゃなかったのか考えたのですが・・・正直、私の事ではないので考えるのを辞めました。いや、神代から頼まれてはいたので、何事も穏便に済ませたかったのですが」
「恐らく、睦月は”困った時は宮守さんに聞く”という考えなのでしょう。そして、今日は宮守さんに頼った先に偶然、我々が居たのです。どうなったとて、その方の運ですよ。これで良かったのです。お気になさらないで大丈夫ですよ。八重に任せましょう。」
「ありがとうございます。えっと・・・神部さん?」
「我々三人は全員神部ですけどね」
言って、クスッと笑われた。しまった。そうだ!社長含む社長の周りは神部じゃない人もいるが、圧倒的に神部が多い。
「えっと、えっと・・」
先ほど頂いた名刺を探して下の名前を確認しようとカバンを漁る。
「大丈夫ですよ、神部が多いとは言え、初めて会った人を下の名前で呼ぶには少なからず抵抗がありますでしょう。神部と呼ばれれば、反応しますから。まあ、あっちの彼もですけど」
八重さんの方を見ているもう一人の秘書を指して、私の目の前の・・・髪の毛が赤みがかった彼、神部さんは言った。
「イエローカード出しといたわ」
代理石の上を歩いたならきっと、高く綺麗な音が響き渡りそうなハイヒールで颯爽と八重さんが戻って来た。
「結ちゃん、電話ありがとうね。このタイミングで助かったわ。神代の男ども、触ると訴えられそうだって言ってて対処もろくに出来ず可哀想だったわ」
「いえ、こちらこそありがとうございます。あの、卯月さんの奥さんは・・・」
「とりあえず今すぐ家に帰るように言ったわ。まあとりあえず境内から出てくれれば買い物しようが遊び行こうが構わないんだけど、家に帰って自分の夫に今の事を自分から報告しなさいって言っておいたわ。次は無いって言っておいたし、とりあえずこの件は持ち帰って社長案件ね。やだーまた不機嫌になるわよ社長。あ、ちなみに境内の誰のせいでも無いから結ちゃんも気にしないでね。一発アウトの大事にならなくて良かったわ」
「助かりました、ありがとうございます」
「本当、睦月の泣きそうな声可愛かったんだけど!あ!じゃあその睦月の顔も見たいからやっぱり境内にビーフシチュー食べに行くわ!」
「是非いらして下さい!パンも手作りですので!」
「本当ー!嬉しいー!」
「多分、着く頃には睦月も平常心になってると思うけどね」
赤髪の神部さんが微笑みながら言った。
「あああー!結ちゃんこんなに早く帰ってきてくれてやっぱり俺のことが心配でぇええ八重っ・・・!」
「何よ、問題の奥様追っ払ってやったのにその歓迎の仕方は」
「イエ、本日ハ御日柄モ良ク、ヨウコソ・・・」
神部の方達の車に乗って境内に帰ってきた。
私が居間に入ってすぐに皐月さんが気が付いて話し掛けてきた。そして、私に続き居間に入ってきた八重さんを見て奇声をあげたのです。
他の方は、私たちが居間に入ったら安心したような顔をして「おかえり」と迎えて下さいました。
「不甲斐ねぇ、八重、悪かったな」
如月さんが直ぐに謝った。
「だから、この件に関しては不法侵入してきた本人以外誰も悪く無いのよ。私、お腹空いたからビーフシチュー食べに来たの。みんなのご飯ちょっと頂くわね。あ、あと二人いるけど」
言いながら八重さんは椅子に座った。そしてその八重さんのそばに睦月さんが向かう。
「八重さん、あの、さっきは」
「謝るつもりならよして。誰も悪く無いって言ったでしょ」
「っ!・・・さっきは、ありがとうございました!」
多分、謝りたかったのだろうが、事前に断られた睦月さんは、複雑な思いを顔に浮かべながらも少し笑いながらお礼を伝えた。
「うん、よろしい」
「出たよ、女王様だなー」
「長月ーなんか言った?」
「いえ、何もー」
いけない、こうしては居られない。お腹を空かせたと言っていた八重さん達のシチューを用意せねば!
私は台所に向かい、まず手を洗った。鍋の蓋を開けて中身の確認をする。思ったよりも結構残ってて良かった!鍋に火をかけて、バケットをスライスしてトースターに入れた。
鍋は割とまだ温かかったこともあり、3分ほどでぐつぐつとしてきた。トースターもパンも、加熱は終わって、中で保温状態にしてある。シチューをお皿に盛り、パンもお皿に並べておしぼりと一緒にお盆に乗せた。
台所から居間へ向かうとみんなが楽しそうに話しをしている。男性秘書の二人も部屋に入ったようだ。
「あなた達、もう休憩終わってる時間じゃないの?」
「八重ちゃん、今日はあんなことがあったんだよ。ちょっと長めの休憩かこのまま休んでもバチは当たらないでしょう。心底驚いたんですよ」
「まぁ、好きにして構わないけど、そうだ、社長が文月に頼みたいことがあるんだって」
「私かい?私に頼み事なんて、多分どこかの催し物の付き添いだろうね」
「見た目的にね、ダンディーが欲しい場面でもあるんでしょ。社長の顔付きがアレじゃあね」
「・・・久しぶり・・・髪の毛の色、戻ったんだね」
「水無月、大分久々だね。元気そうで良かった。そう、戻ったは良いんだけどやっぱりこの赤みはちょっとね」
「地毛でその色って、格好いいと思う」
「いまだにみんなにはヤンキーだってよく言われてるけどね」
「前の方が・・・ヤンキーだと思う・・・っ!」
神部の方達と神代は前から付き合いがあり、みんな楽しそうに話してる。普段からも楽しそうではありますが、それとはまた違った、なんかこう心から気を許してる感じが受け取れる。二十歳前後で境内に来て神代になったわけだから、大体の方は十年以上の付き合いになるということ。会う頻度はわからないが、十年以上も同じ会社ならそれは確かに私より気心は知れているだろう。
「お待たせしました!お口に合うかどうかはわかりませんが、ビーフシチューです!」
「結ちゃんありがとう!車の中からずっと楽しみにしてたのよねこれ!」
「「御相伴に預かります」」
「んー!美味ひいー!」
多くの神代と神部の方達で今日は母家が大賑わいだ。
まるで先ほどまで、本殿に人が入ろうとしていた大事が起こっていたなど想像もつかないくらい。出来れば、毎日穏やかで、時折こんな賑やかな日を迎えて、の連続でありたい。
私達は、今日の出来事はこのまま神部の方達にお願いする事になる。でも、私の目の前でビーフシチューを美味しいと食べてくれてるこの三人は、普段の自分達の仕事に加えて、今日の突発的な出来事の対処もしなければならない。本当に大変だ。でも、私たちの生活や安定した安全な日々をそうやって守ってくれてるんだなとしみじみ思う。そう思ったら私のできる事でもっともてなしたい、つまりもっとお腹いっぱい食べてもらいたくなった。
「あ!夕飯用のポテトサラダとキッシュがあるんです!召し上がって下さい!」
「遠慮なく頂くわ!」
「キッシュはダメでしょ!!俺の卵減っちゃ」
「皐月の分全部頂戴」
「マジで鬼!!」
三月二十一日
さて、そろそろ給料日ですので、本日は神代金の仕分けを行います。
いつものように、卓に封筒を広げてお金を分けていきます。
今月も残り十日。一ヶ月本当に色々あったな。特に今月は卯月さんが関わる事があって気疲れしております。そうそう、神在月さんのお見合いですが、あの後は1時間半お話をして解散したようです。私たちは、先に車で帰ってきたので、神在月さんはお一人で電車で帰ってきました。
お帰りになってから、卯月さんの奥さんが乗り込んできた事をしっかりと神在月さんにもお話しさせてもらいました。一応、業務中は無理でも、そう言ったことが起きないようにと神在月さんは三月になってから掃除と称して見回りを兼ねて境内の入り口、玄関周りの掃除をしてくれていたようです。あと、卯月さんの奥さんのけんは神部の方が現在も検討中です。
そして、気になるお見合いの行方ですが・・・。
お見合いの結果はなんと、その場で不成立が決まりました。不成立の方向で意気投合をするという事に驚きました。
遠目から見た女性は、とても品が良く、流石、神社の方!と私はウキウキしていたのですが、どうやらその見た目や教育はお家の方針で仕方なく受け入れてきた様です。一応縁談が来たから受けざるを得なかっただけで、ご本人としては、まるでかしこまった性格でもなければ、自分が神代の嫁になるなど”恐れ多い”のが半分と”面倒”そうが半分だそうです。とても正直過ぎるくらいの本音を言ってくれたと神在月さんは話しております。
今までのお見合いでは取り入るように女性からのアプローチが激しかった分、今回のお見合いはそれはそれで楽しかったようです。
しかし、来月以降は弥生さん、水無月さん、如月さんのお見合いがまだ控えております。もしかしたらこの中のどなたかがご結婚されるかも知れない。特に水無月さんは消極的に見えても意欲はあるのでもしかするともしかするかも知れない。朝食と夕食を共にする人数が減ってしまうが、お昼は一緒に食べるし、なんなら結婚しても境内にはいるであろうから毎日会える。結婚したからって距離が変わることはないのである。
なので、私は独身の神代の方がご自身の幸せを考えて、ご結婚されるならそれはもう大賛成なのです。
色々考えながら一人でお金を数えると間違う可能性があるので、再度チェックします。二重チェックは大事です。そして、数え終わったら金庫に入れておきます。
消耗品の買い出しは昨日行った。最近境内の掃除は神在月さんがやってくれてる。月末の本殿の掃除と備品も揃えてある。あ、庭の桜の木に蕾が沢山出来てたな。そろそろ咲き始めるかも知れない。そうしたら四月は上旬にはお花見ができる!
「ピー、ピー、ピー」
洗濯機が、脱水終わりを知らせる音がなった。
「よし、干してくるか!」
「なになに!?今日のお昼ご飯?!え!ラーメン!?」
「・・・すごい、スープから作ってる・・・」
「これはまた・・・そろそろお店でも始めるのかい?」
昼食に母家に来た神代達であったが、食卓に品数が少ないと思ったのか台所へと覗きに来られました。
今まで作ったことがなかったラーメンに驚く皐月さん。そして、スープを手作りしたことに驚く水無月さん。全体的に家で見た事のない光景に驚いた文月さんの順に思ったことを口に出されてます。
「スープは煮込んじゃえばいいんですけど、麺は一人前ずつ茹でると手間がかかりますからね!今日は人数が少ないのでラーメンにしてみました!」
本日は、三月も下旬。そうです、お子さんがいらっしゃる神代の大半は卒園式や卒業式でお休みです。独身勢と、今年は卒業しないお子さんのお父さんの文月さんを含めて神代は7名のお昼ごはんです。
「お昼にラーメンってなかなかしないからね、若い時は夜に飲みに行った後シメに食べてたこともあったけど」
長月さんが懐かしむように言った。
「飲みの後のラーメンって最高に美味しいですけど、罪悪感も最高ですもんね。夕飯に食べるのもその後動かないのでカロリー的にちょっと怖いので人数の少ないお昼の今日にしてみました。本当にオーソドックスに醤油味です!」
神代が徐々に母家に集まり始めたので私は麺を茹で始めます。
「さ!茹でてますよ!トッピングしたらすぐ持っていくので準備してて下さいね!」
口の広い鍋にお湯を沸かしておいたので、すぐに麺を投入する。生麺を仕入れました。ほぐしながら、網の中に入れます。でも、網の数が三つしかないので三回に分けて茹でます。
中太の麺なので、少し時間をおきます。その間に、ずらっと並べたラーメン丼ぶりの中に、醤油がメインの合わせ調味料と胡椒を入れます。そして、先に茹でている麺の数の分だけどんぶりにスープを注ぎます。
そうしている間に茹で上がった麺を湯切りします。
順番に器に入れて麺を少し整えます。整えたら次の麺をもうお湯に投入しておきます!入れたら次は先ほどの麺の入った丼ぶりにトッピングをします。
海苔、メンマ、は流石に既製品です。煮卵は昨日からタレにつけておきました。そしてみじん切りにした玉ねぎをどっさり乗せます。
「よし!完成!」
取り急ぎ完成したラーメンをテーブルまで運んでまた戻ってくる。
そして、麺をゆがき、また丼ぶりにスープを入れて同じことを繰り返す。六つテーブルに運んで、あとは残り二つ。自分で作っておきながらこれはとても美味しくて、本当にお店でも出せるのではないだろうかと謎の自信が湧いてくる。
最後二つを持って行き、待っていた如月さんに渡す。
「頂きます」
「お先にいただいてまーす!」
皆さん、口々に『美味しい』、『美味い』と言ってくれて安心しました。お店で食べるわけじゃないから、多少は見逃してくれてるのかも知れません。しかし、それにしても本当に煮卵の色艶は誇ってしまうほど美しく出来上がりました。では、私も伸びないうちに頂こう。
「頂きます!」




