三章:弥生の君へ 一話
”一年が十一ヶ月しかない”人たちがいる。
彼らは一年の内、決められた一ヶ月間を神に捧げている。
それは、この惑星のため、この日本ため。家族のため。
何もせず、意識も特にはっきりとしない、ただただ、一ヶ月間ある部屋でただ”存在”し続けるのである。
そんな”一ヶ月”少ない一年を過ごす彼らと、その家族のお世話をする”世話係”とのどこにでもありそうなどこにもないお話。
《神代》が住む《境内》は広く、敷地内には母屋と本堂と神代の住む離れの他にも大きな庭と池がある。春夏秋冬、どの季節も楽しめるように様々な木々や花がある。神代を非常に丁重に扱っていた時代があり、その時代に備え付けられた。境内から出なくとも、四季を楽しめる様にと。大事な神代に何かあってはと境内から出させない様にしていた時代の産物だ。その植えられた樹木の中でも一際大きく育ったのは桜の樹である。境内入り口から一番奥にある池の近くに育った桜の木は、春は沢山の桜を咲かせては花びらを池に落としていく。境内の中で豪勢なお花見ができるのである。
三月一日
「再来月さ、俺が本殿に入る時、みかん持って入ったらそのみかんは一ヶ月後はそのままでしょうか?!それとも腐っているでしょうか?!」
「やってみろ。素手でな」
「素手でやる勇気ないわー却下だねーだめかー」
儀式の時、”一ヶ月間時間が止まっている神代”が”持っているモノ”の時間が進むのか止まったままなのか検証したいと皐月さんが言い始めた。如月さんは、止めはしないものの素手でやれと言う。私も、なに馬鹿なことを・・・と最初は思ったのですが、ちょっと興味が湧いてきてしまった。
「じゃあ、結ちゃんに小さい糠床を作ってもらって、それ持って入るのは?!」
「そこまでやったらバチ当たりそうだな、流石に」
「ちぇ〜」
皐月さんの新しい提案に、神在月さんが言った。
朝食をまたワイワイ言いながら皆んなで食べております。皐月さんは、如月さんが本殿にいた間は少し、本当に少しだけ元気が100%から80%くらいに出力が落ちたかなと思いましたが、それ程心配する事もなく過ごせて良かったです。如月さんも戻って、今は弥生さんが本殿です。私の推し、癒しが一ヶ月間監禁状態です。
三月に入ったけれど、まだ寒い日が続いております。
例年、三月の終わりには桜の開花宣言がテレビで流れ始めて、四月に入るとどんどん各地で桜が咲いている映像が流れ始める。去年も私がきた時にはちょうど桜が沢山咲き始めた頃だったのだけれど、入社したばかりの私は毎日の業務に追われてゆっくり楽しめなかったからなぁ。
境内でイベントをやり始めたのだって、七月の七夕からだ。今年はお花見と、五月の端午の節句。
六月はイベントというか神事で一日から三十日まで一ヶ月間かけての《夏越の大祓》もちゃんとやりたい。今までもずっと神代がやってたからと、昨年の夏越の大祓は文月さんと長月さんが準備をしてくれた。今年は私もちゃんとお手伝いします。六月以降の七月からは昨年と同じだ。
「沢山桜の花が咲いてくれると良いなぁ」
事務仕事をしながらボソッと呟いてしまった。いけない、そんなぼんやりとしている場合ではないのだ。先月の数字が確定をした今、経費の計算を早くせねば。そして、消耗品の確認と、献立を考えて買い物に行かなければ!ひな祭りのメニューも再度少し直して買うものが確定した。魚などの生物は当日買いに行くが、それ以外のものは今から買っておかないと。先月の節分もそうだったけど、月初のイベントって大変だな。主に私のスケジュールがだけど。
ひな祭りの参加は、家庭を持っている神代の方の参加が多い。まぁそもそも”ひな祭り”という桃の節句は、《女の子の成長と健康を願う》ものですから。
対象の女の子は、境内には現在ひとり。師走さんの下のお子さんが今年14歳の中学二年生です。あ、来月からは中学三年生です。今回師走さんのご家族は皆さんでご参加くださるそうです。
基本は男女関係なくお子さんに向けて”季節の行事”、”節句”を体験して貰いたいという私の考えで行ってます。
「料理と、後、お花も飾らないとねー。飾りか、飾り・・・飾り・・・」
なんか大事な事忘れてないか私・・・?
料理と、甘いお菓子と、桃の花の飾りと、なんか寂しくない?ん?
なんだっけか?なんか他にもあったような気がするのだけど思い出せないな。取りあえずちょっと休憩がてらにココアでも飲んじゃおうかと思い、台所の冷蔵庫に向かう。
「あ!結ちゃんちょうどよかった!」
居間を通った時に、葉月さんが玄関からやってきた。
「あれ、どうしました?」
「それがさ、今妻がね、市役所に書類を出しに行こうとしてたんだけど、印鑑捺さなくちゃいけなくて」
「朱肉ですか?」
「そう!貸してもらっても良いかな?三日くらい前に次男が遊んで水に浸けちゃったからもう使えなくて」
「それは・・・つけた後何もなかったなら良いですけど」
「そりゃそんなことする男の子だもん。水つけた朱肉持って、水滴こぼしながら走り回って大惨事だったよ。で買うの忘れててさ、本当申し訳ない」
「いえいえ、そんな大丈夫ですよ!持ってきますね」
私は一旦戻り朱肉を手に取り戻った。
「どうぞ!」
「ありがとう!助かります!」
「葉月さん、上のお子さんは来月から中学校ですね!」
「そうなんだよ!なんかあっという間に大きくなっちゃってさー。割と子供といる時間は長く取ってる気ではいるんだけどね、それでも早いなって思うよ」
「一番下のお子さんも生まれたばかりだから、本当に楽しそうですね」
「うん、毎日賑やかだよ。さっきの通りで次男が暴れん坊だからね。長男がすごくしっかりしてるのは助かるんだけど、なんか家事の手伝いとか下の子供の面倒見ばっかりでなんかもっと自由にさせてあげなくちゃなって思ってはいるんだけどね」
「自主的に手伝ってるなら良いんじゃないですか?中学校入ったら部活とか、友達と出かけるとか、楽しい事率先して見つけてくれると良いですね」
「うん、本当にね。あ!じゃあ朱肉お借りします。ありがとうね」
「はい、いってらっしゃいませ」
そうか、来月中学校に入学ということは、今月は卒業式があるわけで、そうするとひな祭りが月初でよかったかな。あ、そういえばひな祭りの大事そうな事忘れてるのなんだっけ?
「結ちゃん、腰痛い。湿布貼って!!」
玄関から長月さんが大きな声を出している。湿布を持って玄関に向かってみると、床で横になっていた。
「長月さん、ちゃんと体は動かした方が良いですよ?今度一緒にストレッチでもしますか?」
「うん、頼みます。もう無理、重いもの持てない」
「どんな体勢で作業してたんですか」
「ごめん、ダメって言われたのに癖で足組みっぱなしだった」
「あ、そうだ長月さん」
「何?あ、うつ伏せになるね?」
「ひな祭りと言えば?」
「え?!今?!え?ひな人形じゃない?」
「あーーーーー!それだ!!」
主役級を忘れていた。
「確か、倉庫にあるって書いてあったけど・・・」
境内の中、母家に近いところに倉庫があります。割としっかりとした造りの倉庫です。倉庫には四月に来てから一回見た以降、初めて入ります。
昨年は季節人形は何も出していない。昨年の三月の時は私はまだいなかったし、五月人形も出していない。六月の夏越大祓も神代たちがやってくれた。七夕は境内の笹を母家近くに置き、短冊を子供たちに書いてもらった。節句はそのくらいで、九月九日の《重陽の節句》は母家の夕食で菊酒と栗ご飯や栗の料理を食べるだけだった。この間の正月も、飾るのは、境内の入り口に神代の皆さんが作ってくださった大きなしめ縄飾りと頂き物の門松です。門松は神社から毎年頂くようです。そして、小正月が明けたら、仕事の納品時に一緒に持って行って下さいます。
昔ながらの倉庫ではなく、本当に最近の倉庫です。母家が日本家屋なため、「倉庫」とか「物置」などと聞くと蔵のようなものを想像しますが、空調設備のついた良い倉庫です。
倉庫内に多少の埃は溜まっていますが、湿気が酷い、カビ臭いなどは一切ない。流石年中無休の空調管理。とりあえず一つ手近な箱を開けてみたら、あの実家の季節人形の箱を開けた時みたいな少し湿った方な匂いだったり、押し入れのような匂いはしない。その為、人形も保存状態がとても良い。
とてもわかりやすく、ちゃんと段ボールに入れた状態で、しっかりとまとめられている。紙でどの季節人形かを書いて貼られている。しかし、茉里ちゃんの字ではないのでその前のお世話係の方だろうな。助かるなあ。
さて、どれがひな人形だろうか。一番奥にあるのが”五月人形”。との隣があ、あった。”ひな人形①”。
ひな人形①?
あぁ、こういう家だもの。多分、それなりに大きいひな人形なんだな。さらに隣を見た。
”ひな人形②”
”ひな人形③”
”ひな人形④”
”ひな人形⑤”
そして最後にはひな人形を飾る階段だ。
待て、待て待てこれ大型は大型でも大きすぎないか?私より大きいぞ!!
階段の横に貼られていたシールを見て念の為にサイズを確認する。私より大きいのは既にわかっているけど!
《横幅127×奥行152×高さ182cm》
こんな大きいひな人形テレビでしか見たことないぞ!なんでこの家にはこんなに大き物があるんだ!昔は女の子がたくさん居た時期でもあったのだろうか。
「台車持ってこよう・・・」
他の人形が入っている段ボールは小分けになっているだけあってまだ運びやすい。が、しかしこの階段はあまりにも大きく流石に持って母家まで行くんのはしんどい。重い品物を買ってきた時用の台車を取りに母家へと戻った。
昼食の支度があるので、全部は運び切れないが、まずは土台となるこの雛壇だけでも運んでおかないと。と、巨大な階段だけ運んだ。中身があるものではないので、斜めにしたり、母家に入れるときには倒すようにして家の中に入れた。飾る部屋が、雛壇を入れた縁側のすぐそばで本当に良かった。
雛壇の位置だけ決めて、昼食の支度に取り掛かる。
今日の昼食はグラタンです。昨晩から少しずつ仕込み始めて、朝食と一緒に完成をさせた。なので、温め直して器によそってチーズを乗せてオーブンで焼き色をつければ良いのだ。一緒に食べるのはバケットとサラダです。
幸い大きいオーブンなので、2回に分ければ全員分焼けちゃいます。
さて、ご飯を準備して、ちゃんと休憩をしたら午後はひな人形を運ぶぞ。
グラタンのいい匂いが台所から居間にも流れた頃、神代たちが食事にやってきた。
「あ!いい匂いだー!チーズが焼けた香りがするー!」
皐月さんが一番乗りだ。
続いて如月さんが入ってきて私にノートを手渡した。これは業務連絡みたいなもので私が今朝渡したものです。
「え?もう読まれたんですか?」
「ああ、夏休みの宿題の絵日記かと思った」
「な!そんなに幼いクオリティーだと・・・!」
「違ぇよ、毎日毎日書かせて苦労かけたな」
「あ、そう言うことですか」
なんともわかりずらい。
「あ、ひな壇だ。去年茉里ちゃん出さなかったから二年ぶりだ・・・」
水無月さんがボソッと囁いた。そうか、茉里ちゃん去年は出さなかったのか。でも、一昨年まではちゃんと
出してたんだ。偉いな。
「うちの子が、一昨年までこの時期は母家に来てたよ。立派なおひな様だって喜んでた。ここに住んでる女の子はうちのしかいなかったからね。今年も見にきて大丈夫かな?」
師走さんが台所の私に向かって微笑んだ。
「もちろんです!もうそれはそれは独り占めしてください!」
「ありがとう。周りに女の子がいないから、ずっと自分のものだと思ってるよ。人に自慢したいっていつも言ってた。友達が呼べないのが残念だって言ってたよ」
神宮家全体のひな人形ではあるが、今の子供世代に女の子は師走さんの家の女の子しかいない。そんな状態、ひな人形貸切状態である。自分のものではないにしろ、ひな人形を飾るのは”現在”居る女の子に向けてである。と、すると、自分の為だけに飾ってもらってものと思ってもらっても我々大人たちは良いのです。
「そっかぁ、そういえばお子さんも友達連れてきちゃいけないですもんね」
高さ180cm以上もある巨大なひな人形だ。自慢というか、滅多にお目にかかれないサイズなので、人に見て驚いた顔を見てみたいのが正直なところ。きっと、師走さんの娘さんも同じようなことを一回は思ったに違いない。私だって、誰かに見てもらいたい。
「別に子供なら入ってもいいんじゃねぇのか?言われたことないし」
神在月さんがキョトンとした顔で言った。
「いやいや、やめておきましょうよ、どっから情報が漏れるかわからないですから」
婚姻の際の女性側への誓約書を見てわかる。怖い、本当に怖い。何が怖いって、情報漏洩とか離婚の際には監視が付くって書いてあったよ。監視って何よそれ。神部の会社から人を出すんでしょうけど、それにしたって怖いです。それって犯罪じゃないの?あれ?犯罪にならない為の誓約書?じゃあ子供がうっかり何か知ってしまったらその子はずっとどこかからいつまで監視をされるのだろうか?
「そうか?俺は別にいいと思うけどな。結構みんな遠慮して誰も連れてこないよな。まぁ、誓約書みたらむやみに子供に”友達連れておいで”って言えないか」
「下手したら牢獄に誘い込むようなもんだからな」
「如月言い方。間違ってはないけど本当言い方ね」
如月さんが”牢獄”と言ったことに対して長月さんが咎めた。言い方だけ。
「え〜俺、女子中学生のパーティー見たかったなぁ」
「万が一そうなっても、皐月さんは外出してもらいます」
「結ちゃんそれって嫉妬ってこと!?」
「神代から犯罪者を出さない為です」
「酷い!!」
三月三日
ひな祭り当日です。
結局、独身の神代も一緒に、全員で食事をすることにしました。
なので、とても賑やかです。食事の準備の量もものすごく多かったのですが、水無月さんと神在月さんが手伝ってくれました。
「あかりをつけましょぼんぼりに〜!」
夕方には、師走さんのお子さんが二人揃って一番最初にきてくれました。ひな人形が久々に見れて嬉しいと娘さんからお礼を言われました。頑張って出して良かった。
年子の兄弟だけど、顔がよく似ていて双子みたいに可愛いんです。でも、上のお兄さんは、ここで中学校を卒業して来月から高校生になります。去年初めて会った時から、少しずつ大人の男性っぽくなってきました。
「おはなをあげましょ、もものはな〜!」
続々と人が母家に来てくれては、徐々に賑やかさと暖かさが増していく。こういうイベントって苦手な人もいるけど私は好きだなと改めて思った。でも、宴会後は人が少なくなって寂しいんだけどね。
「ごーにんばやしのふえだいこー」
なのに
「きょーおはたのしいひなまつりー」
さて、食事をみんなで頂こうかと支度を終わらせて居間へ来たら、ここにいるはずのない、小さな女の子が視界に入り、私の時が一瞬止まったのである。




