二章:如月の君へ 五話
二月二十六日
「毎度の事ながら人が多いな」
電車を降りた途端、うんざりとした顔で神在月さんが言った。
私と神在月さんは現在、本社に向かっている途中です。車でも良いのですが、電車の方が圧倒的に早いのです。
「まぁ、都心なので仕方ないですよ」
「結は慣れてるな」
「一年前までは学生だったので、渋谷とか新宿とかよく遊びに行きましたもん」
「遊ぶねぇ。この年になると遊ぶってなるとなぁ」
「あ!そうだ。有給を取ってくださいね!ちゃんと遊んでくださいね!ゆっくりしてもいいですけど」
「まぁ、ちょっとは考えてる。この年になるとなぁ、周りはキャンプとか行ってるらしいけど」
「キャンプいいじゃないですか!」
「自然の中で飯食うなら、しょっちゅうやってるしな。焼き芋とか、この間もピクニックみたいなもんだろ」
焼き芋とマシュマロ焼きとバレンタインのお茶会の事か!!あれはキャンプとかキャンプ飯だとかそう言うのと比べると違うんだけどまぁ、変わらないって思う人もいるかも。なんだ、有給チャンスを潰したのは私か。自分で自分の首を絞めるとはこう言うことなのだろうか。
「あ、そういえば今日も用事は報告ですか?」
「それもあるが、呼ばれた」
「どなたに?」
「事務からの電話で来いって言われただけで呼び出し人が誰かは言ってくれなかったんだよなぁ」
「そんなことあります?」
「まぁ、本社の人間も、俺らの事を大して説明されてないんだ。身内の筈なのに、よくわからない”部署”への説明なんてそんなもんなんじゃないのか?」
「まぁ、母体側からしたら謎ですよね。私たちって」
都心に本社を構える私をたちの会社は、”神代”だけの為の会社ではないのです。
その為、事業目的もあまり明らかにされていない謎の部署が会社に一つ存在している。と、一部の社員だけが知っている。一般社員には部署の存在を公にしていないらしいので、大方、社長直下の従業員の方、”社長室”からの連絡だったのだろう。
そんな事を考えている内に、本社ビルの前に着いた。近くに何棟かある高層ビルと同じくらいの高さ目の前のビルは、一棟丸々私たちを雇用している会社です。社員の数は数万人。サービス業のアルバイトさんを含めるとさらに物凄い人数です。これほど大きな会社で管理されているからこその、あのお給料や神代金です。
「すみません、多分社長あたりから呼ばれてる《神宮》と言いますが」
大企業の受付に、時間も呼んだ人の名前もわからず、こんなにざっくりと入ってくる人はいないだろう。隣のスーツの男性なんて、時間と打ち合わせ相手の部署、課、役職、指名。それと、自分の企業名と名前を名刺と社員証を見せながら言ってるのに。
受付の女性が、ざっくばらんなアポイントメント情報を言い始めた神在月さんを見るなり、とってもにこやかに微笑んだ。ちょっと食い気味姿勢で話しを聞く。そして、来社リストだろうか、そのリストを見ていたが、視線を別のところにずらした。そしてその後に”あっ”という顔をした。神在月さんの名前はリスト外のVIP扱いなのだろうか。
「はい!神宮様ですね。伺っております。ご案内致します!」
「社長室?」
「はい。左様でございます」
「じゃぁ行き方も場所もわかるから案内大丈夫。手間かけさせられないし。ありがとう」
そして、社長室なら行き慣れている為、案内を断った神在月さん。受付の女性が一瞬、とても残念な顔をした。多分、好みの顔だったんだろうな。
「いえ!お客様をご案内もせずになど失礼な事は出来ません。お分かりになるお部屋でも、ご案内させて頂きますね」
すごい、めげないよこの女性。本当は社外のお客様ではないから勝手に行かせても別に良いのですが、とにかく圧がすごい。花のように微笑んで受付から出て先導し始めた。
「本日は寒い中お越し頂きましてありがとうございます」
「あぁ、本当寒いな。ここはあったかい受付で良いな」
「はい、非常に快適です。あの、社長の神部は現在、会議中でございまして、20分程で戻る予定でございます」
「そう、あ、俺ら時間は決めてなくて勝手にきただけだからお構いなく」
エレベーターに向かう途中、神在月さんが言った「俺”ら”」と言う言葉で受付の女性が後ろを振り返り私を見た。そこで、初めて私を認識した模様。一瞬まぶたが大きく開き、驚いた事が見て取れる。ずっと居たんですけどね。
「エレベーターホールはこちらでございます」
何事もなかったかのようにエレベーターホールに案内され乗り込み、随分と上がる。
ーーーーーチン
目的の皆、社長室のある階に着いた。
まずは社長室の隣の部屋に案内され、待つように言われた。その間、飲み物を出してくれるようなのですが、受付の方と聞いたことのある声が話している。
「貴方受付の方よね。ありがとう。あとはこちらでやるから大丈夫よ」
「いえ、秘書課の方はお忙しいですので、私がお茶出し致します」
「大事なお客様だから、もう大丈夫よ」
「大事なお客様に受付がお茶出ししたらいけないんですか?」
「お茶出しは受付の業務じゃないでしょ。しなくて良いって言ってるの」
「臨機応変にですよ、お忙しい秘書課の方のお時間をお茶出しなんかに使ったら勿体無いですよ?」
「貴方今、お茶出し”なんか”って言ったわね?」
すごい、一気に不穏な空気が流れ出した!!
このやりとりは隣の給湯室で行われている。その為、私と神在月さんには聴こえているのだ。
「良いじゃないですか、素敵なお客様にお茶出ししたいんですー。そもそも秘書課だけずるいんですよ。私たちは案内っていう限られた時間だけしかお客様と接する事ができないのに、部屋に案内されてからお茶出しと言ってはお客様とお話しする時間が出来て、あー良いですねー」
「あのねぇ、私が言ってるのはお茶の事をお茶”なんか”って言った事よ。貴方の男漁りはこの際聞き逃してあげる。お客様にお茶出しするのがどれほど重要な事か分かっていないようね。良いわ、今度受付社員に特別講習としてお茶の淹れ方を叩き込んであげます」
「そういうの要らないです」
「お茶の淹れ方の基礎も知らないような女性が勝手に大事なお客様に不味いお茶を淹れられちゃ困るのよ」
「お茶なんて大して変わらないじゃないですか、そもそも良い茶葉なんでしょうからちゃんとした温度のお湯を入れれば良いんですよね?」
この会話を聞いている神在月さんが隣で震えながら笑っている。良いのか、そろそろ声を出して
笑いそうだぞこの人。
「これ以上駄々こねるなら、サボってるって貴方の上長に言っておくわよ」
「わ〜、そう言うこと言うんですね。あー怖い、怖い、はーい、戻りまーす」
そう言って、私たちのいる部屋に一度来た。
「本日はご来社頂きましてありがとうございます。改めまして、私受付の坂本と申します」
神在月さんの顔だけを見て、神在月さんにだけ名刺を渡して彼女は去っていった。
「随分と神経図太い受付嬢だな!」
秘書の方がお茶を持ってきた。ゲラゲラと笑いながら神在月さんはお茶を受け取った。
「あんたのせいよ、あんたみたいな不躾な人がうちの会社に来ることはまずないから。そんな態度の人間が社長に用事があるって、友達とでも思われたんでしょ。いつもより無理矢理にでも取り入ろうとしたのよ」
美人の秘書が仏頂面で話す。面白い。
彼女は社長秘書の《神部 八重》と言う。神宮家の親戚だ。神代の件も知っている。
「いやいや!今回は八重からの電話じゃなかったからさ、誰だか知らないけど、今週会社に来るように。とだけ言われてもねぇ、俺たち神代は社会人のマナーとか解らないもんでね、悪かったよ。あの受付の子も多めに見てあげて」
「多めに見るわけないでしょ!たまたまあんたと言う内部の人間だったから良かったものの、どうせ他の会社の男の時でも似たようなことしてるわ。今日ほどでなくてもあーいうの5回目だから」
「おーこわっ。そんなんだと嫁の貰い手つかないぞ〜」
この会社は、神部家が一族経営をしている。家族経営と聞くと、規模があまり大きくないのかと昔は想像していたが、なんのこっちゃい全く正反対の大企業である。そして一族経営と言っても、直系に限らず、能力のある者なら重役にだってなれる。つまり、社長の長男だからと言って、必ず社長になれるとは限らないのです。
もし、甥の方が圧倒的に優秀なら甥が社長になることだってあります。過去にはそういった事もあったそうです。会社がよりよくなる事を考えられる人材が長になるべきだという考えの模様。
会社と一口に言っても、そこで働く従業員、そして、従業員の家族までである。他の企業では、「そう言うところまで考えたりできるならやりたいけどね、正直出来ないよ」と言う声をよく聞く。確かにその気持ちはすごくわかる。私の規模で言うと、福利厚生の一環として、夏のイベントを開催したとしよう。同日で海派と山派で意見が割れたらもうそこで片方は叶えられないのだ。主催者の私は一人しかいないから。しかし、それを実現させる、させようとする、させることが出来るものが社長になるのだと。
ごめんなさい、私の例えがとても幼稚すぎましたが、平たく言えばそう言う事です。
そんな、希望を掲げる会社の社長秘書の一人が彼女、《神部 八重》さんである。神在月さんとは年齢も近い。ちなみに今の発言でわかるだろう、未婚である。
「あんたうるさいわね!!そんな時間がないのよ!!」
「”秘書さんはお忙しいからお茶出ししておきます”の言葉に甘えた方が良かったんじゃないか?」
「お茶の講習を受けたら今後はそうするわっ!」
怒ってる。美人が怒るとこんなに怖いんだ。
コンコンーーー
隣の社長室からノックが聞こえた。
「あ、社長がお戻りよ。神在月行ってらっしゃい」
「はいよー、結、終わったらまたこっち戻ってくるから」
「あれ?はい」
私はここでお留守番でしょうか。あれ?来た意味あった?
「結ちゃんはね、ここでちょっと待っててね」
八重さんがまたも給湯室に行った。と思ったらすぐに戻ってきた。手には大きなトレイを持ち、上にはたくさんのお菓子やケーキが載っていた。
「さっ!おやつの時間よ!!!」
「わーい!!」
「なるほどねぇー・・じゃぁ次っ!長月!」
「長月さんは、昨日もお酒飲んでましたね。でも、多分家では飲んでなさそうですね。ゴミで瓶や缶が出ないので。なので、二日酔いはほとんどありません。皐月さんの方が二日酔いになってます。あ!この間は長月さんと買い物に行きました。バレンタインのお茶会の材料を買いに駅の方まで行ったんです」
「ふーん、長月がね」
「荷物持ちって言って。でも、ただの虫除けでした」
「それね、10年前は私もやらされたの」
「えー!でも、八重さんだったら逆に長月さんが虫除けになるのでは?」
「そう、双方に同等のメリットがあったのよ、当時はね。この間、長月が休みだって言うから虫除けに引っ張り出そうとしたら”もうお前に虫除けの効果も、虫除けを付ける必要もないよ”って言ったのよアイツ。今度あったら往復ビンタするって決めてるの私」
「八重さんのどこが虫除け効果と必要がないんですか?!私が禁酒命令を下しておきます!」
「よろしく!!」
「じゃあ次・・・は神在月だからいいや、霜月は?」
「霜月さんは、ご家族で甘いもの好きなので、一月の焼き芋マシュマロ焼きと、バレンタインはご参加下さいましあた。三月のひな祭りも楽しみだそうです」
「アイツ甘いもの本当好きよね。霜月、今年の春は子供二人とも小学校と幼稚園に入学でしょ?」
「はい!そうなんです!ただ、お祝いはやっぱりご家族でやるかなって思って、何か言われたらお手伝いしようかなってくらいです」
「・・・そうね、お世話係からは特に何も言わなくて良いわね。この時期で霜月有給とってる?」
「霜月さんは、昨年は夏休みにお盆とつなげてと、クリスマスに取得してますね」
「それだけか。入学準備は全部奥様がやってるのかな。まぁ霜月の奥さんも専業主婦だから多少時間に融通はきくから行政系の手続きは大丈夫だろうけど・・・うん、OK」
「えっと、師走さんは、後の間ご夫婦二人でバレンタインのお茶会に参加してくれました。お子さんはもうお二人とも大きいので、お子さんはデートだって言ってました」
「師走、私と大して歳変わらないのよね、子供が大きくてデートってワードの破壊力と言ったら・・・」
しまった、八重さんの心を抉ってしまった。
「まぁ、あの家は子供が年子だからね。大きくなるなら二人一緒だわ。あ、上の子の受験は決まった?これから?」
「決まったようです!推薦受験で志望校を受けたみたいで、一月に決まったそうです」
「そう、学校名わかったら今度教えて頂戴。データはこっちで追加しておくから」
「はい!了解です!」
「で?」
「はい?」
「一通りの神代の現状はわかったわ。ほとんど皆変わりもなく、ご家族も受験や学校生活も心配ない。ひと家族を除いてね」
「あ・・・卯月さんのところですか・・・」
「そう。如月とこの間あった時に聞いたわ。年末に無茶押し付けられたんだって?」
「あははははは・・・」
「結ちゃん優しさと頑固さが共存してるからね、売られた喧嘩は、ありがたく買わせていただきますって感じだもんね」
「すみません、ぐうの音も出ないです・・・!」
「あなたの従姉妹の茉里ちゃんなんて本当すっぱりしてたわ。あれくらいで良いんだけどね。今でもたまに思い出しては笑えるわ!
”あなたに何を言われようと、ちゃんと給与と神代金はお渡ししてます。ここに暮らしていないのに口出ししないで頂けませんか?不愉快なんですけど”ってはっきり卯月の奥さんに言ったのよ!一昨年だったかなぁ?私もその場にいたんだけどもうあの時の卯月の奥さんの顔ったら!!」
「従姉妹ながらに茉里ちゃんが怖いです・・・」
「別にね、一族の大事な神代の奥様だから悪く言いたかないのよ、誰だってさ。でも、あの奥様喧嘩を売るのが趣味みたいにしてるからね、喧嘩のバーゲンセール年中やってるの。茉里ちゃんの前のお世話係さんはさ、卯月が結婚して、娘さんが生まれる時に担当してたんだけど、本当に辛そうだったわ。そんな時に茉里ちゃんに変わったからさ、茉里ちゃんは茉里ちゃんで思うところとか嫌なところはあったと思う、本当に大変だったと思う。もっと助けてあげられたらなって思ったし、でも、茉里ちゃんだからこそこちらも助かったことは本当に多かった。口調は強いけど、心まで強いとは限らないからね。だから、結ちゃんも無理しないようにね」
「はい、ありがとうございます」
私がこの八重さんをすごく尊敬しているのは、今の茉里ちゃんの話しのように”絶対に大丈夫なんてことない”って人を思い遣ってくれる人だからである。確かに茉里ちゃんは強い。でも、強いからと言って、言われたことを全部受け流したり、気にしないってわけではないだろう。現に、茉里ちゃんはゴミの分別が苦手なことを自分で自覚している。それを指摘されたことだってあったらしい。結局その時も相手にスパッと言ったらしいけど、ただの反論ではなく、自分が出来ない、自分の非を認めた上でである。
結果、本人がその後気にしていないとしても、言われた瞬時は傷ついたりするだろう。その一瞬を見逃さないのが八重さんなのだ。
今の私にプラスして、そういった他の方をもっと思いやれるように努力しないとな。




