第4話 まだ幼女ですけどいいですか?
この世界の1年は350日で、5日間を1区切りとして、それが70回あります。
そして1区切り最後の日、五日目は休日になっています。
その休日ごとに、ヘッセンシャール公爵……フレイクさんは、メックール男爵令嬢であるわたしをデートへと誘い、それはもう今日で10回目になります。
わたしも彼とのデートは楽しくて嬉しいから、断ることができません。
もう……断れなくなってしまっています。
それほどにわたしは、彼に心を持っていかれてしまいました。
会いたい。
毎日、何回もそう思うし、願う。
声が聞きたい。
笑顔が見たい。
毎日毎日、最近では彼のことを想わない瞬間がないくらい。
わたし、ちょっとこわれてます。
今日は休日で約束もしていますから、フレイクさんが迎えにきてくれるのはわかってます。
わたしは早朝からずっとそわそわして、お母さまにコーディネートを何度も確認してもらって彼の到着を待ちました。
待ちこがれた馬車の音。
わたしは飛び上がるようにして玄関へと走り、彼を出迎えます。
「迎えにきたよ、ココネ」
そっと小声で、わたしを呼び捨てにするフレイクさん。
わたしも、さすがに呼び捨てにはできませんが、
「はい、フレイクさま。たのしみにおまちしておりました」
同じように小声で、喜びの言葉を返した。
これまで、それなりに一緒の時間を過ごし、わたしは彼を「さま付け」でだと名前で呼べるようになった。
名前を呼ばれるとフレイクさんは、とてもかわいい顔をするから、キュンとなっちゃいます。
正直なところ、わたしはフレイクさんに夢中になっているというか、自分でもごまかせないほどに恋をしています。
「この人の妻になりたい」
それが今の、わたしの本音です。
フレイクさんは優しく、紳士で、わたしを大切にしてくれる。
馬車に乗ってふたりきりになると、わたしは彼の胸に飛び込んで抱きつきました。
久しぶりの彼の香りを、胸いっぱいに取りこみます。
「あいたかったです」
自分でも驚くくらいに、甘えた声が出てしまった。
そんな自制心のきかないわたしを、フレイクさんは優しく抱きしめてくれて、
「私も会いたかったよ」
と、おでこにキスしてくれました。
おでこへのキスは子どもへの挨拶みたいなものなので、それほど特別なものではありません。
ですが彼からのキスには変わりないので、わたしはとっても嬉しかったです。
しばらくそうして抱きしめてくれたあと、彼はわたしを軽々と持ち上げて、わたしの椅子になるような形で膝に乗せてくれました。
まるで子どもへの対応です。
といってもわたしはまだ子どもなので、嬉しいですけど。
おしりが彼の太ももに当たっていることが、恥ずかしくてドキドキしているのは内緒です。
「ココネ」
後ろからわたしを抱きしめるようにして、彼がわたしの顔に顔を近づけてきた。
ちょ、ちょっと……嬉しいですけど、心臓がもちません。
と、
「ひゃうっ!」
声が出てしまいました。
だって彼の……フレイクさんの息が、わたしの耳に触れてきたから。
「ごめん、くすぐったかった?」
そ、それもありますけど……も、もうっ!
なんですかこの人っ!
なんでこんなに、いちゃいちゃしてくるんですか!?
わたしたちまだ、婚約もしてませんのに!
どう返事を返していいかわからないわたしは、抱きしめるように前に置かれた彼の腕をしっかりと抱きました。
自分の身体に……胸もとに、押しつけるように。
胸ですよ? そりゃ、まだぺったんこですけど、でも……恥ずかしくないですか?
わたしは、すごく恥ずかしいです。
それでもわたしは、彼の腕を胸もとに押しつけます。
わたし的には、前世も今世も合わせて、最大級の性的アピールです。
とってもエッチなことをしているようで、すっごくドキドキしています。
なにも、思わない? 感じない?
(わたしの幼い身体では、魅力を感じないですか?)
そう思いながら彼のお顔を見上げようとすると、彼の腕がわたしから逃げるように動きました。
(ダメです、逃がしません)
わたしは逃さないように捕まえます。
「胸、当たってるよ」
彼が囁く。
わかっていたんだ……。
嬉しいと思った。
本当に、嬉しかった。
でもわたしはそんなそぶりは見せずに、
「むね……ですか? それがなにか?」
なにもわかっていない子どものふりをして、彼の腕を逃がしません。
恋人同士って普通、こんな時間を過ごしているのかな?
わたしにはわからない。
でも今、この瞬間。
わたしはとても幸せで、彼も同じ幸せを感じてくれていることを願った。
◇
わたしが暮らす開拓村から、馬車で1時間。
煉獄の天使の湖と呼ばれるそこは、名前に似合わず澄んだ水が満ちる美しい湖です。
この湖は、ヘッセンシャール公爵領……つまりフレイクさん家の領土らしい。
ついさっき、そう教えられました。
「ここは500年ほど前、天使が強大な魔法で開けた穴だといわれてるんだ」
フレイクさんの説明を聞き、わたしは湖を眺める。
ふーん……だから「煉獄の天使の湖」なんですね。
魔法でなどと、それが事実とは思えませんが、森の中に唐突にある湖なので多少の信憑性は感じてしまいます。
綺麗な水。
わたしは湖の淵により、浅瀬の水に手を入れました。
思ったより、冷たいです。
「ここの水は冷たいだろう? 夏でも泳げないほどに冷えているんだよ。なぜかはわからないけど」
なるほど、「不思議な湖」というわけですね。
わたしは水から手を出し、ハンカチで拭います。
「旦那さま、ご準備が整いました」
湖を眺めていたわたしとフレイクさんに、メイドさんのひとりが声をかけてきました。
わたしたちのデートには、公爵家の執事さんとメイドさんが、いつも10人くらいくっついてきます。
仕方ないですけどね。
フレイクさんはこの王国に五人しかいない、公爵さまのひとりですし。
「ココネ」
フレイクさんはわたしの手をとって、
「昼食にしようか」
家人が昼食の準備してくれたテーブルへと、わたしを引っ張っていきます。
このテーブルと椅子、わざわざ運んできたのですね。
執事とメイドも大変な仕事です。
わたしはメイドさんにいわれるがまま、フレイクさんと対面になる椅子に腰を下ろしました。
わたしとフレイクさんの前に料理が運ばれ、執事さんがなにやら説明をしてくれるのでそれを聞いてから料理をいただきます。
説明はぶけないのかな? と思いますが、フレイクさんが黙って聞いているので、わたしも聞くしかありません。
なごやかに進む食事。
フレイクさんとの食事では、わたしが苦手な「苦い豆」は、一度頑張って食べて以降出て来ません。
誰かが「この豆嫌いみたいですよ?」とでも彼に進言したのかな?
それとも、彼が気づいてくれたのかな?
正直なところ、いくらニブチンなわたしでも、フレイクさんがわたしに向ける好意には気がついています。
そしてわたしも、フレイクさんに好意を抱いています。
とても大きな好意です。
初恋……といっていいでしょう。
でもわたしは踏み切れない。
彼に、
「わたしもあなたが好きです」
とはいえません。
『私は〈直感のスキル〉を持っているんです。その〈スキル〉がこう囁きました。あなたを妻としろと』
フレイクさんは「わたし」を好きになってくれたわけじゃなくて、「スキルの囁き」によって「メックール男爵令嬢」を選んだに過ぎません。
考えないようにしようとしても、それはムリです。
わたしはフレイクさんに惹かれるにつれ、「その事実」を苦しく感じるようになりました。
最初は彼の求婚を、「めんどくさいことになったなー」と感じていたわたしが、です。
彼がわたしを望んでくれているには違いないのに。
それなのに、わたしは苦しい。
彼が選んだのが「わたし」ではないという事実が、悔しい。
あぁ、ダメだ。
ダメだよ。
今はデートの最中でしょ?
楽しくお食事して、楽しくおしゃべりして。
楽しくて、幸せな時間。
大切な、彼との時間なのに。
わたしは今、どんな顔をしてる?
笑顔できてる?
わからない。
楽しいのに。
幸せなのに。
だからかな?
つらいよ
恋がこんなにつらいなんて、知らなかった。
「なにか、心配ごとですか? ココネ」
わたしはフレイクさんの声に、意識を引っ張られた。
困ったような顔を、わたしに向けるフレイクさん。
そんな顔、しないで。
わたしはがんばって笑顔を作り、でも……。
わたしには、彼の目が見れなかった。
そこに映るのが「わたし」じゃなくて、「彼のスキルが選んだ女」であることに、耐えられなかったから。
「私が、悪いのですか?」
辛そうに響く、彼の言葉。
あぁ、ダメだ。
もう、ダメ。
わたしは、涙を堪えきれませんでした。
フレイクさんが、執事さんとメイドさんを下がらせる。
彼らは頭を下げて、どこか見えないところに消えた。
わたしは喉を震わせ、えずき、子どものように号泣してしまった。
だけど今のわたしは子どもだから、このように泣いても許されますよね。
わたしの鳴き声だけが、湖に溶けていく。
そして、
「……ずぎ」
涙で歪んだ声。
みっともなくて、恥ずかしい。
でも、わたしは涙まじりの声で、彼に告白しました。
「わたしは、フレイクさまが好きです。あなたの妻になりたい。あなたを誰にも渡したくありません。でも、でもっ!」
そう、でもです。
「わたしは、わたしを選んでほしいっ! 〈スキル〉にじゃなくて、フレイクさまに選んでいただきたいですっ」
涙まじりだったから、ちゃんと伝わったかなんてわかりません。
わたしがいうその〈スキル〉だって彼自身の能力なのだから、彼がわたしを選んだことには違いないのに。
なのにわたしは、納得できない。
できていない。
わたしは初めての恋に振り回されているかっこわるい女だから、かっこわるくみっともなく、自分自身をさらしました。
それしか、できなかったから。
わたしは女として未熟で、恋愛に関しては本当に幼女のような心しか持っていないから、そう思うとこれが本当のわたしなんでしょう。
こうやって子どもみたいに泣き叫んで、自分の気持ちが大切で、自分が、自分がって……。
わたしはそんな、かっこわるい女なんです。
だから、
「わたしは、あなたにふさわしくない」
勝手に溢れた言葉。
そうだ。
そう……なんだ。
やっとわかった。
この苦しみの始まり。
(この人は、わたしなんかを選んでいい人じゃない)
わたしは、わたしの愚かさを知っている。
わたしがどの程度の人間なのかを知っている。
わたしは、あなたにふさわしくない。
わたしが、ふさわしくない。
わかった。
でも、だから?
それがなに?
この人への想いは、そんなもので消せてしまえるの?
自分の考えに沈み、黙りこむわたし。
彼はその隣にきて、
「私が、あなたを……私が、ココネを欲しているのです」
真剣な声でつげた。
わたしの手を握ってくれる彼。
わたしは顔を上げ、涙でぐしょぐしょの顔を彼に見せた。
かわいくない顔だと思う。
初めての恋に浮かれ、初めての恋に沈む。
醜い、愚かな女の顔だもの。
でも彼は、フレイクさんは、
「私の妻になってください、ココネ。私のそばにいてください。ずっと、ずっとです」
どうすればいいの?
彼がなにをいっているのか、ちゃんと理解できない。
わからないの。
どうすればいいの?
彼の顔が、わたしの顔に近づいてくる。
考えての行動じゃない。
本能的な、なにか。
わたしは目をつむり、顎を上げた。
唇に、なにかが触れる。
それは優しく、だけど強く押しつけられ、触れあった場所から彼の気持ちが流れ込んでくるみたいだった。
子どもへの、挨拶の口づけじゃない。
それがわからないほど、わたしは子どもじゃなかったみたい。
(好き……です。愛してる)
彼から送られてくる気持ちが、わたしの中に溢れる彼への想い同じだと、信じることができた。
信じさせてくれるような、キスだった。
だから、思った以上に長い時間押しつけられた唇が離れると、
「フレイクさんからの求婚、お受けさせてください。わたしは、あなたの妻になりたいです」
返事は彼の微笑みと、再び送られたキスで十分だった。
わたしは、あなたの妻になります。
だけど……。
いつ?
今すぐになの?
わたしまだ、幼女なんですけど……。
でも、まぁ。
そんな疑問を確認するのは、夫となる人の唇が、わたしの唇から離れてからでもいいですよね?