御伽のの乃の災難
ツンデレとは、一体何か。
僕はこのテーマについて、ずっと考え続けていた。ツン無しにデレが成立し、デレ無しにツンが成立するのか、といったことなどを。
そのテーマを力説する度に、友人からはドブネズミを見るような目で見られていたが、それでも構わない。ツンデレについて思考することが、僕の生きる意味であり、義務だ。
──だが。そんなツンデレ論者の僕が、ツンデレについて、考えを改めなければならなくなった。そう。すべては、御伽のの乃のせいで──。
御伽のの乃を一言で表すのなら、人気者だ。いつも教室の隅で”そういう”友人と話し込んでいる僕とは違い、彼女はクラスの中心的存在、いわゆる学級委員長タイプ。
人柄もよく、他の人がやりたがらないことを率先してこなし、人望も厚い。おまけに容姿端麗であり、透き通るような金色の髪は、野郎からだけでなく、女子からも注目を浴びがちである。
「御伽のの乃、今日もかわいいよなぁ」
野郎の友人が、クラスの中の人だかりを見てそう呟く。変なことを言うな。僕まで同じ目で見られるだろ。
「実際そうだから仕方ねーじゃんよ。あれでいて人格者なんだからパーフェクトだよな!」
急に熱く語りだす野郎友達。こいつ、多分あれだな。アイドルとかにハマるタイプだな。安心しろ。御伽のの乃とお前じゃ釣り合わねーよ。
いや、僕もそうではあるが。
さて、この時は、まだ至って普通の、普通の学生だった僕は、後に、御伽のの乃と関わることになるとは、知る由もなかった。
──その後、何事もなく放課後まで時間が過ぎ、いつもの日常が終わる。いや、不満があるわけではないし、僕としては、変化があるよりも無い方が良い。無難な生き方が一番だ。
だが、無難に生きられなくなってしまった。なぜか。
漫研の活動へ行く友人と別れた僕は、いつも通りに帰ろうとしていたのだが、まだ提出していない提出物があることを思い出してしまったのだ。
省エネな生き方をするのは好きだが、不真面目でいたいわけではない。ので、職員室まで提出物を出しに行った、その帰り。
既に部活動が始まる時間なので、生徒の数は少なくなり、人もまばらだ。
そこで僕は見てしまったのだ。その先ずっと後悔することになる、
御伽のの乃の秘密を。
「全く、しっかりしてよね! 私だって楽じゃないのよ!」
御伽のの乃の声、らしいものが聞こえた。僕も別にそのまま帰っても良かったのだが、なぜかその時の僕は、知ろうとしてしまったのだ。
旧校舎の廊下。職員室に居なかった先生をわざわざ訪ねて来たのだが、人が居なくて薄気味悪い。一応部活動の部室として使われている、とは思うが。御伽のの乃と”遭遇”したのは、その帰りのことだ。
その旧校舎の職員室の横、今は殆ど使われていない用具室の中に、御伽のの乃は居た。
……一人で、猫のぬいぐるみに話しかけながら。
誰か居ますか、と言ってから扉を開けるべきだった。それを言いながら扉を開けたせいで、見てしまった。
「す、すまん。すぐ出るから」
なんて言って逃げようとする僕を、彼女は逃さなかった。当然だ。完璧な自分の失態を見た人間を逃がすはずがない。
「待って」
「今の、見たよね?」
いや、見ていないと言えば嘘になるが、見ていると言えば見ていないと言いたくなる。
「どっちなのよ」
見たかもしれない。
「ハッキリしなさいよ! 見てないの!? 見たの!?」
急に声を荒げる御伽のの乃に少し驚く。こんなキャラだったか? にしても、……相当に怒らせてしまったようだ。
「無断で入ってすまなかった。このことは必ず他言無用にする」
とにかく謝る。悪いのは明らかにこっちだしな。で、立ち去ろうとしたのだが。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
顎に手を当て、少し考えるような素振りを見せて、御伽のの乃は言った。
「アンタ、私に協力してくれない?」
……なんだって?
「知ってるんでしょ? ……ツンデレのこと」
何か、空気が変わった。そんな気がした。
残念だが、僕はツンデレという言葉など微塵も知らない。聞いたこともない。だから力にはなれない。丁重にお断りする。
「聞いたことあるわよ。アンタがツンデレ好きだってね」
なぜ。どこで。誰に。
「アンタの友達」
「あいつか……」
あいつ、御伽のの乃に好かれる為なら何でもありかよ。友人を売るとは、なるほどそういうヤツだったのか。
「で、協力してくれるわよね?」
満面の笑みで御伽のの乃が提案してくる。その笑顔に似合わない威圧感をまといながら。うさぎとかなら見た瞬間に逃げ出すんじゃないのか。
「だが、なぜ僕なんだ」
当然の疑問だ。僕はクラスの中では目立たないように生きているし、実際目立つことはない。てっきり御伽のの乃には認知すらされていないものかと思っていたのだが。
「ひねくれ過ぎでしょ、アンタ」
呆れたような顔でため息をつきながら、御伽のの乃はこう言った。
「ツンデレについて理解があるから。それ以上でも以下でもないわ」
一体どういうことなのか、と問いかける前に、御伽のの乃が口を開いた。
「私には、ツンとデレの人格があるの」
……何だ。中二病か? 高校生なんだから高二病か? いずれにせよ、痛いから卒業することを勧めるぞ。
ぷるぷると肩を震わせながら御伽のの乃がまた怒鳴る。
「違うわよ! 本当なの! 本当に別の人格があるの!」
分かったよ。言わなくても分かる。今の御伽のの乃はツンデレで言うところのツン、だろ。
「そうよ」
そうよ、じゃないんだが。僕じゃなくて然るべき医療機関を頼るべきじゃないのか。それとも医者になれとでも?
「ホントにひねくれてるわね、アンタは」
またため息をつく御伽のの乃。
「そもそも、なぜそれを治そうとするんだ。僕から見ても、御伽のの乃は至って普通の優等生にしか見えないんだが」
「……」
なぜ急に俯く。
「あ、あの……お願いですから助けてください~!」
一言で表すのなら、絶句だ。さっきまで口調の強かった御伽のの乃が急にしおらしくなってしまった。一体何なんだ。
「その……今みたいに急にツンとデレが入れ替わってしまうんです……」
「冗談か?」
「冗談じゃないですよ~!」
ツンデレ……というよりかは、ただの二重人格じゃないのか? いや、ツンが素直になれずに人に当たるならば、デレはまさに素の状態である……と言えるのか。そもそも好感度が……。
「あ、あの……きもちわるいです……」
日は変わり、翌日。あの後色々と考えたが、ツンとデレが入れ替わる問題の解決法は一つしか無い。また放課後に例の用具室まで呼び出されたので、それを伝えてみる。
「それで、解決法はあるのかしら?」
腕を組みながら、美しい青色のツリ目でこちらを見る御伽のの乃。
「今日はツンか」
「いいから早く」
そこまで軽くあしらわなくてもいいだろうに。まぁ気にはならんが。
「まず、ツンデレは常にツンとデレでいるわけではない」
ツンデレだって、常にツンツンしているわけでも、デレデレしているわけでもない。人である以上は必ず自然体というものが存在しているはずであり、ツンあるいはデレしか存在しないということはありえない、と、要約するとこういうことを伝えた。要約できているのかは知らないが。
「なるほど、さすがツンデレ先生ね」
なんだその不名誉な呼び方は。
「嬉しいでしょう? ……ふふ」
……ツンを楽しんでないか? 御伽のの乃。
「で、解決法は?」
嬉しそうな顔の御伽のの乃。一瞬あの野郎友達のように心を奪われそうになるが、強く自我を保ち耐える。
「恋愛だ」
「は?」
「ツンとデレ、そして自然体。それらが全て現れて、かつ効率的なもの。それが恋愛だ」
僕は嘘をついた。なぜならアドベンチャーゲームの知識しか無いからだ。恋愛のれの字も知らないが、僕の知るツンデレキャラはみな恋愛モノのキャラなので、助言をするなら、引き出しがこれしかない。
メチャクチャに怒られることを覚悟していたのだが、僕の顔にめがけて飛んできたのは鉄拳制裁ではなく、
「わかったわ。いいわよ。やりましょう」
「やるって……何を」
「恋愛を、よ」
ここでようやく気がついた。僕はとんでもなく面倒な事に巻き込まれているのだ、ということに。
また翌日。教室へ登校した僕に、いきなり野郎友達が詰め寄ってくる。
「おおおお、お前、おおおおお、御伽のの乃のと付き合ってるのか?」
「は? いや、は?」
悪寒がしてきた。僕の面倒事感知センサーが危険だと音を立てて伝えている。昨日のアレは誰にも言っていない筈だ。しかも、あの後、最終的には”恋愛ごっこ”にしよう、となったはず。だが。これは何だ。
「……誰から聞いた?」
「誰からって……その御伽のの乃だよ!」
……なんだろう。全てが面倒になってきた。
教室を見渡してみると、ちょうど御伽のの乃が外へ出ようとしている所だった。問い詰める、か。また後でと言い残し、御伽のの乃を追いかける。
「おい」
声をかけると、ため息をついた御伽のの乃が振り返る。
「何よ。皆の前で取り繕うのも大変なんだから」
そうじゃない。なぜバラす。バラす必要性があるのか。
「その方が動きやすいと思わない?」
どうだかね。朝から俺に向けられる視線を見るに、どうにもそうは思えないが。
「とにかく、今日から作戦実行よ。絶対に、ぜ~ったいに、放課後に逃げないでよね!」
釘を差された。逃げようだなんて思ってない。思ってない。多分。思ってないと思っている。
で、その日の放課後。
「な、何をしましょうか……」
御伽のの乃はいつの間にかツンモードからデレモードへと変貌していた。大事なのは何をするかではなく、何を成すか、だ。つまるところ、御伽のの乃のこれをどうにかして治せばいいだけ。となれば、恋愛とはいえ、型にハマる必要性は、ないわけだ。
「あ、あの……何も考えていないだけですよね……? 大丈夫ですか?」
おしとやかな口調の毒舌は勘弁してくれ。こう見えて僕だって傷つくんだ。
「大丈夫……ですか?」
まるで豚を見るような目で僕を見る御伽のの乃。いや、もしかしたらこっちの方がツンなんじゃないのか。
「手っ取り早く終わらせるのなら、手段としてはデートとかな。僕としてはそっちの方が」
まで言ったところで、急に御伽のの乃が遮ってくる。
「あの……私、やりたいことがあるんです」
「もちろん、付き合ってくださいますよね?」
まるで有無を言わせないような威圧感。見えないはずなのに、何かオーラのようなものを纏っているような気さえするね。まぁ。
「……ここまで付き合ったんだ。どうせなら最後まで手伝うさ」
放課後。恋愛ごっこをするために僕たちが来たのは、特筆すべきこともない公園だった。
「私、ブランコが好きなんです」
ああそうかい。そのブランコを漕ぐ姿は、まるで子供みたいだな、とだけ言っておくよ。
「でも、ブランコを漕ぐ自分のことは嫌いです」
「……」
「この性格のせいで、ずっと素直になれませんでした。そのせいで嫌な思いをしたこともあります。私の中にいるもう一人のあの娘も……、きっと苦労しているからこそ、あなたに助けを求めたんでしょうね」
ブランコを漕ぐ音だけが、静かな空間に響く。この場から逃げたくなるのは、金属の軋む不快な音のせいか、それとも。
「ブランコが好きなんです。ここから見える景色は、視界いっぱいの空。そして風。こんなことで悩んでいる私に、まるでちっぽけなことで悩むなと伝えているよう」
「空が……好きなのか?」
「空は悩みません。雲も悩みません。ただ吹かれるだけの風のように、ただ生きたいのだと思って、空に憧れています」
ふと空を見上げてみる。まさに夕焼けといった具合の空で、確かに美しい景色だ。雲ひとつない、というわけでもないが、少し雲があるのが、また味があって良いのかもしれない。
「私は……自分が嫌いなんです」
鉄の軋む音が止む。けれど御伽のの乃は、未だブランコに座ったままだった。
「最後まで手伝う……か」
僕はこんなことをする柄じゃないし、人を励ますことなんて下から数えたほうが早いぐらいの苦手さだ。だが。眼の前で憂鬱そうに空を見上げる彼女を見て、僕は何もせずにはいられなかった。
「いいんじゃないか、そんな自分で」
御伽のの乃の横のブランコに座り、漕ぎ始める。彼女に向けて、語りかけながら。
「受け入れろとは、言わない。だが、ツンの君も、デレの君も、どちらも御伽のの乃であることには変わりない」
「御伽のの乃が何になりたいのか、は知らない。だが、何かにならなければならないというわけではない」
「ツンの君も、デレの君も、人気者の君も、優等生の君も、すべて御伽のの乃だ。自分の想像する御伽のの乃の在り方に、自分自身が苦しめられている、そうだろ?」
変われ、とは言わない。だが、ツンデレの自分を受け入れても、きっと罰は当たらないとは思うがね。
特に返事などもないので、ふと横を見ると、
御伽のの乃が、泣いていた。声を出して泣いているわけではない。ただ静かに、空を見上げて、涙を流していた。
「お、おい。大丈夫か」
「大丈夫じゃないに決まってるでしょ……ばかぁ」
……ツンか。いや、そういうわけでもないか。
「みんなこの私を見ると離れていく。仲の良かった友達でさえ、不気味だと言って、みんな、遠くに離れて行っちゃった」
「……何で私を、こんな私を肯定してくれたの」
言葉に詰まらせてくれるな。ただ、ただ、魔が差しただけ、と言っておく。
すると、ふぅ、と息を吐いて、御伽のの乃が立ち上がる。
僕が御伽のの乃の方を向いた瞬間、向かい風が吹き、夕焼けを背景にした御伽のの乃が、こう言った。
「……ありがとう。私のはじめての、はじめての……と、友達……ふふっ」
そう言って微笑む御伽のの乃に、御伽のの乃に、僕は。きっと惹きつけられてしまったのだ。この瞬間に。
……ていうか、”そっち”がデレだったのかよ。
あれから、また、翌日。相も変わらず僕は友達に弄られていたが、特にそれ以上のことはなかった。
御伽のの乃は、御伽のの乃は、なぜか事あるごとに僕に絡むようになった。クラスの皆の前では、未だ優等生”ぶっている”が、僕の前ではツンデレを出せるので、やりやすいらしい。どういうことだよ。
「アンタと居ると退屈しないなって、思ったから」
……まぁ、こういうのも、いいのかもしれない。
「……ありがとう。アナタに頼んで、良かったな」
今日もまた、一日が、けれど、当たり前ではない日常が、始まる。
お読みいただき、ありがとうございました。