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信じるって大事だなって思う。

作者: 隅の火星人

はあ、疲れたなあ。

いつからだったか、私は人の言葉を信じなくなった。


だから、いつだって私は「不幸」だった。


これだ、という理由はわからないけれど、なんとなくこれが原因だろうと思うことはある。




私は昔、虐待にあっていた。


罵られ、命令に従わなければ殴られ、蹴られ


時にはナイフを用いて脅されたこともあった。


そんな人に私はずっと、何度も、「○○は裏でこんなことを言っていた」


「お前のことがウザくて仕方がないと言っていた。」


繰り返し、飽きることなく言われ続けていた。


だから、誰も心の底から信じることができなくなった。そう考えている。




私は、自分が弱いことを知っている。


昔から自分は他の人よりも知識が多かった。


よく本を読んでいて、こうした方がいいかな、それともこっちのほうがいいかな。なんて


幼いながらも、いつも何かを考えていた。


だから、自分の駄目なところがよく目についていた。


「自分の、なんでも先延ばしにするところがだめだ」


「自分の、なんでも決めつけてしまうところがだめだ」


しまいには、


「自分のことを、駄目だ、と思ってしまうところがだめだ。」


と言って、堂々巡りして、諦めてしまうようになった。


自分を正しい、出来ると信じることができない人がどうやったら


他人を信じることができるようになるのだろう。


だって、他人を信じてる自分を信じれないのだから。




なんにしても、なにかを信じることができないというのは、何よりも不幸なことだと思う。


「信じる」という行為は人を強くする。


なぜなら、信じるとは、自分の一部分を誰かに委ねることだから。


誰かに委ねてしまえば、もうそれについて悩む必要はない。責任なんて持たなくてよくなる。


自分の全てを委ねてしまえば、もうその信仰相手以外に自分を縛るものはなくなる。


それって、すごく幸せを感じれることだと思う。


実際に、ナルシストの人は幸福であることが多い、と実験で明らかになっている。


神を信じる、妻子を信じる、自分を信じる。


なんであろうと精神的に何かを頼るというのはまったく悪いことじゃない。


自信を持ってもいいんだ。


力がないなんて卑下する必要なんてないんだ。


不信感に苛まれて居ようと居まいと、


そう、信じるとやっぱり、少しだけ、気が、楽になる。

あぁ、疲れたなぁ。それでもきっと、

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