僕という存在が
Side ツェル
久々に来た真っ黒のエイダの街の魔女。彼女がいきなり言い出したのは僕の働き先の話だった。それを当たり前のように聞いているダナに、思わず言葉をぶつけた。何も聞かずに決めてしまうなんって、僕の意見をまるで聞いてくれなかったことに涙が出てきた。走るだけ走って、そして止まった。
なんでダナは僕を外に出そうとしたのだろうか?
『ツェル。君はもっと外の世界を見るべきだ。この森では狭い。』
ダナの言葉が胸で反芻する。思わず泣き叫びたくなるのを抑えた。すると、影が僕を隠すように伸びてきた。
「まったく……子供ですわね。」
響いた声に驚いて振り向いた。ダナに追いかけて来てほしかったのに、来たのは違う魔女だった。
「あ、失礼。子供でしたわね?」
ふふふ、と小さく笑うその魔女の様子に殴りかかりたくなってしまった。体格的にはまだ向こうの方が大きいし、女性にそんなことはできないと、握った拳をゆっくりと開いた。
「ダナも言っていたでしょう?『もっと外の世界を見るべきだ』と。別に帰ってくるなとは言っておりませんわ。」
確かにそうなのだろう。だが、僕はダナと離れたくはなかった。しばらく黙っていると魔女は呆れたように小さなため息を吐いた。
「やっぱり、事実を知るべきですわね、貴方は。」
そう言いながら彼女の手が僕の瞼の上に乗せられた。
瞬間、言いようもない痛み。
目が、まるで膨らんでくるように痛い。
ぱっと魔女の手が離れていく。同時に僕は尻もちをついた。そしてぼやけた視界が徐々に定まり、見えてきたのは小さな人間のような無数の物だった。
「ああ、やっぱり見えるようになったわね。この子達は精霊の子供たち。大きくなると人と変わらないぐらいになる子もいるわ。」
そう言いながら魔女は自分の手のひらに小さな人間のような精霊をのせた。精霊たちは楽しそうに僕の周りをまわっている。
「私は貴方とダナを引き離したいの。でも理由があってよ。一緒にいらっしゃい。」
魔女は手を差し出した。ダナとは違って荒れたところがない手だ。迷いつつも、彼女の手を取って歩き出した。何故か逃げたいと思ってしまったが、それを許さないというように魔女は手首を掴んでいた。
「ダナの周りの精霊、見えているかしら?」
「え?」
その言葉に疑問を抱きつつも家の窓から見えるぼーっとした様子のダナ。その周りには僕の見えている精霊の比ではないほどたくさんの精霊が彼女の周りで戯れている。
本能で分かってしまった。
パキッと枝を踏む音。魔女が立てた音だと気づき、視線を魔女に移した。魔女はゆっくりとダナを指さす。
「ああ、気付いたわね。」
魔女の言葉にダナの周りを見て驚く。先ほどまでたくさんいた精霊が一気に隠れてしまった。それも、隠れている精霊たちは僕の方を見ている。
「私がダナから貴方を引き離したい一番の理由はコレ。老婆心でもう一つ教えて差し上げますわ。」
そう言いながら魔女は僕の手首を離した。そして彼女の周りには無数の精霊。ダナの近くに居たのとは違い、強い視線を向けて僕を見下ろしている。
「なぜ、私がダナをこんな悪意のある場所に住まわせていると思います?」
魔女は周りの精霊たちを撫でるような動作をする。僕も手を伸ばしてみるが、みんな避けていくのだ。
「ダナは『ダナの森の魔女』。そしてこのイライジャ帝国を守護する精霊王の加護を受けている稀有な存在。……でもね、彼女はこの森以外では生きていけないの。」
少し寂しそうに魔女は言った。生きていけないって、どういうこと!?と頭がその言葉を理解して、叫ぶ前に魔女は言葉を続けた。
「森から出たダナは精霊王の加護を発揮できずに段々と弱って、衰弱して、消えていくの。『ダナの森の魔女』と言えば他国では敬われ、大事に扱われる存在なの。この国の馬鹿どもはそれに気づいていないようだけれどもね?」
ニコリと笑う彼女の話は終わっていなさそうだった。向けられる視線は侮蔑か、それとも憐れみか分からないそれにひたすらに呼吸ができなくなる。
「さっきも見たでしょう?あなたが居ると、ダナの周りに精霊が居なくなるの。
貴方が来てからダナの魔力は下がっている。
貴方がいる所為で、精霊がダナへ魔力を送れないのよ。」
「僕の、せい?」
一瞬にして目の前が暗くなるように感じた。僕の所為でダナが弱っている。いや、死に掛けている、そう伝えられたような気がした。
「私は魔女で、ダナも魔女。貴方は人間で、私たちとは生きる時間が違うの……。ダナは分かっていても言わないわ、貴方を好いているから。でも、私はダナが大事なの、だからはっきりと言って差し上げますわ。
『貴方と居ると、ダナは長く生きることができない。』」
断言された言葉に息が止まりそうになった。その魔女の顔はいつものような人形的な笑みではなく、ただひたすらに無表情だった。
「私の言った意味が分からないほど、貴方は馬鹿ではないでしょう。」
その言葉を言い残した魔女はいつの間にか消えていた。
ポロっと涙が落ちた。
多分、いや、先ほどの魔女の言葉は事実なのだろう。現に目の前で見てしまった。一気に隠れていく精霊を……。普段はもっと距離を置かれているのだろう。
「ダナと、さよならしないとだ。」
覚悟を決めることにした。我儘を通すということは、ダナの命を縮めることになるのだ。ダナはその事実を知っていても、僕が傍に居ることを拒まないだろう。ツーと涙が頬を伝った。なんで涙が出るかは分からないでも、一つだけ決めた。
「ちゃんと、さよならするよ。だから……。」
その日までは隣に居ることを許して——。




