皇子の帰還
Side ツェル
ダナの綺麗な髪が乱雑に掴まれる。そんな様子を腸が煮えかえる気持ちで見ていた。できることなら今すぐ飛び出て、ダナを触っているあの腕を切り落としてやりたかった。だが、確実にダナを傷つけずに『奪還』するには今は我慢が必要だった。
「皆の衆、聞け!!」
高らかに叫ぶ男。あれが俺の兄なのか、とまるで他人事のように思った。
「この『魔女』は恐れ多くも我が弟を殺した、『皇子殺しの魔女』だ!」
男の言葉に誰もが歓声を上げた。魔女が嫌われているのは知っている。だが、この場の誰もに問いたかった。ダナが何をした?むしろ捨てられた僕に愛情も、教育も、全ての事をくれた。だというのに、彼女への不当な扱い。
「弟の無念を思うと胸が苦しい。だが、ここで、『魔女』を殺すことで、弟を弔いたいっ!」
無念ね、と笑いたくなるのを抑えた。誰もが歓声を上げて、ダナは処刑台らしきところに放り投げられる。もう、怒りは限界だった。だが、舞台は整った。
「その処刑に異議を申し立てる。」
大きな声を出したつもりはない。しかし、広間にその声が響いた。誰もが視線を僕に向けた。コツ、コツと一歩進めば、自然と人々は道を開けた。開かれ続けた道は処刑台の目の前で終わりを告げる。ジッと動かなくなったダナを見つめた。
何故、こんな理不尽を彼女が受けなければならないのだ!!
そう、叫んでしまいたい気持ちを抑えながら、ローブを外した。
「な、!?」
男は驚いたような表情を浮かべた。流石に馬鹿ではないようだった。このタイミングで自分の母親とよく似た男。そうなれば僕が誰かは必然的に分かる。
「初めまして、皇太子殿下。その魔女に殺されたということになっている弟です。」
ニコリと笑いかければ、皇太子は見る見る青くなっているように思えた。まるで幽霊でも見ているようだった。
「お、弟は死んでいる!!弟を騙る不届き物が!!誰かコイツを捕らえろっ!!」
男の言葉に二人の騎士がすぐに反応した。しかしその二人を切り倒して、処刑台の上に駆け上がる。リーツ伯爵に聞いた通りだ。周りの騎士たちが次々に皇太子と俺の前に出てくる。次から次へと湧き上がる騎士たちを切り倒して上へと上がっていく。
「皇太子殿下をお守りしろ!!」
後ろから響いた声。その号令で広間に兵士たちがなだれ込む。
だが、同時に響き渡る声、その姿に民衆たちが困惑したのは分かった。
「第二皇子、ツェル殿下をお守りしろっ!!」
リーツ伯爵の声に反応した騎士たち。彼の私兵だという騎士たちは皇太子を助けようとした兵士たちを足止めするように展開した。
「ツェル様、ここはお任せください!!」
叫んだのはルイス様で、目の前の騎士たちを相手にしつつ視線を皇太子に向けていた。僕は迷わずに皇太子に対峙し、そして笑った。するりと抜いた剣。皇太子は怯えたように後退していく。処刑人が僕に斧を振り下ろしたが、その大振りな動きを避けて、その腕を切り落とした。その様子を見て尻もちをつく皇太子。その首元に剣を向けた。
「一つ、言っておく。お前が、ダナに手を出さなければ、僕はここに来なかった。」
何もしなければ、僕はここに来なかったし、ダナをこんな目に合わせなければ、僕は剣を此奴に向けることもなかった。言葉を喪ったその男の急所を蹴り上げ、そしてうずくまった姿を見下げた。
視界の中に、ピクリとも動かないダナが入り込んでくる。驚いて、その身体を抱き起こした。顔が青く、そして瞼が閉じている。咄嗟に、いつも感じていた胸の鼓動に耳を充てる。
だが、そこから聞こえるのは無だった。
「ダナ……?」
自分よりも小さくなったその身体を揺らす。けれども、反応がない。反応どころか段々と冷たくなっているように感じた。
「嘘だ、ダナ、そんな……。」
心の底から絶望というものが湧き上がってくる。抑えられないというように視界が滲んでいく。ぽたり、ぽたりと垂れるそれの止め方など知らない。
「そんなにっ、悲しければ、魔女と共に逝くがいい!!」
目の前で皇太子が剣を振り上げた。それもいいな。そう思いながら瞼を閉じた。瞬間、金属が重なり合う音。
「おい、ツェル、諦めるには早すぎないか!!」
目を開ける。すると目の前には二年間ほぼ毎日見ていた男。鍔迫り合いをしながらその男は叫んでいた。
「ランベルト……?」
「まだ魔女殿の身体は崩れていない!!急いでダナの森に連れていけっ!!まだ間に合うはずだ!!」
そう言いながら皇太子の剣を弾いてそして周りに群がるように来る騎士たちを切り倒していく。
「あ、……の悪魔。」
誰かがそう呟いた。そしてランベルトは大きく息を吸った。
「ツェルの為に退路を開け!!なんとしても魔女殿とツェルをダナの森に辿り着かせろ!!」
その声は大きく響いた。民衆の中に居た何十人、それが剣を抜いたのが分かった。それがロジェ商会で共に働いた者たちだとすぐに分かった。急激に形勢が変わっていく。リーツ伯爵の抑えていた兵士たちが恐怖の色に染まっていくのが分かる。
「ロジェの傭兵軍団。」
皇太子が呟いた言葉が耳に届く。何それ!?と聞きたい気持ちを込めて視線を向ける。
「私たちはロジェの傭兵団。今はみんなただの商会員だけどな……。もうみんな剣を捨てる気だったんだけどな、お前のおかげでもう一回、剣を握る覚悟ができた。」
ふう、とランベルトは息を抜いた。周りを見れば広場は混戦状態。どれが味方で、どれが敵か分からないほどにざわめき合っている。
ダナを連れて行かないと。
力が抜けていた足に力が入る。ダナをダナの森に帰さないと。そう思って彼女を抱き上げれば、自分で簡単に持ち上げられた。
「ふむ、その足で向かったなら遅いな?」
急に響いた落ち着いた声。僕だけじゃない、誰もが動きを止めた。いや、違う、止まらせられたのだ。気が付いた瞬間、目の前に男が立っていた。人の形を取っているが、人ではない。その男は多分。
「……精霊王?」
僕の言葉にその男は満足そうに笑った。そして、僕とダナの目の前で跪いた。
「よくぞ我が愛し子を守った。イライジャの皇子よ。」
そう言って男は笑う。何か不思議な感覚になった。懐かしいような、悲しいような。男は顔を上げて笑った。
「イライジャの皇子よ。名を教えろ。」
「……ツェル。」
何故か答えなければならない気がした。答えると共にその男は笑った。
「ではツェル。イライジャの精霊王たる我は、ツェルが皇帝となる限りは変わらぬ加護をこの国に与えよう。我が愛し子を守った褒美だ。」
彼はそう言うと立ち上がった。そして動けぬ民衆、騎士、そして皇太子を見下げた。
「我は忘れぬ。我が愛し子を害された事実を。変わらぬ加護を受けたくば、悔い改めるがいい。」
にやりと笑った男はその場で消えていった。何が起きたか分からないまま、皆が拘束から抜け出した。何が起きたのか、理解ができない。
「ツェル……。」
突然の聞き馴染んだ声。腕の中から聞こえた声。驚いて下を向けばボーッとしつつも目を開けたダナ。その指がゆっくりと僕の目尻に伸びた。
「泣かないでおくれ、私は君の涙には弱いんだ……。」
僕はそのまま泣き続けた。零れ落ち続ける涙に、ダナは困ったように笑っていた。




