過ぎていく日々
Side ツェル
街に出てからは覚えることがたくさんあった。本の中で覚えていたことはどんどんと実践に活かされて、そして思うのだ。ダナはこれを予測していたのではないかと。ダナが教えてくれたことは、隣国で王室御用達にまでなっているロジェ商会のトップですら習っていないレベルの教育だった。
「坊ちゃん、あちらのご婦人が、坊ちゃんに接客して欲しいそうです。」
「リーツ夫人か……分かった。数点見繕ってから行くから紅茶を出しておいてくれ。レモンティーがお好きだ。」
「了解しました、よっと。」
ランベルトにここに連れて来られた日、ランベルトは僕の事を『隠し子』なんて茶化しながら紹介した。その言葉に従業員たちは少し寂しそうに笑った。あとで世話好きな従業員が教えてくれた。ランベルト・ロジェには僕と同じ年になる予定だった息子と、妻が居たと。
「あ、リーツ夫人、柑橘系好きだったよな。」
香水ではなく、アロマオイルを数本ピックアップして持っていくことにした。それを持って出ていけば、初老のマダム、リーツ夫人は上品に笑った。
「ようこそお出で下さいました、リーツ夫人。」
「お久しぶりね、ツェル。今日は何か紹介してくださらない?」
そう言いながらにこやかに笑う夫人。その夫人の後ろで仁王立ちしている青年の姿に目を奪われた。その青年は目を丸くしていた。まだ若いが、僕よりも少し年上だろうか?
「ああ、ツェルは会うのが初めてだったわね。私の孫のルイスよ。」
「これは、リーツ伯爵子息でございましたか!失礼いたしました。私、ツェル・ロジェと申します。」
「ああ、祖母から聞いている。気が利く店員だと……。」
「まあ、ルイス。貴方、ちゃんと聞いていなかったわね!この子はロジェ商会のイライジャ支部の支部長、ランベルト・ロジェの子息なのよ?」
「ランベルト殿の……それは、羨ましい。」
彼の言葉の意味も分からずにいた。その後の会話で、二人が吟味しにきたのは皇太子の誕生日に贈るものだと分かった。装飾された剣や、マントなどいくつか出した中で、二人が選んだのはブローチだった。
「こちらはオーウェン王国のバランド公爵領で採掘された、今年最大の宝石になります。ダイヤモンドです。」
「うん、これなら殿下も満足されるだろう。」
「ええ、我儘ぷーとは言え、我が国の皇太子ですからね。代わりがいないというのは大変よね?」
ニコリと笑うリーツ夫人に、あまり突かれたくはない、といった表情に変わるルイス様。このように個室を利用する高位の貴族からは、ちらほら皇太子の我儘話が出てくる。その被害者としてよく名前が出るのが、この目の前のルイス様だった。皇太子の2歳年上でお目付け役として振り回されているらしい。
「そう言えば、ツェル。そろそろ2年ね?あなた、髪は切らないの?」
突然の話題転換にルイス様は少しホッとしたようだった。僕は森から出て一度も髪を切っていない。ランベルトに切るべきか聞いたら、『せっかく綺麗だし、もう少し伸ばしてから切りないよ。売れるし。』と言われてから、それは、それは丁寧に髪を伸ばした。今の長さは三つ編みにしても膝近くまで伸びている。そのことを知っているリーツ夫人はそろそろ切るのか?という意味で訪ねたのだろう。
「そうですね、夏になる前には切ろうかと。父はこの髪でかつらを作って高値で売ると張り切っておりましたよ。」
「まあ、ランベルトらしいわね。それにしても美しい髪ですこと。」
ニコリと笑う夫人の目が何故か鋭くなる気がした。でも、それに気づかないふりをして、年相応の14歳の少年らしく笑う。
「でも、もう少し伸ばした方がいいと思うわ。ねえ、ルイス、そう思わない?」
「そう、ですね。」
彼の戸惑った言葉の意味など、この時の僕は知る由もない。




