その7.
ふう、と息をつき、ばあちゃんから、いったん目をはなして、その眼差しを、窓ガラスの向こう側に向けた。
四角く切り取られた窓の外の風景は、おだやかな明るさを取り戻していた。雨は上がったようだ。
濡れ縁に出た。陽は沈んで夕暮れどきになっていたが、西の空はまだ明るかった。
美しい残照だった。
見ていたら、むしょうに、駆け出したくなった。すると、ぼくはもう、三和土でサンダルをつっかけ、ばあちゃんちを飛び出していた。
真っ赤な夕陽に向かって、懸命に駆けた。パタパタと。
駆けながら、心の中で、叫んでいた。まるで青春ドラマの一場面のように……。
母さんに、淋しい顔なんて、絶対に、見せるもんか!
弱音を吐いてる姿だって、頬に涙している姿だって、絶対に、絶対に、見せるもんか!
ちくしょう、負けないぞ、シカトなんかに、絶対に!
そして、絶対に、絶対に、父さんの、父さんのーーぼくはそこで、立ち止まった。
はあ、はあ、と荒い息をつきながら、額ににじんだ汗をシャツの裾で、ゴシゴシ、拭った。
ようやく人心地ついた。そこで、真っ赤な夕陽に向かって、大きな声を出して、叫んだ。
「ぼくはまだ、絶対に、父さんのところになんか、いかないんだから!」
ぼくの大きな声に触発された?
突然、ジジジ、と季節外れの、だから、たぶん、ボッチの蝉が、勢いよく、それでいて、そこはかとなく淋しそうに、鳴き出した。
人生は自分の思い通りにならないことのほうが、多い。
カミサマは、ぼくたちが信じているほど、人の心の事情に寄り添ってはくれない。
それより、むしろ意地悪で、人の運命を弄んだりも、する。
時に、人は、それに翻弄され、とまどい、挫折し、その挙句、人生のどん底に突き落とされ、途方に暮れることだってある。
その上、それが高じて、どうかすると、最悪の手段を選んでしまう人も、残念ながら、少なくない。
けれど、生きるのが嫌になったからといって、けっして、やけを起こしてはいけない。
大人になって気づくんだ。
それは、たとえば居酒屋で気の置けない友と、とりとめのない話に花を咲かせているときなんかに、ふと――。
そっか、オレ、ボッチなんかじゃないんだ。だって、こんな素敵な友がいるじゃん。
けっこう、つらかったけど、歯を食いしばって生きていたら、知らないうちにこんな友が、すぐ近くに。
やっぱ、ばあちゃんが言ってたとおり、やまない雨は、ないんだなあ――そんなふうに。
その帰り道。
夜空に浮かぶ、まん丸いお月様を見上げながら、眉を開いて思うんだ。
なんて、美しい月だろう。
これって、だけど、生きていたからこそ、そう思えるんだなあ、って。
だから、人生に絶望してやけを起こしてはいけない。生きてさえいれば、こうした感慨に浸れることだって出来る。それを、味合うためにも、絶対に。
それを味わった後で、意地悪なカミサマに言ってやればいいのさ。
カミサマのくせに、どうして意地悪ばっかするんすかねえ、って。
いぜん、土砂降りの雨はつづいていた。
昨日も今日も、たぶん、いや、きっと、明日も、それは、降りつづく。
空気はその存在が見えない。それと同じように、ぼくも、クラスのみんなの目には見えない、トウメイ人間。
おまけに、雨はやむどころか、いっそう、その激しさをますばかり……。
つづく