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ボッチ  作者: 芳田文之介
6/7

その6.



ある日の放課後。


いつものように、ぼくは母さんが迎えにくるまで、ばあちゃんちで雨宿りをしていた。


宿題が終わると、じいちゃんが残してくれた本を開いて、そこに紡いである心温まるおはなしを読む。


そうすることで、母さんが迎えにくるまで、少しでもボッチの淋しさをいやしたいと、ぼくは躍起になっていたのだった。


そうこうしているうちに、その日も、やがて夕暮れどきになる。


奇しくも、あの日、今日と同じく、にわかに空模様が怪しくなった。それまで、明るかった世界が、一転して、薄暗くなってしまったのだ。


そう思う間もなく、稲光が中空を切り裂き、追いかけて、大音量の雷鳴が、ドンと、大地に轟いた。


ひゃあ!


恐怖におののいたぼくは、思いっきり、両目をつぶり、両耳もふさぎ、その場に突っ伏してしまった。


すごく、怖かった。大袈裟なくらい、雷が……。


そんな意気地なしのぼくは、雷様におへそを取られると、本気で、信じていた。小学六年生にもなっていたというのに。


あのころのぼくの性分はそれほど、非常に、あさましく、出来上がっていた。


大人になったぼくは、過去を振り返り、それにしてもと、ため息をついて、あのころのぼくを、なさけない奴だったよなと、つまらなそうに笑ってやる。


ひょっとすると――時に、ぼくは思う。


ぼくがシカトされていた原因。それも、実はそういう性分にあったんじゃないか、というふうに。





今にして思えば、あの日がきっと、分水嶺だったのだろう。


ボッチからの、卒業――それを、ぼくがはたすことの出来た。


あの日、ばあちゃんは、やたら雷に怯えているぼくを、よほど不憫に思ったらしい。


すっと、ぼくの傍にくると、頭をそっと撫でてくれたのだ。そんなことは今まで、一度もなかったというのに。


その上で、へえと、一瞬、目を疑うほど、ばあちゃんはあの日、めずらしく、饒舌に、こう戒め励ますのだった。


「いいかい、ユキオ。長い人生には、つらいことのひとつやふたつ、いや、もっとたくさんあるじゃろう。そんなとき、こうして、臆病風にふかれて、目をつむって耳をふさいでるぶんは、まだ、ええ。けどな、逃げたらいけん。逃げたら、あとで、もっとつろうなる。なんで、そういうときは歯を食いしばってジッと耐えるんじゃ。そうしておれば、やがて土砂降りの雨はやんで、空はきっと、晴れてくれる。いったい、やまない雨は、ないんじゃから」


やがて土砂降りの雨はやんで、空はきっと、晴れてくれる。


やまない雨は、ない……。


あ! それって――。


はからずも、大きく、心が揺さぶられていた。


瞼を開いて、両手を耳からはなして、恐る恐る顔を挙げると、上目遣いで、ばあちゃんを窺った。


目を細めながら、微笑んでいた。まなじりのしわを、ふだんより、いっそう、深くしながら。


ばあちゃんに学校の一件を話したことはもちろんない。


大人の母さんは、ぼくの知らないことをいっぱい経験しているし、むろん習得もしていた。それを、事あるごとに、披露してくれる人だった、母さんは。


ばあちゃんはその母さんよりずっと長生きしてる。ということは、もっともっといろんな人生経験を積んで、母さん以上に物知りなのかもしれない。


それで、ぼくのことならなんでもお見通しで、バレないように隠していたシカトの一件も、もしかしたら、とっくに見抜いていた、そう、ばあちゃん?


そしてもっと深いところまで見抜いて、優しく励ましてくれた?


だとしたら、すごいね、ばあちゃんーーぼくはあの日、そんな夢想をしながら、ばあちゃんの顔をしばらく呆けた顔で眺めていた。


そんなばあちゃんは、相変わらず、例の眼差しと表情をして、ぼくを見守ってくれていた。


あの日の、ばあちゃんの眼差し。あれは、慈眼さながらに、おだやかで、慈愛に満ちた、実に深いものだったと、今ならわかる。


日常の何気ない瞬間が幸せだと思えるようになった、今の大人のぼくなら。


加えて、ひとり息子に先立たれたばあちゃんの、その心の深奥にひそむ悲しみの正体を知ってしまえば、なおさらだ。


今のぼくはそして、こうも思っている。


ばあちゃんは今でも、遠い空の上から、きっと、ぼくのことをあの眼差しで見守ってくれているに違いない、と。


もっとも、あの日のぼくは、ばあちゃんのことばを、自分の都合のいいように解釈していただけなのかもしれない。


ただ、その是非はともかくとして、そういうふうに解釈したくなるほどとても、冷たく、つらかったんだ。シカトという、土砂降りの雨は……。


だからこそ、やがて雨は、やんでくれるはず。そしてぼくの心もきっと、晴れてくれるはず――あの日のぼくの小さなからだの、小さな胸は、必死に、そう思い込もうとしてたんだ、きっと。


「ひとりボッチで、シカトと向き合うことはないんだよ、ユキオ」


実際、そうした優しいことばはなかった。けれども、ばあちゃんのあの眼差しには、そういう想いもきっとにじんでいたはずと、ぼくは今も信じている。


あれから幾つもの歳月を重ね、大人になったぼくは今、日常のふとした瞬間、思い出すことがある。


分水嶺だったあの日の出来事を、つい先日のことのように、今のごとく、ちょっぴり切なさを伴って……。




つづく


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