その5.
ユキオ――「幸せな男」と書いて、幸男。ぼくの名前。
父さんがつけてくれた、らしい。
らしいと、どうして、そのように遠まわしな言い方になるかというと、実は物心ついたとき父さんは、ぼくの物語の枠の外へ、とうに抜け出していたからだ。
そのせいかどうか、それはわからない。わからないけど、ぼくはそのころ、名前通りに「幸せな男」――ではなかったのは、たしか。
あれは、ぼくが小学六年に進級したときのことだった。
たぶん、理由はあったんだろう。だけど、今となってはそれも霞がかってぼんやりとしている。
ただ、ひとつだけはっきりしている事実がある。それは、ぼくがクラスのみんなからシカトされ、ボッチしてたという、今にして思えば、なんとも切ない事実。
その苦痛の思い出が、今でも小さな棘となって、心の中どこかにくっきりと刺さっている。
遠足に運動会に発表会。それと、誕生日会。そしてなにより、ふだんの学校生活。ぼくは今でいう、「ボッチ」だった。
みんなにシカトされ、いつもひとり淋しく、教室の片隅でとぼんと肩を落として、ボッチしていた。
その棘が、大人になった今でも、日常のふとした瞬間、胸を鈍く疼かせることがある。
ところで、みんなは「シカト」の語源って、知ってる?
十月の花札は、絵札のシカが遠くを向いているじゃない。「シカがとおく」が「シカとお」になって、それがやがて「シカト」になったって、ものの本に記してあった。
公園のシカにそっぽを向かれるのは、まあ、ご愛嬌。
だけど、すぐ傍にいるだれかにそっぽ向かれるのって、シャレにならない。
それって、どうしょうもなく淋しいし、切ないし、つらいし、なにより、くやしくてたまらないんだ。
当時、ぼくは放課後になると、いつもきまって、近所に住むばあちゃんちにソッコウ向かっていた。
じいちゃんはそのころ、すでに遠い空の向こうの星になっていた。
なので、広い屋敷に、ばあちゃんはひとりで住んでいた。
ばあちゃんは、父さんのお母さん。つまり、ぼくの母さんとは血が繋がっていない。
父さんが亡くなり、もともと赤の他人だったのがもっと赤の他人になってしまった二人は、微妙な、だから、いつ縁が切れてもおかしくない、当時、そんな関係だった。
それなのに、母さんはなぜか、ばあちゃんと縁を切ろうとはしなかった。
父さんを早くに亡くした母さんは、女手一つでぼくを育てることを余儀なくされていた。
仕事が忙しくて、ひとり息子を全然構ってやれない。
そこで、思いついたのだろうか。
背に腹は代えられない。だから、しばらく縁は切れない、そんなふうに。ま、そう考えるのが、ふつうだよね。
でも、母さんは、あんまりいい顔してなかったように思う。ぼくが、ばあちゃんちに行くことを。
もっとも、母さんが、それを口にしたことは、一度もなかった。
だけど、空気、っていうやつ。
ボッチのぼくは、ボッチだからこそ、そのころ、目に見えない人の心の動きに敏感な少年だった、ような気がする。
恐らくは、まだ子どもでいいところまで、大人になっていたのかもしれない。
ただ、これも、やっぱり、あとになって気づく。本当は、そんな打算的な事情からではなかったことに。
しかも、そういう事情は往々にして、後で聞くと、実に切なかったりするんだ。涙が抑えきれないくらいに……。
一方で、ぼくにもぼくなりに当時、ばあちゃんちに行く事情が、あった。
思えば、母さんだからこそ、学校でシカトされてるんだ、なんて言えなかったし、知られたくなかった。
それって、母さんに心配かけたくなかったからだろうか。
うーん、それもたしかにあったんだろう。
でも、それとは違う理由で、なんだか言えなかったような気がするんだ。当時は、うまくことばにできなかったけれど……。
仕事が終わると、母さんは、ばあちゃんちにぼくを迎えにくるのが日課になっていた。
母さんの前ではいつも、「いい子でいたい」――そう心にきめていた。
もしかしたら、それが本当の理由だったのかもしれない。
心配かけたくなかったというより、母さんの前ではいつも、いい子でいたい――その心のありようは大人になってようやく、わかった。
それは、プライド、っていうと、ちょっとカッコよすぎる気もするけれど、そういう心持ちじゃなかったのかと、今なら思える。
だから、泣き顔なんてぜったいに見せたくなかった。
つらくて頬に涙する顔なんて、母さんには、ぜったいに……。
ただ、現実は残酷だった。
学校では、シカトという、土砂降りの雨が降っていた。
そのつらさを、小さなからだの、小さな胸では、全部受け止めることなんてとても、できそうになかった。
それに、「おかえり」と言ってくれる人がだれもいない家に帰れば、なおさら淋しさが募る。
それでは、母さんの前で、上手に笑顔を作れる自信がなかった。
だったら、どうすればいい――小さな頭で考えた。そこで、思いついた。小さな頭ながらの、小さな考えが。
そうだ、「おかえり」と言ってくれるばあちゃんがいる家で、雨宿りして、少しでも心を癒そう、って。
ばあちゃんちには、おじいちゃんが残した本が、たくさんあった。
小学生のぼくにはまだ、ちょっと難しい本ばかりだった。けれど、読んでるとなんとなく勇気づけられる、そんな本がいっぱいあった
そういう事情があって、ぼくはばあちゃんちに足を運んでいたのだった。
ばあちゃんちでは、母さんが迎えにくるまで、学校でシカトされた切なさが、わり算のあまりのように心に残っているのを、なんとか本を読んで拭い去ろうと、必死だった。
ただ、ちょっとだけ困ったことがあった。それは、ばあちゃんが、あまりにも無口だったことだ。
「ただいま」
「おかえり」
なにしろ、母さんが迎えにくるまで、会話はいつも、たったのそれだけ。あとは、時計で計れない沈黙の時間が、ゆっくりと、静かに、ただ流れてゆくばかり。
でも、今にして思えば、かえって、そっちのほうがよかったのかもしれない。
だって、学校のことをあれこれ聞かれたら、きっと、平静を装ってはいられずに、ばあちゃんの前で泣きそうな顔になっていただろうから。
だとすると、ばあちゃんちに行く意味すらなくなる。なので……。
ただ、そうはいっても、ここでもぼくは、やっぱり、ボッチに変わりはなかった。
つづく