その2.
そういえば――と今さらのように、思い出す。ゆうべのニュース番組の中の、天気予報を。
そこで、気象予報士のお姉さんが、注意喚起を促していたのだ。
「あすのお昼過ぎから夕方にかけて、局地的大雨になるという予報が出ています。従って、あすのお昼過ぎからは、いわゆるゲリラ豪雨に十分、注意してくださいね」
お姉さんは、「ね」、の語尾をいっそう強調すると、屈託なく笑っていた。
ぼくたち外回りの営業マンにとっては、むしろ屈託のある、そんな予報にもかかわらず……。
あ、そうだった。
それでぼくは、思い出した。ゆうべ、その予報を聞いて、なら、ビジネスバッグに折りたたみ傘を入れておかなきゃな、と思いついたことを。
思い立ったが吉日、とはいみじくも言ったもので、まさにそう思い立ったときに、すぐさまそうしておけば、備えあれば患いなし……になるはず。
なのに、ゆうべ、いつものぼくの悪い癖が出てしまっていた。
ま、後でいいや、となおざりにしてしまったのだ。
あとでやったためしなど、ついぞないおまえなのにな……。
そんなふうに、自分を責めたら、やっぱり、辛くなる。だから、それから逃げるように、鳩くんから目をはなし、てき面に目をくれた。
八つ当たりでもするかように、土砂降りの雨を睨む。雨には、全然罪はないのに。
睨んでいたら、それにしても、このゲリラ豪雨って、あれだよなあ――と、改めて、考えさせられた。
このゲリラ豪雨、今ではすっかり常態化して、もはや異常気象というより、むしろあたりまえの気象として、すっかり日常にとけこもうとしている。
けど、そもそも、これって――柄にもなく、ぼくは神妙な顔で、この問題をさらに深く掘り下げてみる。
人間のエゴイズムがもたらしたもんなんだよなあと、浮かない眉をひそめて。
人間は自らの生活を豊かにする目的で、車を大量生産し、それを運転しやすくしようとして、コンクリートで、地球上の土を埋め尽くした。
しかも、それから出るガスで空気を生暖かくして、地球温暖化を引き起こしてしまったのだ。
それが、導火線となり、今日の異常気象をもたらしたーーどうも、そういういきさつらしい。
その上さらに、このままでは、この地球が危ないので、「脱炭素化」をはからねばと、大の大人たちが、世界中でてんやわんやの大騒ぎ。
こう考えてみると、同じ生き物である鳩くに対して、人間ってどうしようもない存在で、本当に申し訳ないよねと、真摯に首を垂れたくなる。
そこでぼくは、人類を代表して、足元の鳩くんに、首を垂れようとしたーーそのとき不意に、課長の顔が頭をよぎった。
ふん、おまえごときが、なにを偉そうに、と鼻で笑っているあのおっかない顔が……。
がしかしそれは、そんなの関係ねえと、ちょいと陳腐なギャグではあるが、それでいなして、改めて、ごめんなと、鳩くんに、首を垂れておいた。
それから、ふたたび、てき面に眼差しを戻した。
雨脚は、一向に、弱まる気配を見せない。
いつもなら、それこそバケツをひっくり返したような大雨を降らせたら、さっさと、どこかへ流れてゆくはずの、あの忌々しい暗雲が、今日はどうしてだか、いまだに上空に、ずうずうしく、垂れこめている。
それでも、まあ、と思う。
やまない雨は、ないんだ、と。
だから、もう少しの辛抱だよね、とも。
ぼくは、あることがきっかけで、オプティミストになった。つまり、万事うまくいくものと考えて心配しないようにしている、そのような人格に。
だけど、そういえば、だれかが言ってた。
オプティミズムは性格の問題ではない。明晰な知が要る――と、毅然とした調子で
そして、ぼくはある日、気づいた。その明晰の知が、ぼくは決定的に足りない人間ではないか、ということに。
たぶん、だからだろう。なんでもかんでもオプティミズムに捉えて、いつも失敗ばかりしているのは……。
それによって、営業成績がさっぱりだったりするので、そのだれかさんがおっしゃるのも、あながち間違ってはいない、ということらしい。
と思ったら、あのおっかない課長の顔が、ふたたび、脳裏に浮かんだ。
これには、さしものオプティミストを自称するぼくも、びくびく、くよくよ、うじうじ、とにかく、そんな感じでタジタジになってしまう。
ただし、オプティミストのオプティミストたる所以は、そうなってしまった気分をたちどころに紛らわすことができる、ところにある。
それを地でいくぼくは、今日も、脳裏に浮かんだ課長の顔を、あっさり明後日の方向に蹴とばしてやった。
そして、何事もなかったような顔をすると、こんなときと、もう勝手に妄想を弄ぶのだった。
そう、こんなとき、ドラマだったら、ぼく好みのお姉さんが、雨に濡れながら、息を切らして、「すいません、わたしもここよろしいでしょうか」と、ひょっこり、雨宿りにくるんだ。
もちろん、ぼくは愛想笑いを浮かべて、「どうぞどうぞ」と応える。
するとそこで、美しい長い黒髪が濡れていることにきづいたぼくは、「あ、お髪が濡れておられますよ。よろしかったら、これをどうぞ」と神妙な顔で、ハンカチを差し出すんだ。
お姉さんは「ありがとう」とニッコリ笑って、ぼくの手からそれを受取ろうとする。そのとき、お互いの手と手が触れ合い、それがよすがとなって、やがて二人は……。
現実はけれどーーぼくは足元に目をやり、やれやれとため息をつく。
どうせ、ぼくの現実は。
そう思いながら鳩くんに眼差しを向けたら、ちょうど首を挙げた鳩くんの、ぼくを見る眼差しが一瞬、尖った、ような気がした。
つづく